9月10日(土)制服着用の中学生対象に公開します。
詳しくは、別添のPDFファイル(【上高全】文化祭)をご覧ください。
また、別添の受付用紙(上高祭入場者用受付用紙)に必要事項を記入し、当日受付に提出してください。
先週25日(木)から2016年度前期の学校生活が再開しました。夏休み中は、勉学や補習、各種大会への参加、部活動の練習・合宿・試合、そして家の手伝いなど、普段とは違う多くの経験をしたことと思います。それらの経験は、皆さんの成長の糧となったに違いありません。
さて、私は若い頃、先輩の先生方から冗談交じりに、よくこんなことを言われました。
「若い頃の雑用は買ってでもせよ。」
これを、ある脳神経外科医が提唱しています。「人のやりたがらない雑用を自ら買って出る。ささいな用事を面倒くさがらずコツコツやる。その習慣が身に付けば、脳の前頭葉が鍛えられ、自らの意志で主体的に行動する力が身に付く。」とその医師は断言しています。脳にとって雑用は、スポーツに例えれば筋トレに当たるという訳です。
ところで、皆さんもいずれは就職すると思います。もしかすると、皆さんの中には、就職先では「雑用はしたくない。誰にでもできる『単純な仕事』ではなく、自分の得意なことをやりたい、企画の仕事をやりたい、研究開発をやりたい、できれば社長をやりたい」と考えている人もいるかもしれません。しかし、ほとんどの人は、就職してしばらくは自分のやりたい仕事はできません。若いうちは、最初は「単純な仕事」をすることが多いのが実情です。この「単純な仕事」すなわち「雑用」について、今日は考えてみたいと思います。
結論を先に言うと、世の中には何一つ「単純な仕事」などないということです。
こんな話を、ある会社の人事の人に聞いたことがあります。コピーを取るという仕事でも「初級・中級・上級」の3段階がある。
・ 「コピー初級」の人は、コピー機の操作をただ単に知っているだけ。人に聞かなくてもとりあえずコピーを取れる人。
・ 「コピー中級」の人は、例えば10枚のコピーをする時、1枚目をコピーして、紙の傾き、文字や写真の濃度を確かめてから残りの9枚をコピーする人。
・ 「コピー上級」の人は、頼まれた文書に目を通し、「この人はこんな文章を書くんだ」とか「こんなことが今、会社で話題になっているんだ」というように、内容についての関心を持ちながらコピーする人。場合によっては、誤字・脱字を含めて不備を指摘することもできる人。
世の中には、同じ「単純な仕事」をしていても、このようにはっきりと違う仕方で仕事をする人がいるということです。
自動車関係の職場で言えば、最初のうちは洗車ばかりで、「これではガソリンスタンドのアルバイトの方がましだ」と思うかもしれません。建築関係の職場で言えば、工事現場の資材の運搬や後片づけばかりかもしれません。IT関係の職場では、データベースのデータ入力の仕事だけをさせられるかもしれません。
しかし、これらの仕事は、決して「単純な仕事」ではありません。「雑用」ではないと思える人だけが、次の水準の仕事ができるようになるということだと思います。
ここで、ある会社が北海道に宅配便の版図を広げた時の話を紹介します。
「営業を始めた当初は注文が一件もなく、小荷物の配達を独占していた郵便局の前で、訪れる人に手当たり次第に声をかけるも全く相手にされない日々。そんなある日、一人の社員の元に郷里の母親から荷物が届く。中には手編みのセーター、手製の味噌、刻んだ大根と油揚げ。そして『風邪に気をつけて頑張りなさい』との手紙。『真心の詰まった大切な荷物を運ぶこと。それが俺の仕事だ。』と気づいたこの社員は、今まで以上に腰が折れるほど深く頭を下げて声をかけ続ける。すると一人の老婦人が、『あなたがあんまり熱心だから』と孫のために編んだセーターの入った荷物を差し出した。それ以後、次第に注文が入るようになり、多くの営業所を抱え現在に至っている。この社員は今でも赤ん坊を抱くかのように必ず両手で荷物を受け取っている。」
小荷物を受け取るという「単純な仕事」に意味を見出し、心を込めて対応したこの社員のように、「コピーを取る」「洗車をする」「データを入力する」などの「単純な仕事」の意味を知り、深さを知り、誠実に対応する人になれるかどうか。そこが、人や組織が成長・発展するかどうかの分岐点です。
それでは、高校生の皆さんにとって、大切にすべき「単純な仕事」とは何か。例えば、
・ 途中を省略することなく丁寧な字で計算式をノートに書くことです。
・ 知らない単語があれば、その都度、辞書で調べて自分の単語帳に書き留めることです。
