1学年 百人一首大会

3月17日(木)に上野高校の1年生が1グループ7人に分かれ、「百人一首大会」を行いました。生徒は1枚の札に白熱し、楽しんでいました。

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結果は以下の通りです。

クラス  1位 1年7組

     2位 1年5組

     3位 1年3組

個人  1位 冨澤有佐さん(1年7組)

    2位 森林夏強くん(1年5組)

    3位 權蛇由夏さん(1年3組)

    4位 菅 美帆さん(1年5組)

    5位 藤本有見加さん(1年2組)

    6位 幾世冬悟くん(1年7組)

    7位 古川明香里さん(1年3組)

    8位 大櫃温仁くん(1年7組)

    8位 加藤大暉くん(1年7組)

    10位 西前千都世さん(1年5組)

    10位 堀川出帆くん(1年7組)

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1学年進路LHR 「卒業生による進路講話」

進路講話 進路講話

3月14日(月)の5・6時間目に1年生対象の進路LHRである「卒業生による進路講話」を実施しました。

講師は大学1年生から4年生までの本校卒業生8名です。

大学生活の様子や学問の面白さ、就職や研究などの将来に向けて頑張っていることなどを聞き、大学受験や将来に向けて多くの事を感じ取っていました。

平成27年度卒業式 式辞(定時制)

今日から弥生三月。天地自然の営みが、風光る春の訪れを予感させる今日の良き日、御来賓の皆様、卒業生の保護者の皆様の御臨席のもと、平成二十七年度卒業式を挙行できますことは、私共のこの上ない喜びであり、誠に嬉しく存じます。本校を代表し、深く感謝申し上げます。

 高等学校卒業という人生の大きな節目を迎え、未来に向かって羽ばたこうとしている11名の皆さん、卒業おめでとう。希望と不安が惜別の思いに交錯し、複雑な気持ちの中で爽やかな清新さを感じる、そんな心境ではないかと思います。皆さんは四年間、勉学は勿論、学校行事や生徒会活動その他さまざまな活動に取り組み、上野高校定時制の歴史に新たな一ページを書き加えてくれました。皆さん一人一人の努力に、称賛の拍手を送りたいと思います。そして、私たち教職員に多くの感動と、この学校で勤務する喜びを与えてくれたことに、心から感謝します。本当にありがとう。

 そして、皆さんを支えてくれた多くの人々、ことに皆さんの成長を心待ちにし、深い愛情で見守っていただいた保護者の皆様に、心よりの敬意と感謝の気持ちを込めて、お祝いの言葉を申し上げたいと存じます。「保護者の皆様、本日はお子様のご卒業、誠におめでとうございます。」今日のお子様の姿をご覧になり、さぞかし感慨もひとしおのものがおありであろうと拝察いたします。心からお喜び申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん。皆さんは今、卒業を機に大きな一歩を踏み出そうとしています。どうか、夢に向かって初志貫徹を果たしてください。一方で、挑戦はしたものの希望の実現には結び付かなかった人もいます。卑屈になる必要はありません。若い頃の志を貫ける人はそう多くはないのです。長い人生の中では、環境の変化で、あるいは自分の心境の変化で方向転換することもあります。

 どのような道を歩むにせよ、高校を卒業するということは、責任ある存在として社会に認知されるということです。今後は、責任に裏打ちされた行動が一層求められます。自己責任の重さは、今までとは比べようがないものになります。

 高等学校卒業。それは、人に愛される自分から、人を愛する自分に変わる時です。甘えと決別し、感謝の心で一人立ちをする時です。そして、学ぶべきことを与えられる自分から、何を学ぶべきかを自分で考え、自力で学ぶ自分に変わる時です。いかなる状況にあっても、どんな人生を生きようとも、学ぶことに終わりはありません。生涯、辞書を引き続けてください。常に新しい知識を学び、知ることに終わりなきことを肝に銘じてください。

 皆さんは若い。「若い」という字は「苦しい」という字に似ています。苦難は誰にでもあります。そして、年齢と共に増えていくものです。しかし、若い皆さんの苦しみは、もう一歩で、もう少し縦の一画を横にそらすことで、「若さ」即ち「成長の可能性」を秘めています。私はそこに「若さ」のしなやかさを感じ取ります。

