8月20日(木)・21日(金)三重大学生活体験講座に1年生の生徒が参加してきました。
人文学部・教育学部・医学部看護学科(20日)、工学部・生物資源学部(21日)の大学の模擬授業を受講し、ピアサポーターの学生から実際の大学生活・研究の様子を詳しく話してもらい、大学生活のイメージが掴めたようでした。
人文学部の模擬授業『忍者研究の意義』
教育学部の模擬授業『「先生」という仕事』
8月20日(木)・21日(金)三重大学生活体験講座に1年生の生徒が参加してきました。
人文学部・教育学部・医学部看護学科(20日)、工学部・生物資源学部(21日)の大学の模擬授業を受講し、ピアサポーターの学生から実際の大学生活・研究の様子を詳しく話してもらい、大学生活のイメージが掴めたようでした。
人文学部の模擬授業『忍者研究の意義』
教育学部の模擬授業『「先生」という仕事』
2学期を迎えました。この夏休みは、どのように過ごしたのでしょうか。特に4年生は、自分の進路について深く考えた人もいると思いますが、先生方の力を借りながら、「自分の進路選択、自分の人生課題には自分で責任を持つ」との姿勢で、2学期を乗り切ってください。
さて、私は以前、心肺蘇生法(人工呼吸、心臓マッサージ)やAEDの使い方を学ぶ救命講習を受講した時に、こんな話を聞きました。
人通りの多い所で瀕死の状態で倒れている人がいるのに、発見者が「誰か、助けてください!」と叫んでも、「誰かって誰のことだ?」という反応で、なかなか手を差し伸べてくれないそうです。このような場合は誰かの方をきちんと見て、あるいは指差しでもして、「そこにいるあなた、今すぐ119番に電話して救急車を呼んでください。」とか、「そこのあなた、運ぶのを手伝ってください。」と言わないと、多くの人は反応できないそうです。
皆さんなら、どんな行動をとりますか。助けを求める人に手を差し伸べることは、そう言われた人が、一部の人だけがやればよいと考えますか。それとも、人から言われるまでもなく、進んで救いの手を差し伸べますか。
誰かが直ぐにしなければならないことなのに、誰がすべきかはっきりしていないことは、私たちは、「自分以外の誰かがやるだろう。」と考えてしまい、行動が鈍るようなのです。
2学期は文化祭があります。チームワークが必要です。一人の力では何もできませんが、その一人の力がどうしても必要です。役割はきちんと決めてください。しかし、役割と役割の隙間にある、誰の仕事でもないが誰かがしなければならない仕事がたくさんあると思います。「それは自分の役割ではない。」とか、「自分以外の誰かがやるだろう。」という姿勢ではなく、「自分にできることはないか。」という姿勢を皆さん一人ひとりが持って、文化祭の準備を進めてほしいと思います。
このような姿勢を皆さん一人ひとりが持ち続ければ、クラスの連帯感が生まれ、団結も強固なものになっていくに違いありません。
まだまだ暑い日が続きますが、季節はやがて秋を迎えます。何をするにも絶好の季節を迎えます。皆さんにとって、連帯と団結の学期となることを願い、2学期始業式の話を終わります。
2015年8月28日 東 則尚
夏休みが終わり、今日から2学期が始まりました。夏休み中は、自ら計画した勉学の他に、学年・学科行事や課外授業、部活動の練習・試合・合宿、各種大会への参加、そして家の手伝いなど、普段できない多くの経験をしたことと思います。それらの経験は、皆さんにとって、成長の糧となったに違いありません。
さて、今日は、2つのことを話したいと思います。先ず一つ目は、夏休み中の私の経験から話をします。
出張帰りの急行電車の中でのことです。乗客も少なかったので、座ることができました。行き帰りの電車の中は読書と決めていましたので、座るなり読みかけの単行本を取り出して読み始めました。その後、少し疲れを感じてふと顔を上げると、目に飛び込んできた光景に驚いてしまいました。私の前に座っている乗客のほとんど全員が、まるで集団行動をしているかのように、スマートホンを見つめていたのです。部活帰りの高校生も、大学生らしき若者も、若い妊婦も、サラリーマン風の中年男性も皆、見事に同じことをしていたのです。その後しばらくの間、単行本は閉じたまま「人間観察」をしました。