・ 運動部員はグランドや体育館を、練習後に「心が洗われる」くらい整備することです。
・ 文化部員は活動場所を「聖域」のごとくきれいにし、道具類は「慈しみの心で」片付けることです。
来月には最大の学校行事、「文化祭」があります。練習や準備等で忙しい日々が続くと思います。「雑用」もたくさんあると思います。「クラスのために、クラブのために、人のために」の考え方で、「助け合う喜び」「一つになる充実感」を感じる、思い出に残る素晴らしい文化祭にしてください。
そして3年生の皆さん。この夏は自分の進路について真剣に考え、勉学に励んだことと思います。「自分の人生は自分で責任を持つ」の姿勢で、進路選択という大きな人生課題に向き合い続けてください。その上で、一人一人の進路実現を皆で支え合うクラスの結束力を、文化祭を契機にして一層高めていってください。
これで、前期2回目の全校集会の話を終わります。
私は若い頃、先輩の先生方から冗談交じりによくこんなことを言われました。
「若い頃の雑用は買ってでもせよ。」
これを、ある脳神経外科医が提唱しています。「人のやりたがらない雑用を自ら買って出る。ささいな用事を面倒くさがらずコツコツやる。その習慣が身に付けば、前頭葉が鍛えられ、自らの意志で主体的に行動する力が身に付く」とその医師は断言しています。脳にとって雑用は、スポーツに例えれば筋トレや柔軟体操に当たるという訳です。
こんな話を、ある会社の人事担当の人に聞いたことがあります。コピーを取るという仕事でも「初級・中級・上級」の3段階がある。
・ 「コピー初級」の人は、コピー機の操作をただ単に知っているだけ。人に聞かなくてもとりあえずコピーを取れる人。
・ 「コピー中級」の人は、例えば10枚のコピーをする時、1枚目をコピーして、紙の傾き、文字や写真の濃度を確かめてから残りの9枚をコピーする人。
・ 「コピー上級」の人は、頼まれた文書に目を通し、「この人はこんな文章を書くんだ」とか「こんなことが今、会社で話題になっているんだ」というように、内容についての関心を持ちながらコピーする人。場合によっては、誤字・脱字を含めて不備を指摘することもできる人。
世の中には、同じ「単純な仕事」をしていても、このようにはっきりと違う仕方で仕事をする人がいるという訳です。
ここで、ある会社が北海道に宅配便の版図を広げた時の話を紹介します。
「営業を始めた当初は注文が一件もなく、小荷物の配達を独占していた郵便局の前で、訪れる人に手当たり次第に声をかけるも全く相手にされない日々。そんなある日、一人の社員の元に郷里の母親から荷物が届く。中には手編みのセーター、手製の味噌、刻んだ大根と油揚げ。そして『風邪に気をつけて頑張りなさい』との手紙。『真心の詰まった大切な荷物を運ぶこと。それが俺の仕事だ。』と気づいたこの社員は、今まで以上に腰が折れるほど深く頭を下げて声をかけ続ける。すると一人の老婦人が、『あなたがあんまり熱心だから』と孫のために編んだセーターの入った荷物を差し出した。それ以後、次第に注文が入るようになり、多くの営業所を抱え現在に至っている。この社員は今でも赤ん坊を抱くかのように必ず両手で荷物を受け取っている。」
小荷物を受け取るという「単純な仕事」の意味を知り、深さに気づき、誠実に対応する人になれるかどうか。そこが、人の成長や組織の発展の分岐点です。
それでは、高校生である皆さんにとって、大切にすべき「単純な仕事」とは何か。例えばそれは、
・知らない言葉があれば、その都度、辞書で調べることです。
・途中を省略せずに丁寧な字で計算式をノートに書くことです。
・授業が終わったら、机や椅子をきちんと元に戻し、道具類を「慈しみの心で」片付けることです。
・教室や廊下にゴミが落ちていたら拾って捨てることです。
来月には「文化祭」があります。準備等で忙しい日々が続くと思います。「雑用」もたくさんあると思います。「助け合う喜び」「一つになる充実感」を感じながら、思い出に残る素晴らしい文化祭にしてください。これで、2学期始業式の話を終わります。
7月15日(金)に全校集会を行いました。
(表彰式) (壮行会)

ギター・マンドリン部が全国大会へ、陸上競技部と水泳選手が東海大会へと出場します。
本校に勤務したALTのエマ・スミス先生が英語で離任の挨拶をしました。5年間、ALTとして英語を教えてくださいました。
(離任式)
全校集会では、言葉の持つ力とその有用性について校長講話がありました。また、各主任の先生方から夏休みの過ごし方や課題についての取り組み方についてお話がありました。