 苦しい時は、闇の中にいるようで、それが永遠に続くような気がします。しかし、そうではありません。冬は必ず春になります。冬の寒さを知る人だけが、暖かい春の幸せを実感できます。誰よりも苦しんだ人が、誰よりも人の心が分かる人になれるのだと思います。私はそこに「苦しみ」の希望を感じ取ります。

 昨年、ワールドカップ2015イングランド大会で、優勝2回の強豪・南アフリカを破る大躍進を果たしたラグビー日本代表。その勝利はラグビー史上最大の“番狂わせ”と言われ、日本のみならず全世界を感動の渦に巻き込みました。日本代表の主将を務めたリーチ・マイケル選手は、「たまたま勝てたわけではない。相手の調子が悪かったからでもない。課題を明確にし、緻密に練られた“世界一厳しい練習”をしてきたからだ。」と断言します。

 3点リードされて迎えた試合終了間際、南アフリカの反則で、敵陣ゴール前でのペナルティーゴールを決めれば同点に追いつくチャンスを得た時、決断を委ねられたリーチ主将は、迷うことなく、ペナルティーキックではなく逆転トライを狙うスクラムを選択します。「冷静に粘り強くプレーすれば、この試合は絶対に勝てると確信していました。『必ず勝つ』と決めて準備してきたからです。」と振り返ります。

 「苦難こそ希望の証。ピンチは飛躍の踏み台。」この醍醐味を知るとき、人生は強く、明るく、生きるに値するものとなります。

 さあ、卒業生の皆さん。船出です。帆を張り、大海原に船を漕ぎ出す時です。東に進むのか、西に進むのか、決めるのは海の風ではありません。帆のかけ方です。皆さん自身の心の構えです。海は凪か時化か。運命の風に翻弄されてはいけません。海図を読み、位置を確かめ、目指すゴールを見定め、仲間と交信しながら、智恵と勇気で疾風怒濤の中を乗り越えていってください。そして、陸で無事を祈る大切な人々に連絡を怠ることなく、時には魚と戯れ、時には夜空の星の瞬きに心をときめかせ、人生の航海日記に書き込みを続けていってください。

 最後になりましたが、御多用の中、御臨席賜りました御来賓の皆様方、本日は誠に有難うございます。これからも本校に温かい御支援を賜り、卒業生、在校生を見守って頂きますようよろしくお願い申し上げます。

 卒業生11名の船出を祝い、前途に幸多かれと祈りつつ、式辞と致します。

2016年3月1日 東 則尚

第67回卒業証書授与式 式辞

 今日から弥生三月。天地自然の営みが、風光る春の訪れを予感させる今日の良き日、多数の御来賓の皆様、卒業生の保護者の皆様の御臨席のもと、平成27年度卒業式を挙行できますことは、私共のこの上ない喜びであり、誠に嬉しく存じます。本校を代表し、深く感謝申し上げます。

 高等学校卒業という人生の大きな節目を迎え、未来に向かって羽ばたこうとしている283名の皆さん、卒業おめでとう。希望と不安が惜別の思いに交錯し、複雑な気持ちの中で爽やかな清新さを感じる、そんな心境ではないかと思います。皆さんは三年間、勉学は勿論、学校行事や部活動その他さまざまな場面において素晴らしい成果を残し、上野高校の歴史に新たな一ページを書き加えてくれました。何事にも一生懸命な誠意溢れる姿勢で取り組まれた皆さんの努力に対し、称賛の大きな拍手を送りたいと思います。そして、私たち教職員に多くの感動と、この学校で勤務する喜びを与えてくれたことに、心から感謝します。本当にありがとう。

 そして、皆さんを支えてくれた多くの人々、ことに皆さんの成長を心待ちにし、深い愛情で見守っていただいた保護者の皆様に、高い所からではございますが、心よりの敬意と感謝の気持ちを込めて、お祝いの言葉を申し上げたいと存じます。「保護者の皆様、本日はお子様のご卒業、誠におめでとうございます。」今日の我が子の姿をご覧になり、幼かった頃に思いを馳せ、さぞかし感慨もひとしおのものがおありであろうと拝察いたします。心からお喜び申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん。皆さんは今、自分の夢を実現すべく、卒業を機に大きな一歩を踏み出そうとしています。どうか、夢に向かって初志貫徹を果たしてください。一方で、挑戦はしたものの希望の実現には結び付かなかった人もいます。卑屈になる必要はありません。若い頃の志を貫ける人はそう多くはないのです。長い人生の中では、環境の変化で、あるいは自分の心境の変化で方向転換することもあります。

