昭和26年の文化祭① パンフレットの目次
(2012.11.24/10:16公開)
名張高校が伝統校であることの証左です。
表題の文書を、外部の方から贈って頂きました。
名張高校は、1948年に創立された学校です。今年で65年目です。
それまでの「三重県立名賀農学校」「三重県立名張高等女学校」が統合されて、新制高校としてスタートしました。敷地・校舎は農学校のものを引き継ぎました(女学校の敷地・校舎は、名張中学校へ)。
前身の名賀農学校(名賀郡立農学校)の創立は、1916(大正5)年です。第一次世界大戦(1914~18年)の最中で、日本は好景気に沸いていました。
この名賀郡立農学校の創立から、今年で97年目を迎えています。
現在の名張市には高校は4校(名張桔梗丘高校、名張西高校、近畿大学工業高等専門学校、名張高校)ありますが、1951年当時、現在の名張市域には、高校は名張高校しかありませんでした。
名張高校の創立4年目、1951(昭和26)年12月に行われた文化祭の冊子です。
B5版、5枚綴じ、青刷り単色(表紙のみ青&赤刷り)です。
時代は、第二次世界大戦の終戦後6年目で、当時の本校生の全員が(当然ながら)戦争体験者でした。
この年の9月にはサンフランシスコ平和条約が調印(日本と48ヶ国)され、日本と連合国との戦争状態が終わり、翌1952年4月の条約発効を待つばかりの時期でした。しかしまだ条約が発効していない時期なので、日本にはアメリカ中心の連合国軍が常駐する「独立していない状態」でした。
景気は良かったです。朝鮮戦争(1950~50年)による「特需」で、1951年は鉱工業生産が戦前の水準を超えた年でもありました。
「名張市」は、まだありませんでした。市制施行は、1954年3月です。
名張高校が立地する周辺の行政区は、「名張町」でした。
冊子の一部を、この場に載録します。
全9ページです(裏表紙のみ白紙)。
全て手書きです(活字ではありません)。
<1ページ目(表紙)>
文化祭
12.DEC.1951.
(*絵=省略、「M.IMA」のサインあり)
名張高等学校
<2ページ目>
12月1日
8時30分 開会式
9時20分~12時30分 中学校招待弁論大会(講堂)
13時~16時 演劇(講堂)
12月2日
10時~12時 猪木京大教授講演(講堂)
13時~16時 演劇(講堂)
13時~15時 学術研究発表会
両日共 9~16時迄 展示及品評会 入場自由
<3ページ目>
文化祭 目次
日時 12月1日→2日 両日共 自午前8寺30分 至午後4時0分
1.展示の部
(イ)書道クラブ展
(ロ)美術 〃
(ハ)化学 〃
(ニ)史学 〃
(ホ)地学 〃
(ヘ)社会 〃
(ト)生物クラブ展
(チ)物理 〃 展
(リ)生花 〃 展
(ヌ)農業コース展
(ル)家庭 〃
(オ)商業コース展
2.學芸行事の部
(イ)演劇
1.湖の娘・・・・・・・・一年生
2.マクベス・・・・・・・二年生
3.亀 裂・・・・・・・・・三年生
4.光地に満ちて・・定時制
5.その他
(ロ)中学校招待辨論会
(ハ)学術研究発表会
(二)講演会 猪木京大教授「現代の思想と政治」
3.其の他
(イ)特別展示
(ロ)バザー
(ハ)農産物品評会
審査委員長 三重縣農業試験場長
会場案内
(*校内地図=省略)
[写真は、昭和26年の名張高校の文化祭パンフレット表紙(1ページ目)]
(2012.11.21撮影)
[写真は、昭和26年の名張高校の文化祭パンフレット2~3ページ目]
(2012.11.21撮影)