上野高等学校 校歌
山口誓子作詞
信時潔作曲
伊賀の平の 道遠く
通ひ来りて 丘の上の
学び舎ここに 寄り集ふ
髙き教を 仰ぐため
城の石垣 底深く
濠に据ゑたる さまを見る
崇廣堂を 庭つづき
学のしづけき さまを見る
四方を囲める 山々も
丘に登れば 低く見ゆ
吾等の望み 山々を
越えて溢れて 外に出ん
昭和30年浅春、上野高校第6回卒業式が行われました。この卒業式で初めて「上野高校校歌」が斉唱されました。
前年の12月12日にでき上がり、18日のホームルームの時間に校内放送で全校に初めて曲が流れました。30年の2月13日に「校歌」、「学生歌」の制定発表会が行われました。
昭和23年に新制高校になってから校歌がありませんでしたが次第に作成の機運が高まり、生徒会にも「校歌制定準備委員会」が発足し、第6回卒業生の寄付が制定の費用に充てらました。
作詞を依頼した俳人山口誓子さんは、来校された折、人影のない第二グラウンドで厳しく孤高の雰囲気を漂わせて随分長い間、身じろぎもせず詩想を練っておられたといいます。その詩を持って当時の今鷹瓊太郎教諭が上京して信時潔さんに作曲をお願いしました。その一週間後、曲が付けられ、待望の校歌が誕生しました。
前年の12月12日にでき上がり、18日のホームルームの時間に校内放送で全校に初めて曲が流れました。30年の2月13日に「校歌」、「学生歌」の制定発表会が行われました。
昭和23年に新制高校になってから校歌がありませんでしたが次第に作成の機運が高まり、生徒会にも「校歌制定準備委員会」が発足し、第6回卒業生の寄付が制定の費用に充てらました。
作詞を依頼した俳人山口誓子さんは、来校された折、人影のない第二グラウンドで厳しく孤高の雰囲気を漂わせて随分長い間、身じろぎもせず詩想を練っておられたといいます。その詩を持って当時の今鷹瓊太郎教諭が上京して信時潔さんに作曲をお願いしました。その一週間後、曲が付けられ、待望の校歌が誕生しました。