 どのような道を歩むにせよ、高校を卒業するということは、責任ある存在として社会に認知されるということです。今後は、責任に裏打ちされた行動が厳しく求められます。自己責任の重さは、今までとは比べようがないものになります。

 十八歳、卒業の時。それは、親に愛される自分から、親を愛する自分に変わる時です。甘えと決別し、感謝の心で一人立ちをする時です。そして、学ぶべきことを与えられる自分から、何を学ぶべきかを自分で考え、自力で学ぶ自分に変わる時です。いかなる状況にあっても、どんな人生を生きようとも、学ぶことに終わりはありません。生涯、辞書を引き続けてください。常に新しい知識を学び、知ることに終わりなきことを肝に銘じてください。

 皆さんは若い。「若い」という字は「苦しい」という字に似ています。苦難は誰にでもあります。そして、年齢と共に増えていくものです。しかし、若い皆さんの苦しみは、もう一歩で、もう少し縦の一画を横にそらすことで、「若さ」即ち「成長の可能性」を秘めています。私はそこに「若さ」のしなやかさを感じ取ります。

 苦しい時は、闇の中にいるようで、それが永遠に続くような気がします。しかし、そうではありません。冬は必ず春になります。冬の寒さを知る人だけが、暖かい春の幸せを実感できます。誰よりも苦しんだ人が、誰よりも人の心が分かる人になれるのだと思います。私はそこに「苦しみ」の希望を感じ取ります。

 昨年、ワールドカップ2015イングランド大会で、優勝2回の強豪・南アフリカを破る大躍進を果たしたラグビー日本代表。その勝利はラグビー史上最大の“番狂わせ”と言われ、日本のみならず全世界を感動の渦に巻き込みました。日本代表の主将を務めたリーチ・マイケル選手は、「たまたま勝てたわけではない。相手の調子が悪かったからでもない。課題を明確にし、緻密に練られた“世界一厳しい練習”をしてきたからだ。」と断言します。

 3点リードされて迎えた試合終了間際、南アフリカの反則で、敵陣ゴール前でのペナルティーゴールを決めれば同点に追いつくチャンスを得た時、決断を委ねられたリーチ主将は、迷うことなく、ペナルティーキックではなく逆転トライを狙うスクラムを選択します。「冷静に粘り強くプレーすれば、この試合は絶対に勝てると確信していました。『必ず勝つ』と決めて準備してきたからです。」と振り返ります。

 「苦難こそ希望の証。ピンチは飛躍の踏み台。」この醍醐味を知るとき、人生は強く、明るく、生きるに値するものとなります。

 さあ、卒業生の皆さん。船出です。帆を張り、大海原に船を漕ぎ出す時です。東に進むのか、西に進むのか、決めるのは海の風ではありません。帆のかけ方です。皆さん自身の心の構えです。海は凪か時化か。運命の風に翻弄されてはいけません。海図を読み、位置を確かめ、目指すゴールを見定め、仲間と交信しながら、智恵と勇気で疾風怒濤の中を乗り越えていってください。そして、陸で無事を祈る大切な人々に連絡を怠ることなく、時には魚と戯れ、時には夜空の星の瞬きに心をときめかせ、時には故郷に思いを馳せ、人生の航海日記に書き込みを続けていってください。

 最後になりましたが、御多用の中、御臨席賜りました御来賓の皆様方、本日は誠に有難うございます。これからも本校に温かい御支援を賜り、卒業生、在校生を見守って頂きますようよろしくお願い申し上げます。

 卒業生283名の船出を祝い、前途に幸多かれと祈りつつ、式辞と致します。

2016年3月1日 東 則尚

理数科 Mie-SSHおよびSSH生徒研究成果発表会

Mie-SSH及びSSH生徒研究成果発表会に理数科1年生40名と2年生10名が参加しました。

本年度の発表会の司会者を本校の生徒がつとめました。 

最初にポスター発表がありました。

理数科1年生の5名が昨年8月に三重大学伊賀研究拠点で行った「夏期高大連携実験実習~紅花染めと色素~」について発表をしました。

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次に生徒成果発表がありました。

理数科2年生の5名×2グループが課題研究で行った「ブラックジャック必勝法」と「液体と気温がもやしの育ち方に与える影響」について発表しました。

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理数科1年生40名にとっては来年度に行う課題研究についての概容をつかみました。

