平成二十八年度卒業式 校長式辞(定)

 新しい春の訪れを感じさせる今日の佳き日、御来賓の皆様、卒業生の保護者の皆様の御臨席のもと、平成28年度卒業式を挙行できますことは、私共のこの上ない喜びであり、誠に嬉しく存じます。本校を代表し、深く感謝申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん。皆さんの努力が実を結び、卒業の時を迎えたことに、本校職員を代表して心から祝福の言葉を述べたいと思います。「上野高校卒業、本当におめでとう。」

 そして、今日まで皆さんを支えてくれた多くの人々、ことに皆さんの成長を深い愛情で見守り続けていただいた保護者の皆様に、心からの敬意と感謝の気持ちを込めて、お祝いの言葉を申し上げたいと存じます。「保護者の皆様、本日はお子様のご卒業、誠におめでとうございます。」さぞかし感慨もひとしおのものがおありであろうと拝察いたします。心からお喜びを申し上げます。

 卒業生の皆さんの中には、これで学校教育を終え、職業人として本格的に実社会の中に入っていく人がいます。また、卒業後も進学して新たな学校生活を始める人もいます。どのような道を歩むにせよ、高校を卒業するということは、責任ある存在として社会に認知されるということです。今後は、責任に裏打ちされた行動が一層求められます。自己責任の重さは、今までとは比べようがないものになります。

 高校卒業の時。それは、人に愛される自分から、人を愛する自分に変わる時です。甘えからきっぱりと決別し、感謝の心で一人立ちする時です。そして、学ぶべきことを与えられる自分から、何を学ぶべきかを自分で考え、自力で学ぶ自分に変わる時です。
 いかなる状況にあっても、どんな人生を生きようとも、学ぶことに終わりはありません。生涯、辞書を引き続けてください。常に新しい知識を学び、知ることに終わりなきことを肝に銘じてください。
 学ぶことは変わることです。進化論を説いたチャールズ・ダーウィンは、こんな言葉を私たちに残しています。「何が生き残るのか。最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るものは変化できるものである。」変わり続けるものだけが生き残るというのは、普遍の真理なのです。
 ところが、昨今、「自分は変わらない」「自分を変えられない」と決め付ける若者が増えていると言われています。「生まれ持った素質によって人生は決まる。」と考え、「あれこれ考えて行動しても、結局はなるようにしかならない。」とか、「頑張って良い結果を出しても、所詮それは本物ではない。」などと思えてしまうのだそうです。生まれ持った素質こそが「自分らしさ」であり、生得的な特性が自分の「個性」である。そして、自分の「個性」に見合う仕事でなければ働く意味がない。ひいては、それが見つかるまで職には就かないなどと身構えてしまい、社会に出る敷居を高く感じてしまうわけです。
 「個性」とは、他者と交わりながら何かを成し遂げていく中で、これが自分の持ち味だと気づいていくものです。自己とは、自分とは、対人関係の中で構築されるものであるが故に、大きな可塑性を持っているのです。自分は、つくり直せるのです。
 生まれ持った「自分らしさ」への過剰なこだわりを捨てた時にこそ、人生も一層豊かなものになり、輝き始めるのではないか。卒業の時、新たな他者と出合い、新たな対人関係を築いていこうとする今が、その時だと言いたいのです。

 さあ、卒業生の皆さん、別れのカウントダウンが始まりました。旅立ちの時です。
卒業生よ、思い出に沈殿するな。未来に向かって躍り出よ。
卒業生よ、首を垂れるな。希望の青空を仰ぎ見て、悠々と真っすぐに歩んで行け。
「大いなる明日」は、今の君達のためにこそある。

 最後になりましたが、御多用の中、御臨席賜りました御来賓の皆様方、本日は誠に有難うございました。これからも本校に温かい御支援を賜り、卒業生、在校生を見守って頂きますようよろしくお願い申し上げます。

 卒業生9名の門出を祝い、前途に幸多かれと祈りつつ、式辞と致します。

平成28年度卒業証書授与式 校長式辞

 今日から弥生三月。天地自然の営みが、風光る春の訪れを予感させる今日の佳き日、多数の御来賓の皆様、卒業生の保護者の皆様の御臨席のもと、平成28年度卒業式を挙行できますことは、私共のこの上ない喜びであり、誠に嬉しく存じます。本校を代表し、深く感謝申し上げます。

