上野高校 明治校舎

 

 

 

 

 

 

[写真は、伊賀市の三重県立上野高等学校「明治校舎」の廊下]
(2012.11.10撮影)

 

 (ソフトボール部の顧問が執筆)

 三重県立上野高等学校は、伊賀地区および三重県屈指の伝統校です。
 1899(明治32)年に三重県第三尋常中学校として開校し、翌1900(明治33)年に、現在の「明治校舎」が建てられました。

 

 名張市では屈指の伝統校と言われてきた、我が名張高校の前身校の一つである「名賀郡立農学校」の創立は1916(大正5)年ですから、それより17年早く、その歴史が始まったことになります。

 

 上野高校・明治校舎は、現在、三重県指定有形文化財に指定されています。
 前に広がるグラウンドは、上野高校ソフトボール部の専用の練習場です。

 

 名張高校ソフトボール部は、毎月、この場に月例レポートを寄稿させて頂いています。
 経緯はそこに詳しく記述していますが、名張高校ソフトボール部は部員数が少数のため、昨年7月から同じ境遇の上野高校ソフトボール部と合同チームを組んで、対外試合を行っています。
 つまり現チームと、前チームで、週末等の行動を共にしています。

 

 公式戦における合同チームの出場は、従来の秋季大会に加えて、今年(2012年)4月より高体連主催の3大大会(春季大会・県総体・新人大会)でも認められるようになりました。ただし初戦のみの出場に限ります(勝利しても次戦には進めないルール)。
 この規定の下で、今年4月、三重県史上はじめて合同チームとして高体連主催の公式戦に出場したチームこそ、私たち「上野・名張高校」です。
 詳細は、月例レポートをご覧下さい。

 

 昨日(2012.11.10)の午後、明治校舎の前のグラウンドで、合同練習を行いました。
 敷地の外から校舎を鑑賞しようとする観光客の視線に、毎回のようにさらされます。
 練習に没頭すると気にする余裕はありませんが、「練習の品格」も問われているような気持ちです。
 これも伝統の力でしょうか。

 

 私たちは、このグラウンドでは稀にしか練習をしないので、来る度に「この白亜の文化財の前で練習するのだなぁ」という感慨がありますが、毎日ここで練習する上野高校の選手には、あたりまえの日常の光景なのだと思います。
 今回の練習後、この明治校舎の前で、合同チームの選手9名の集合写真を撮りました。

 

 ちなみに年度当初、上野高校では新任の職員を交えた全職員で、この校舎を背景に集合写真を撮るようです。
 (2012年春、名張高校から上野高校へ、3名の教職員が異動しました。)

 

 蛇足ですが、筆者は神奈川県三浦郡葉山町の出身です。
 わが郷里を舞台にした短編小説『春は馬車に乗って』(1926年)の作者・横光利一(1898~1947年。若年時、現在の伊賀市柘植に居住していた)は、「第三尋常中学校」時代の明治校舎で学んでいます。
 彼は1911年に、第三中学校に入学しました。

 

 『春は馬車に乗って』は現在、著者の没後50年が経過していますので著作権が消滅しており、インターネット上の無料サイト「青空文庫」で読むことができます。
 小説の舞台は大正時代の神奈川県・相模湾ですが、小説の中で描かれた彼の異性観や死生観のいくつかは、明治時代の第三中学校在学期あるいは柘植在住期に育まれたものです。
 少し大げさに言えば、明治校舎も、その一端に関わっていると言えます。

 

 現在、この校舎では授業は行っていません。
 文化系のクラブの活動場所になっています。
 昨日の私たちの練習中に、グラウンド側の門扉が開いて、吹奏楽部の生徒がコントラバスの演奏の練習をしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[写真は、三重県立上野高等学校「明治校舎」の外観、最下段に写る5人は名張高校の選手]
(2012.11.10撮影)




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