U-KNIT展 展示(美術部)

 2015年12月19日(土)~23日(祝)に上野ガスフラムで上野高校は
伊賀・名張の美術部の合同展「ユニット展」に参加しました。たくさんの方にきていただきました。
上野高校の先輩にもあたる伊賀市長の岡本栄さまにもきていだき、盛況のうちに終わることができました。ありがとうございました。

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3学期始業式(定時制)

 あけましておめでとうございます。2016年となり、学校も3学期が始まりました。どんな気持ちで新年を、新学期を迎えたでしょうか。

 3学期は大変短い学期です。一日一日を大切に過ごし、それぞれの学年をきちんと締めくくり、卒業・進級を果たしてください。

 

 昨年末、買い物に出かけた時のことです。あるコンビニに入ったら、2人のアルバイトらしき若い店員さんがいました。代金を支払ってレシートを受け取った時も、店を出る時も、店員さんは「ありがとうございました。」とは言いませんでした。店に入った時も「いらっしゃいませ。」という言葉がなかったことも思い出しました。「コンビニは便利を売る店だから、欲しい物を買えただけで十分ではないか。」とはとても思えず、やや気分を害したまま、次に行きつけのガソリンスタンドに行きました。そのガソリンスタンドは、機械にカードと代金を入れて自分で給油するセルフサービスの店です。店員はいるのですが、接客業務はしていません。帰宅する車の中で、「何かおかしい。人がいるのに言葉がない。」と思ったのです。

 

 セルフサービスの発祥地はアメリカです。アメリカは多民族国家で言葉の通じない人が多いため、人と話さなくても済むセルフサービスが広まったと聞いたことがあります。日本でもセルフサービスは普及していますが、その理由は、アメリカのような言葉の問題ではなく、おそらく人件費の抑制という経営上の問題と、「煩わしさを避けたい。」という現代人の意識もその理由ではないかと思います。

 セルフサービスは、コンビニやガソリンスタンドだけではありません。電車の切符、食堂の食券、銀行のATM、さらにはネットショッピングなど、どうやら私たちは、人と関わりを持たなくてもそれほど不都合なく消費生活ができる社会に生きているようです。これは、ある意味では社会の進歩なのかもしれませんが、人がいるのに話さない、話さなくても不都合がないという状況は、本当に良いことなのかどうか。皆さんはどう思いますか。

 

 一般に、仕事では、「仕事に関係のない余計な話はしない方が良い」とされています。必要なことだけを分かりやすく簡潔に話すことが重要です。しかし、必要なことだけを話すだけでは、必要なことは伝わらないことがあります。

 私たちは、普段のコミュニケーションを通して「内容」だけではなく「気持ち」も伝えています。そしてこの「気持ち」が伝わらないと、相手から「内容」についての本当の了解は得られないような気がします。「きちんと伝えたと思ったのに何故か伝わっていなかった」というときは、「気持ち」が相手に届いていなかったからではないか。何年も付き合っている友人や家族ですら、「気持ち」が理解されないと会話は成立しないものです。

 そういう意味では、メールだけで正確に仕事を進めるのは極めて難しいと言えます。書き言葉によるメールのやりとりは、無駄がそぎ落とされ、端的できつい表現になりがちです。書き言葉だけでは微妙なニュアンスが伝わらず、直接会って話をすれば簡単にまとまることでも困難を極めることがあります。

 問題は、「相手に伝えたかどうか」ではなく、「相手に伝わったかどうか」です。皆さんも「言った、言わない」の水掛論を何度も見聞きしたと思いますが、だから書き言葉で伝える方が良いということを言いたいのではありません。「相手に伝わった」と確信を持てるだけの「伝えようとする気持ち」があるかどうかということに加え、私が言いたいのは、「日頃、どれだけ雑談をしているか」ということが、正確に伝えるための伏線になっているのではないかということなのです。「無駄の効用」です。お互いの気持ちを理解し合う会話・対話が、もっともっと必要だと思うのです。皆さん、いろんな人といろんな話をしてください。