(校長講話)
7月12日(火)、14日(木)に、夏季スポーツレクレーションが行われました。
悪天候のため、種目が変わることもありましたが、クラスごとに力を合わせ精一杯競技に参加しました。
種目は、次の通りです。
男子サッカー、女子ドッジボール(雨天時:スポンジボールトスバッティング)、男女バレーボール、男女混合卓球、男女混合オセロでした。
(生徒会長挨拶) (選手宣誓)

(卓球) (バレーボール)

(サッカー) (ドッジボール)

(オセロ) (スポンジボールトスバッティング)


結果
| 優勝 | 準優勝 | 3位 | |
| 男子サッカー | 2年7組 | 3年2組 | 2年6組 |
| 男子バレー | 3年6組 | 1年4組 | 2年5組 |
| 女子ドッジボール | 3年5組 | 3年6組 | 1年5組 |
| 女子バレー | 3年1組 | 3年2組 | 3年4組 |
| 男女混合卓球 | 3年6組 | 2年4組 | 2年7組 |
| 男女混合オセロ | 3年2組 | 3年1組 | 2年7組 |
かつて勤務した学校で担任をしていた時に、生徒たちに紹介した文章を、皆さんにも紹介したいと思います。
「わたくしはうちが貧乏であったので学校へ行っておりません。だから字を全然知りませんでした。今、識字学級で勉強してかなは大体覚えました。今までお医者へ行っても受付で名前を書いてもらっていましたが、試しに自分で書いて試してみました。看護婦さんが北代さんと呼んでくれたので大変嬉しかった。夕焼けを見てもあまり美しいと思わなかったけれど、字を覚えて本当に美しいと思うようになりました。道を歩いておっても看板に気を付けていて習った字を見つけると大変嬉しく思います。数字を覚えたのでスーパーや木曜市へ行くのも楽しみになりました。また旅館へ行っても部屋の番号を覚えたので恥もかかなくなりました。これからは頑張ってもっともっと勉強をしたいです。10年長生きをしたいと思います。」(原文の一部を漢字表記)
この文章は、1973年に当時67歳だった北代さんという方が、識字学級に通い、そこで初めて文字の読み書きを覚え、書いた文章です。
識字学級というのは、差別や貧困のために学校教育を受けられず、読み書きの能力を身に付けられなかった人が、その能力を取り戻すために行われる学習会のことで、昭和30年代の後半に福岡県から始まり全国に広まったと言われています。
文字を獲得するまでの約70年、北代さんはどのような生活を送ってこられたか想像してみてください。例えば、北代さんも書いておられるように、病院へ行っても受付で名前を書くことができず、買い物に行っても計算ができない。電車やバスに乗る時に行き先が分からない。自動車の運転免許を取りたくても、選挙に行きたくても字を書くことができないので諦める等。このように、文字を知らないと人として必要な最低限の生活を奪われることになるわけです。
私が今日、皆さんに特に考えてほしいと思うのは、夕焼けを見てもあまり美しいと思わなかった北代さんが、「夕焼け」という字、「美しい」という字を知ることによって初めて「夕焼けが美しい」と心の底から実感できたのは何故かということです。これは一体どう理解すればよいのか。
私は、この北代さんの文章を初めて読んだ時、とても大事なことを気付かされたように感じたことを覚えています。確かに、自分の名前が書けなかった人が書けるようになった時の喜び、何が書いてあるのか分からなかった街中の看板の文字が読めた時の喜び、これは容易に想像できます。
しかし、文字を知ることと夕焼けが美しいと思えることの関係は、言葉の実際的な効用面だけでは説明がつきません。私はこのように考えます。言葉は、読み書きやコミュニケーションの手段になるだけではなく、何かに感動したり、思いを強くしたり、深く考えたりするときに、私たちは確かに生きているという実感をもたらしてくれる。言葉の獲得こそ生きることそのものである。夕焼けが美しく見えたのは、北代さんが文字を知ったことで人間として解放されたからであり、人間としての尊厳を取り戻した証なのである。このように理解できないでしょうか。言葉にはそんな力があるということです。
誤解のないように言いますが、文字を持たない人は非人間的であるということではありません。文字を持たないアイヌの人たちやネイティブ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニの人たちが人間性豊かな文化を持っていることを私たちは知っています。