そして、「恐ろしい情景」を想像してしまいました。その部活帰りの高校生は、学校で休み時間、級友と会話もせずにスマホばかり気にかけて話し声や笑い声のない教室にいるのではないか。その大学生は、ネットで見付けた他人の文章を、そのまま写し取って課題レポートを作成しているのではないか。その若い妊婦は、やがて産まれてくる赤ちゃんを抱きながら、我が子に微笑んだり話しかけたりせずにスマホの画面ばかり見つめているのではないか。等
確かに、スマートホンや携帯電話の普及のおかげで、私たちは、いつでも、どこでも、誰とでもつながれるようになりました。知りたいことがあれば、ネットで調べて必要な情報を直ぐに得られるようになりました。
しかし、経験した人もいるかもしれませんが、ネットに流れている情報のなかには、誰かしらの意図や何かしらの悪意を持った「嘘」が刷り込まれている場合があります。「情報」だけではありません。「物」も「人」も、あたかも本物(者)であるかのように「嘘」が入り込んできます。注意をしていないと、無責任な情報に踊らされる危険があるのです。逆に、自分が誰かを、社会を踊らせる側になるかもしれないのです。
私は、「スマホを使ってはいけない」と言っているのではありません。「使い過ぎてはいけない」ということを言いたいのでもありません。私が皆さんに言いたいのは、「本物と偽物を見極める力を身に付け、生きることの本当の深さ、本当の楽しさを実生活の中で実感してほしい」ということなのです。一つのことにじっくりと腰を据えて取り組む経験などを実生活の中で積み重ねてほしいのです。
「生きる」ということは、自動販売機にお金を入れるとポンと品物が出てくるような、クリックしてパッと画面に出てくる情報が求めていた答だと思って直ぐに飛びつくような、そんな安直なものであってはなりません。山の頂上までケーブルカーで行った人と、汗をかきながら山道を踏みしめて頂上に辿りついた人とでは、頂上での景色の見え方は全く違うはずです。幻想と錯覚を与える危険のある「ネット社会」ではなく、実社会のなかで、実生活のなかで、高校時代という人生の山登りの何合目かを、一歩一歩着実に歩んでほしいと思います。
2学期は様々な行事があります。9月には文化祭がありますし、10月には2年生が修学旅行に行きます。それぞれの行事で、準備や練習等で忙しい日々が続くと思いますが、しっかりと取り組んでください。
学校は集団生活を送るところです。集団生活には「窮屈感」がつきものです。しかし、その集団生活の中で感じるゆとりのない「窮屈感」こそが、喜びも悲しみも共に分かち合ってきたという「連帯感」を生みます。また、そのゆとりのなさの隙間で垣間見た友人の素顔や、それまで気づかなかった自分の新たな姿が、いつまでも忘れられない思い出となり、自分の大切な宝物となるのです。「ネット社会」では決して経験できない、本物の学校生活を生き生きと送ってください。
2つ目の話は、「安心・安全がリスクを招く」という話をします。
私たちは、安全なところでは事故や災害が少なく、危険なところでは事故や災害が多いと考えます。だから、事故・災害を減らすには危険を取り除き、安全を高めればよいと考えます。ところが、必ずしもそうとは限らないという話をします。これは、逆説(パラドックス)です。
交通事故について考えてみます。
例えば、見通しの悪い曲がりくねった道があるとします。ドライバー泣かせの道です。この道を直線にすれば交通事故は減るでしょうか。ドライバーは、見通しの悪い道路では慎重な運転を心がけますが、見通しの良い真っすぐな道路に出た途端に「安全」を感じ、緊張から解放されて注意力が散漫になり、その結果、「安心」してスピードを上げてしまいます。
事故が多発する交差点があるとします。そこに信号機を設置すれば、安全を確保できるでしょうか。ドライバーは、交差点に信号機が設置されると「安全」になったと勘違いし、それまで励行していた左右の確認を怠りがちになります。