 「高等学校卒業」という人生の節目を迎え、未来に向かって大きく羽ばたこうとしている277名の皆さん、卒業おめでとう。希望と不安が惜別の思いに交錯し、複雑な気持ちの中で爽やかな清新さを感じる、そんな心境ではないかと思います。皆さんは三年間、勉学は勿論、学校行事や部活動その他さまざまな活動において素晴らしい成果を残し、上野高校の歴史に新たな一ページを書き加えてくれました。何事にも一生懸命な誠意溢れる姿勢で取り組まれた皆さんの努力に対し、称賛の拍手を送りたいと思います。そして、私たち教職員に多くの感動と、この学校で勤務する喜びを与えてくれたことに対し、心から感謝します。本当にありがとう。

 卒業生の保護者の皆様、お子様が高校生活を送られた本校での三年間、語り尽くせぬ多くの喜びと、多くの御心配、御苦労があったことと思います。注がれた惜しみない深い愛情が、ここに実を結び、お子様が高校教育を終えられたことに対し、敬意と感謝の気持ちを込め、お祝いの言葉を申し上げたいと存じます。「お子様の御卒業、誠におめでとうございます。」

 さて、卒業生の皆さん。皆さんの中には、今後、大学等の上級学校で新たな学校生活を始める人もいれば、職業人として実社会に入っていく人もいます。どのような道を歩むにせよ、高等学校を卒業するということは、あらゆることに自己責任を求められる「大人」になるということを意味します。
 私は、「大人になること」とは、自らが作者になり、監督になり、同時に登場人物にもなる、筋書きのない人生ドラマの舞台に、主人公として立つことだと思います。これまでは、出来上がったシナリオがありました。皆さんの勉学は、「問題」も「答え」も用意されていました。「『問題』には必ず『答え』があり、その『答え』は一つでなければならず、『答え』のない『問題』など考える意味がない」などと思っている人もいるかもしれません。しかし、これからの皆さんには、シナリオも「答え」も用意されていません。主人公である自分がどんなセリフを言い、どんな演技をするかによって、相手の出方も変わってくる。「答え」のない「問題」と向き合う。「大人」になるということは、そういった避けられない関係の中で、人生ドラマの主人公の役割を責任感溢れる態度で果たさなければならなくなった、ということです。
 その覚悟を持つために、皆さんは今日、この卒業式の場で、大切な儀式を済ませておかねばなりません。

 心理学には「イノセント」という言葉があります。この語を英和辞典で調べると、「無邪気」「天真爛漫」などと訳されています。しかし心理学では、「大人になろうとする若者が、自分の前に立ちはだかる親を排除し、否定しようとして、ありのままの純粋無垢な自分にこだわる心理状態」を意味しています。子供は、親の前ではいつまでも子供です。自立しようとすればするほど親の存在を疎ましく感じ、親を否定する気持ちが強くなるものです。逆に言えば、親の前では“ありのままの自分”を強く意識し、“純粋無垢な自分”であり続けようとする。このような心理状態が「イノセント」です。
 「大人になる」ということは、この「イノセント」な自分を脱し、親を「イノセント」な仕方で突き放すことなく、きちんと向き合い、対処できるようになるということです。したがって、皆さんが、大人になるために言わなければならない人生ドラマの最初のセリフは何か。それは、「お父さん、お母さん、ここまで私を育ててくれてありがとうございました。」という言葉だと私は思います。

 今日の卒業式は、皆さんにとって、「イノセントな自分」からの卒業式であり、「大人の自分」になる「成人式」なのです。
 それでは、卒業生の皆さん、目を閉じてください。心の中で自分の親と向き合ってください。そして今、「私をここまで育ててくれてありがとうございました」と、親に向かって宣言してください。

 目を開けてください。
皆さんは、今後、入学や就職に際してのオリエンテーションや研修等で忙しくなると思います。そして、新たな生活に慣れるために覚えなければならないことが多く、また、自分ではどうすることもできないことが自分の身に降りかかってくることもあると思います。しかし、「時間がない」とか、「もっと時間があれば、もっと良い成績が取れるのに。もっと良い仕事ができるのに。」などと言ってはいけません。
 「大人」の仕事というのは悔いの残る、不十分な仕事の連続です。不満だらけで、穴があったら入りたいくらいの気持ちで仕事を終えているのです。勿論、「不十分なままで仕事を終えていい」と言っているのではありません。与えられた環境のなかでベストを尽くす、自分ではどうすることもできないことを受け入れ、それでも合格点の結果を出す。これが「大人」の仕事です。