また、日本には「わび」、「さび」、「風情」などという言葉がありますが、これらの言葉があるから私たち日本人はそれらを認識できるわけです。これらの言葉を持たない西欧の人たちはなかなか理解できません。逆に、「自由」という言葉しか持たない日本人には、英語のlibertyとfreedomの違いを理解することは難しいわけです。言葉が認識を生み出し、異なる言語は異なる人間をつくるのです。言葉にはそんな力があるということです。
このように考えると、私たちは、一体どんな言葉を知っているのか、どんな言葉をどのように使っているのか、自分の言葉を疑ってみる必要があるように思います。例えば、クラスで話し合いをしている時に意見を求められ、「別に」とか「分かりません」とか言ってそそくさと座ってしまう、その時の自分の言葉を疑ってみる。何かで先生に注意され、「すみません。」と言って直ぐに下を向いてしまう、その時の自分の言葉を疑ってみる。また、自分の言葉で人を傷つけたり、人を貶めたり、蔑んだりしていないかどうか自分の言葉を疑ってみる。さらには、自分が普段よく使っている言葉のなかに、差別的な意味があることを知らずに平気で使っている言葉があるのではないかと疑ってみる。
皆さんは、すでに多くの言葉を獲得しています。そこに止まることなく、もっと多くの言葉を獲得し、それらの言葉を正しく使うことで豊かな思考力・判断力・表現力を身に付け、豊かな言語生活を送ることを期待します。
以上、「生きることと言葉」というテーマで話をしました。これで1学期終業式の話を終わります。
本年度前期の途中ではありますが、明日から夏季休業日となる今日は、皆さんにとって学校生活の大きな節目になりますので、少し時間を割いて話をします。
私が一人で買い物に出かけた時のことです。あるコンビニに入ると、2人のアルバイトらしき若い店員さんがいました。買いたい物をカウンターに置いた時、代金を支払ってレシートを受け取った時、店を出る時、店員さんはほとんど何も言いませんでした。店に入った時も「いらっしゃいませ。」という言葉がなかったことも思い出しました。
「コンビニは便利を売る店だから、欲しい物が買えただけで十分ではないか。」とはとても思えず、やや気分を害したまま、次に行きつけのガソリンスタンドに行きました。そのガソリンスタンドは、機械にカードと代金を入れて自分で給油するセルフサービスの店です。店員さんはいるのですが、接客業務はしていません。帰宅する車の中で、「何かおかしい。人がいるのに言葉がない。」と思ったのです。
セルフサービスの発祥地はアメリカです。アメリカは多民族国家で言葉の通じない人が多いため、会話の不要なセルフサービスが広まったと聞いたことがあります。日本でもセルフサービスは普及していますが、その理由は、アメリカのような言葉の問題ではなく、おそらく人件費の抑制という経営上の問題が理由ではないかと思われます。もしかすると、「煩わしさを避けたい」という現代人の意識もその理由なのかもしれません。
セルフサービスは、コンビニやガソリンスタンドだけではありません。電車の切符、食堂の食券、銀行のATM、さらにはネットショッピングなど、どうやら私たちは、人と関わりを持たなくてもそれほど不都合なく生活ができる社会に生きているようです。これは、ある意味では技術革新がもたらした社会の進歩なのかもしれませんが、「人がいるのに話さない、話さなくても不都合がない」という状況は、本当に良いことなのかどうか。皆さんはどう思いますか。
ところで、皆さんは、「誰のために、何のために挨拶をするのか」と考えたことがありますか。相手に対して親しみや敬意を表すためでしょうか。「相手のために」と考えると、例えば、先ずはクラブの先輩や顧問の先生、次に授業を受けている先生、その次に授業は受けていないが知っている先生、そして全く知らない来校者という具合に序列がついて、序列の高い方から挨拶するということになりかねません。また、「返事のない相手には、次から挨拶しないでおこう」などと考えてしまいがちです。
私が考えるに、挨拶とは、「相手に自分の心を開くこと」ではないか。自分は心を開いたということを相手に知らせるために挨拶をするのではないか。心を開かないと言葉は出てきません。相手が誰であろうと、返事の有無など関係なく、先ず自分の方から心を開き、相手に言葉をかける。そうすると、相手も心を開いて言葉や笑顔が返ってくる。それが挨拶というものではないか。