近年、画期的な技術が開発されています。例えば、
①車線をはみ出しそうになると注意喚起の警報を発するシステム
②居眠り運転を教えてくれるシステム 等です。
前方の障害物をレーダーが検知すると自動的にブレーキがかかるシステムは既に実用化され、テレビのコマーシャルで宣伝しています。これらのシステムが普及すれば、交通事故は減るのでしょうか。
運転技術の向上も同じです。運転がうまくなったと思ったドライバーは、以前よりもリスクの高い運転をするようになり、交通事故の確率はかえって上昇します。
このように、私たちは「安全」を感じると「安心」して行動を変え、自ら事故のリスクを作り出し、自らリスクに身をさらすことになるという訳です。交通事故の確率は、道路環境の良否、自動車安全システムの実用化のレベル、運転技術の高低には左右されず、人が「安心・安全」を感じる程度に応じて高くなるということです。
防災も同じです。危険個所の点検・整備や防災訓練・避難訓練は絶対に必要です。しかし、防災で最も大切なことの一つは、「もうこれで大丈夫」と安心するその意識の中にリスクが潜んでいることを認識し、自分の命は自分で守るという「自助」の精神を持つということです。この「命の自己管理」をよく覚えておいてください。
以上、「ネットではなく現実の中で自分の人生を生きる」「安心・安全がリスクを招く」という、2つの話をしました。
最後に、3年生に言います。夏休み中は、自分の将来を思い描きながら、進路について真剣に考え、勉学に励んだことと思います。「自分の人生は自分で責任を持つ」との姿勢で、進路選択という大きな人生課題に対し、妥協することなく、真摯に向き合い続けてください。
まだまだ暑い日が続きそうですが、やがて暑さも和らぎ、季節は秋を迎えます。何をするにも絶好の季節を迎えます。更なる成長と団結の2学期となることを願い、2学期始業式の話とします。
2015年8月25日 東 則尚
2年生 田中琴葉さん
8月1日滋賀県野洲市の野洲文化ホールで開催された、第39回全国高等学校総合文化祭滋賀大会 吟詠剣詩舞部門に三重県選抜として出場しました。
本県出身北海道の名付け親「松島武四郎の生涯」を吟じました。
第11回ニット展(2015年)
2015年の7月29日(水)~8月2日(月)に11回目となるニット展(KNIT展)が行われました。伊賀・名張の5高(上野・白鳳・名張・桔梗・桜丘)が集まって、生徒主体で行われています。
○初期にニット展に参加した卒業生も、赤ちゃんを連れて観に来てくれました。(写真1)
○展示会場の下の1階では、校長先生や作品の講評をしてくださった大学の先生を招き、オープニングセレモニーがあります。(写真2)
○デッサン会も高文連の行事としてやっています。(写真3)
○卒業生がモデルになってくれています。なつかしい顔がそろいます。(写真4)
ニット展(写真1) ニット展(写真3)
ニット展(写真2) ニット展(写真4)
2015年上野高校美術部夏合宿in神島
○8月17日(月)~19日(水)絶海の孤島といわれる鳥羽港沖の神島に合宿へ行きました。島を2時間かけてひとまわり。まだ元気です(写真1)
○島の反対側はきれいな砂浜です。三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台にもなりました。
○見晴しのよい高台でスケッチします。(写真3)
○朝から晩までスケッチ・油絵制作します。写真は早朝の海のスケッチ。(写真4)
○夜は、作品講評会をします。緊張しながら楽しい会です。(写真5)
合宿(写真1) 合宿(写真2)
合宿(写真3) 合宿(写真4)
合宿(写真5)
夏期講習Ⅰ期の最終日である7月25日(土)の午後、浴衣でお稽古を行いました。
部員の保護者をお招きし、呈茶を行いました。保護者の方々には、普段のお稽古の様子を見ていただきました。
2・3年生は8月にある伊賀地区の学校茶道研修会や9月の文化祭でのお稽古を中心とし、1年生は割り稽古をしました。