 

 これで、3学期始業式の話を終わります。

2016年1月8日 東 則尚

3学期始業式

 あけましておめでとうございます。2016年となり、学校も3学期が始まりました。どんな気持ちで新年、新学期を迎えたでしょうか。

 3学期は短い学期です。3年生の登校日は今日を含めてあと20日しかありません。1・2年生も2ヶ月と少しで本年度の修了です。一日一日を大切に過ごし、それぞれの学年をきちんと締めくくり、卒業・進級を果たしてください。

 

 今から22年前、私は本校で2年5組の担任をしていました。その時に、学級通信で生徒たちに紹介した文章を皆さんにも紹介したいと思います。その文章は、1973年に当時67歳だった北代さんという方が、識字学級に通い、そこで初めて文字の読み書きを覚え、書いた文章です。識字学級というのは、差別や貧困のために学校教育を受けられず、読み書きの能力を身に付けられなかった人が、その能力を取り戻すために行われる学習会のことです。昭和30年代の後半に福岡県から始まり全国に広まったと言われています。

 「わたくしはうちが貧乏であったので学校へ行っておりません。だから字を全然知りませんでした。今、識字学級で勉強してかなは大体覚えました。今までお医者へ行っても受付で名前を書いてもらっていましたが、試しに自分で書いて試してみました。看護婦さんが北代さんと呼んでくれたので大変嬉しかった。夕焼けを見てもあまり美しいと思わなかったけれど、字を覚えて本当に美しいと思うようになりました。道を歩いておっても看板に気を付けていて習った字を見つけると大変嬉しく思います。数字を覚えたのでスーパーや木曜市へ行くのも楽しみになりました。また旅館へ行っても部屋の番号を覚えたので恥もかかなくなりました。これからは頑張ってもっともっと勉強をしたいです。10年長生きをしたいと思います。」(原文の一部を漢字表記)

 文字を獲得するまでの約70年、北代さんはどのような生活を送ってこられたか想像してみてください。例えば、北代さんも書いておられるように、病院へ行っても受付で名前を書くことができず、買い物に行っても計算ができない。電車やバスに乗る時に行き先が分からない。自動車の運転免許を取りたくても、選挙に行きたくても字を書くことができないので諦める等。このように、文字を知らないと人として必要な最低限の生活を奪われることになるわけです。

 私が今日、皆さんに特に考えてほしいと思うのは、夕焼けを見てもあまり美しいと思わなかった北代さんが、「夕焼け」という字、「美しい」という字を知ることによって初めて「夕焼けが美しい」と心の底から実感できたのは何故かということです。これは一体どう理解すればよいのか。

 私は、この北代さんの文章を初めて読んだ時、とても大事なことを気付かされたように感じたことを覚えています。確かに、自分の名前が書けなかった人が書けるようになった時の喜び、何が書いてあるのか分からなかった街中の看板の文字が読めた時の喜び、これは容易に想像できます。

 しかし、文字を知ることと夕焼けが美しいと思えることの関係は、言葉の実際的な効用面だけでは説明がつきません。私はこのように考えます。言葉は、読み書きやコミュニケーションの手段になるだけではなく、何かに感動したり、思いを強くしたり、深く考えたりするときに、私たちは確かに生きているという実感をもたらしてくれる。言葉の獲得こそ生きることそのものである。夕焼けが美しく見えたのは、北代さんが文字を知ったことで人間として解放されたからであり、人間としての尊厳を取り戻した証なのである。このように理解できないでしょうか。言葉にはそんな力があるということです。

 

 誤解のないように言いますが、文字を持たない人は非人間的であるということではありません。文字を持たないアイヌの人たちやネイティブ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニの人たちが人間性豊かな文化を持っていることを私たちは知っています。

 また、日本には「わび」、「さび」、「風情」などという言葉がありますが、これらの言葉があるから私たち日本人はそれらを認識できるわけです。これらの言葉を持たない西欧の人たちはなかなか理解できません。逆に、「自由」という言葉しか持たない日本人には、英語のlibertyとfreedomの違いを理解することは難しいわけです。言葉が認識を生み出し、異なる言語は異なる人間をつくるのです。言葉にはそんな力があるということです。