挨拶をすると、相手も自分も爽やかな気分になります。心が和み笑顔になります。背筋も伸びて元気になります。このように、言葉には「力」があるということです。
次に、言葉にはこんな「力」があるという別の事例を紹介します。オリンピックで金メダルを取ったある水泳選手のコーチを務めた方が、こんなことを言っています。
「スポーツ選手は基礎を習得し、ある程度のレベルまで達すると、自分には何が足りないか、それを強化するためにどのような練習をすればよいか、自分で考えなければならない時期が来る。この時、言葉で自己表現できない選手は伸びない。言葉のトレーニングを重ねることで、最終的にはコーチの要らない選手を育てたい。一流のスポーツ選手には、運動能力に加えて『言語力』が必要です。」
ここに一冊の本があります。『言語技術が日本のサッカーを変える』という本です。著者は元サッカー日本代表で、現在、日本サッカー協会の要職を務める田嶋幸三さんです。この本の帯には、このように書かれています。
「サッカーにおいては、論理的な思考が求められます。なぜならサッカーは、スピーディーなゲームの最中に究極の判断を求められるチームスポーツであり、刻々と変化していく局面に対してその都度、自分の考えを明確にし、それを相手に伝えていく必要が生じるからです。こうした姿勢や対応能力は、日本人がこれまで最も苦手にしてきた領域だといえるでしょう。」
その瞬間、何故そのパスを出したのか、そのプレーの意図は何か、明確に説明できる能力がサッカー選手には必要だという訳です。田嶋さんは、日本のサッカーが今後、世界と互角に競い合っていくためには、身体技術に加え、言葉で考える力、言葉で表現できる力が必要であるとして、「言語技術」の重要性を強調しておられます。そして、ピッチの外のトレーニング革命を訴えておられます。
私は皆さんに、「自立した学習者」になってほしいと強く願っています。そのためには、「言語力」が必要です。「言語力」は、人が人として成長する中で経験するたくさんの事柄を、言葉でまとめ上げていくことを通して、少しずつ向上していくものです。
皆さんは、自分の「夢」を自分の言葉で明確に表せますか。その「夢」を実現するために何をするのか、自分の「挑戦」を言葉で具体的に語れますか。そして、5年後、10年後の自分の将来を自分の言葉で描けますか。これらを考え抜き、自分の言葉で納得のいく表現ができた時、自分の学習や生活に「推進力」がついてきます。
自分の考えを正確に表現できる「言語力」、微妙な違いや複雑なことを相手に伝えることができる「言語力」を高めてください。正しい言葉をたくさん獲得し、その言葉で考え、判断し、納得いくまで表現してください。国語や英語だけ頑張ってもダメです。各教科の授業や様々な学習活動、部活動、そして読書を通じて、正確且つ論理的に、自由に言葉を使いこなせる人になってください。
以上、「言葉の持つ力」とその重要性について話をしました。
最後に、明日からの長い夏休み。休み明けには「いい夏だった」「何かをつかんだ」と振り返ることができる、そんな夏休みにしてください。特に3年生に言います。勉強漬けの生活も一つの青春です。「なりたい自分」に近づくための勉学に集中できる幸せに感謝しながら、毎日を過ごしてください。
これで、全校集会の話を終わります。
- 日時 平成28年9月24日(土) 9:30~12:10
- 会場 本校体育館 及び 各教室
- 日程
9:10~9:30 体育館にて受付 9:30~11:20 吹奏楽部による歓迎演奏及び在校生による学校紹介 11:30~12:10 体験授業(事前登録制) 12:10~ 部活動見学(自由見学) - 申込 在籍中学校を通じてお申し込みください
- 問い合わせ先
Tel 0595-21-2551(全日制教頭 小林 正典)
災害はいつどこで発生するか予知できません。今回は授業後に災害発生情報を放送で知らせ、体育館に避難するという設定です。
選択教室での授業もあれば、体育の授業もあります。想定よりも早く全生徒の無事を確認できました。
最後に教頭からは「自助」、「共助」、「公助」について話がありました。
教頭より講評及び講和

7月6日(水)、1・2年生を対象に科目登録説明会を行いました。来年度の科目選択について考えることにより、改めて自分の進路を見つめる良い機会ともなりました。特に1年生にとっては初めての科目選択です。まずは文系か理系か、今の自分と「なりたい自分」の両方から適切に判断してほしいと思います。
教務主任より