今日のお菓子はくらさか風月堂さんの「夏木立」。水指はガラス製。軸は「瀧」です。
土用に入り猛暑の中でしたが、ほんの少し涼を感じるお稽古となりました。
7月13日(月)の3・4限目に2年生対象の進路LHRである「大学出張講義」を実施しました。講師は大阪大学・大阪市立大学・三重大学・立命館大学・畿央大学・大阪樟蔭女子大学の各学部の先生方計10名です。2年生は実際の大学の講義を通じ、学問の面白さや社会とのつながりなど多くの事を感じ取っていました。
低温の世界で起こる様々な 「記憶の不思議」の講義より
不思議なことに歓声が起こ 生徒たちは面白そうに活動し
りました ていました
6月24日(水)6限目
2学年では、1学期に人権学習で取り組んできた沖縄の調べ学習について、各クラスでまとめのプレゼンを行いました。
修学旅行へ向けて、「沖縄戦の実態と傷跡」「沖縄米軍基地をめぐる諸問題」「尖閣諸島をめぐる領土問題の今」の3つのキーワードのうち1つをテーマとして選択し、それに関して情報を収集した後、班で1枚のポスターを仕上げ、それをもとに発表しました。
クラス全員の前で緊張しながらも、自分たちで調べたこととそれを通して考えたことを、一生懸命伝える姿勢が見られました。
26日には他のクラスのポスターもすべて見て、学年間で交流を行いました。互いに学び合いながら、修学旅行で自分の目で確かめてきたいことを、改めて考えてほしいと思います。
アメリカのペンシルバニア州に、イタリア移民がつくった住民同士の連帯感が非常に強いロゼトという町があり、その町では心臓病による死亡率が大変低かったそうです。ところが、時代が進んでロゼトが普通の町と化していくにつれて住民同士の連帯感も弱まり、心臓病の死亡率も他の町と変わらなくなったそうです。
私たちは毎日、互いに頼ったり、頼られたりして暮らしています。時には迷惑をかけたり、迷惑をかけられたりもします。このような双方向の関係を嫌がり、過度な自立意識を振りかざして強がっていては連帯感など生まれません。パソコンやスマホが普及して、隣で仕事をしている同僚に口で言えばよいのにメールで用件を伝えるとか、1年経っても名前の分からないクラスメートがいるとか、人間関係の在り方が徐々に変化してきている例は枚挙に暇がありません。
そうではなく、私たちの日常には、「あなたのおかげで助かった。」「あなたがいるので何とかやっていける。」と言い合える関係がもっとあってもよいのではないか。当たり前のように助け合い、つながり合い、共存して生きていく力、すなわち、共生社会を築いていく力こそ、今求められる「生きる力」だと言いたいのです。
そのためには先ず、他人が捨てたゴミでも拾う。高齢者には電車の席を譲る。先に道を譲る。段差で動けない車椅子の人がいれば、すすんで手を差し伸べることです。これらのことは、「何故、自分がこんなことをしなければならないのか。」という気持ちを乗り越えなければできません。「何故、自分だけが」という気持ちがある限り、他者とつながり合うことなどできないのです。
学校も同じです。「自分の仕事」と「他者の仕事」の間にある「誰の責任でもない仕事」は最初に気づいた者が片付ける。「自分の仕事」なのか「他者の仕事」なのか判断に迷う仕事はさっさと自分が引き受ける。「自分のために」から「他者のために」へ、「他者の幸せは自分の幸せ」、それが共生社会の基本ルールだと思うのです。そして、このような基本ルールによって築かれていく共生社会では、「孤立」に陥る者などいるはずはなく、「依存」から「共存」へ、そして「自立」へという道筋のなかで、一人ひとりが「生きる力」を身に付けていくのだと思うのです。
春爛漫の中で始まった1学期も、厳しい暑さの中で終わろうとしています。明日からの夏休み、時間と健康の自己管理をきちんと行い、「成長の夏」にしてください。
以上で、1学期終業式の話を終わります。
2015年7月17日 東 則尚
当校は、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を文部科学省よりいただいております。