 

 このように考えると、私たちは、一体どんな言葉を知っているのか、どんな言葉をどのように使っているのか、自分の言葉を疑ってみる必要があるように思います。例えば、クラスで話し合いをしている時に意見を求められ、「別に」とか「分かりません」とか言ってそそくさと座ってしまう、その時の自分の言葉を疑ってみる。何かで先生に注意され、「すみません。」と言って直ぐに下を向いてしまう、その時の自分の言葉を疑ってみる。また、自分の言葉で人を傷つけたり、人を貶めたり、蔑んだりしていないかどうか自分の言葉を疑ってみる。さらには、自分が普段よく使っている言葉のなかに、差別的な意味があることを知らずに平気で使っている言葉があるのではないかと疑ってみる。

 皆さんは、すでに多くの言葉を獲得しています。そこに止まることなく、もっと多くの言葉を獲得し、それらの言葉を正しく使うことで豊かな思考力・判断力・表現力を身に付け、豊かな言語生活を送ることを期待します。

以上、「生きることと言葉」というテーマで話をしました。これで3学期始業式の話を終わります。

2016年1月8日 東 則尚

2学期終業式(定時制)

 厳しい残暑の中で始まった2学期も、身に沁みる寒さの中で終わろうとしています。

 夏から秋へ、秋から冬へ、季節の移り変わりを感じながら、この4ヶ月、皆さんは様々な活動に取り組みました。ある時は「喜び」に胸躍らせ、ある時は「悔しさ」で胸をかきむしり、またある時は「悲しみ」に胸を絞めつけられ、少しずつ、しかし確実に、皆さんは成長したと思います。

 新しい年を迎えようとしている今、皆さん全員に、ひとまず、この2学期を含む今年一年を、しっかりと振り返ってほしいと思います。

 そこで、皆さんに尋ねます。「今年は、やろうと思っていたことは、どれくらいできましたか?」「やろうと計画したことは全部やった。」と断言できる人は少ないのではないでしょうか。多くの人は、「やれたこともあるし、やれなかったこともある。」すなわち、「やり残したことがある」という振り返りをするのではないでしょうか。

 問題は、何をやり残したかです。特に、やろうと思っていたのに、やるチャンスはいくらでもあったのにやらなかったという「やり残し」です。私たちは、その理由を尋ねられるとあれこれ言い訳をしがちです。「いろいろあって忙しかったので」とか、「友達づきあいがあって」とか、「みんなが動いてくれなかったから」とか…。これらの「言い訳」は全て、他人や周りの環境のせいにするものばかりです。

 再び皆さんに質問します。「来る2016年は、「言い訳」を繰り返して「やり残し」を再生産しますか。それとも、周りがどうであれ、「強い意志」でやり遂げたという経験を積んで人生を切り拓いていきますか。」

 こんな話を皆さんに紹介します。

A社とB社という2つの靴メーカーの社員が市場調査のために現地を訪れた。裸足で生活をしている人々を見て、A社の社員は、「ここの人達は靴を履く習慣が無いようです。ここでは靴は売れません。」と本社に報告した。一方、B社の社員は、「ここでは誰一人靴を履いていません。ビジネスチャンスです。」と報告した。その後、B社の社員は市場開拓に成功し、会社に大きな利益をもたらした。

 靴を履かない人達という同じ現実を見て、それを「言い訳」にして撤退する人もいれば、それを「チャンス」にして前進する人もいる。この違いは一体どこから来るのか。

 さて、皆さん。この一年を振り返ってください。やるべきこと、やりたいと思ったことをやらなかった人は、何としてもやるという「強い意志」が、その時の自分にあったかどうか、そして「自分はこれをやる」という「強い意志」を持ち続けたかどうか、自らに問うてみてください。

 皆さんは、来る2016年も、様々な人生の現実を経験するでしょう。自分の前に大きな壁が立ちはだかることもあるでしょう。現実の壁の高さを「言い訳」にして停滞するか、それとも「大いなる前進」のチャンスにするか、皆さんの「強い意志」に期待します。

 風邪など引かず、体調管理に努めながら、来年1月に元気に登校してください。

 以上で、2学期終業式の話を終わります。

2015年12月22日 東 則尚