沖縄修旅05 摩文仁-沖縄戦最後の地
(2012.11.20/20:12公開)
一行は、「ひめゆりの塔」の後、同じ糸満市の「沖縄県平和祈念資料館」に向かいました。
館内では、平和に関するご講演を拝聴し、館内展示も観ました。
沖縄戦当時の不発弾が展示してあり、驚きました。
資料館を含む一帯は糸満市摩文仁(まぶに)地区で、1945年4~6月の沖縄戦において、日本軍(第32軍)の本営が首里城から撤退した後に、移ってきた地です。
資料館からさらに海側に進んだ所に、第32軍の本営が置かれた壕が現存しています。
1945年6月23日、その司令部壕で牛島満軍司令官と長勇参謀長が自決して、軍としての組織的な戦闘が終わりました。
資料館前には、沖縄戦の戦没者の名前を刻した「平和の礎(へいわのいしじ)」があります。
下掲写真は、三重県出身の戦没者の名前を刻した礎です。
実際の戦闘が行われていた67年前の、この付近の緊張感は、どのようなものだったのでしょうか?
摩文仁の海に浮かぶ敵艦を眺めながら、絶望的な状況に追い込まれていた当時の人びとの気持ちや緊迫感は到底想像しえませんが、知ろうとする姿勢が大切なのではないかと感じました。
[写真は、沖縄県糸満市の沖縄県平和祈念資料館に展示されている不発弾]
(2012.11.20/15:45撮影)
[写真は、沖縄県糸満市の「平和の礎」の三重県戦没者の礎]
(2012.11.20/17:13撮影)
[写真は、沖縄県糸満市の平和祈念公園]
(2012.11.20/17:21撮影)
[写真は、沖縄県糸満市の平和祈念公園]
(2012.11.20/17:36撮影)
[写真は、沖縄県糸満市の平和祈念公園]
(2012.11.20/17:43撮影)