 それでは、もはや「イノセント」ではない、もはや「親に愛される子供ではなく、親に感謝し、親を愛する大人になる」と宣言した皆さん。大人の人生ドラマの幕は切って落とされました。主役はあなた自身です。その座を決して誰かに譲ることなく、あなたらしく、自らの人生ドラマを堂々と演じていってください。

 最後になりましたが、御多用の中、御臨席賜りました御来賓の皆様方、本日は誠に有難うございます。これからも本校に温かい御支援を賜り、卒業生、在校生を見守って頂きますようよろしくお願い申し上げます。

 卒業生277名の門出を祝い、前途に幸多かれと祈りつつ、式辞と致します。

月ヶ瀬マラソン大会開催

 2月16日(木)に月ヶ瀬マラソン大会を開催しました。
 一日延期しましたが、当日は快晴で風もなく、マラソン日和となりました。
 女子は岡八幡宮まで7.5km、男子は月ヶ瀬公民館まで11.5kmを、参加した全員が走りきることができました。

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 応援くださいました地域の皆様、交通整備のお手伝いをいただきましたPTAの皆様、本当にありがとうございました。

 

後期の授業が再開しました

 後期の授業が再開した1月10日(火)、全校集会を開き、校長講話と生徒指導主事から諸注意がありました。
 校長先生からは、自身の高校時代の経験を踏まえて、「努力は必ず形になって現れる」というお話があり、生徒指導主事の先生からは、凡事徹底の大切さなどについて注意がありました。
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冬季休業に向けて

 12月22日(木)に全校集会を開きました。
 表彰伝達式では、部活動関係で陸上競技部、弓道部、ギターマンドリン部、ESSが表彰されました。また、新体操、芭蕉翁献詠俳句、読書感想文で優秀な成績を残した生徒も表彰されました。
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 後期生徒会役員の任命も行われ、後期生徒会会長から抱負も述べられました。
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 その後、校長先生から、「いのちより大切なもの」と題する講話があり、いのちを大切にして自分の「使命」を果たす生き方を考える時間となりました。また、生徒指導部、教務部、進路指導部の各主任から、普段の生活及び冬休みの生活に関してのお話がありました。
生活習慣を乱さず、冬休み明けに元気な姿で登校してください。

2016年度3学期始業式(定時制)

 明けましておめでとうございます。2017年となり、学校も3学期が始まりました。どんな気持ちで新年を、新学期を迎えたでしょうか。
 3学期は大変短い学期です。一日一日を大切に過ごし、それぞれの学年をきちんと締めくくり、卒業・進級を果たしてください。

 さて、今から30年くらい前のことですが、私は、テレビを観ていて釘付けになったことがありました。その番組にはたくさんの方々が出演されていて、そのうちの一人に司会者が「あなたの職業は?」と尋ねました。すると、その方は何のためらいもなく、このように答えたのです。「人を幸せにすることが私の職業です。」
その方の仕事はビル清掃です。その方は、ビル清掃は職業ではないと言うのです。その方にとっては、人を幸せにすることが職業であり、「人生の目的」である。ビル清掃という仕事は「人生の目的」を達成するため手段だと言う訳です。

 私は、その考え方に接し、心の中で「なるほど」と大きく頷きながらテレビを観ていたことを、今でも覚えています。私たちは、自分の努力が実って何かを達成したり、成功したりした時に幸福を感じます。そして、自分のしていることが誰かの役に立ったり、誰かを喜ばせたり、「あなたのおかげで」と言われたりした時にも大きな喜びを感じます。いや、そういう時にこそ、一番の幸福を感じるのではないでしょうか。

 本校定時制には、かけがえのない大切な生命を宿している生徒や出産したばかりの生徒がいます。この2人の生徒が、本当に安心して、学校生活を送りながら無事に出産・育児ができるよう、共に本校で学ぶ者として何ができるかを考え、必要に応じて支えてあげてほしと思います。具体的に何かをしてほしいと言っているのではありません。この2人が何かで困っていたら声をかけ、自分ができることで支えになってほしいのです。

 「人のために尽くせば自分も幸福になる。」
 この言葉を最後に、3学期始業式の話を終わります。

 

2016年度後期全校集会②(全日制)

 明けましておめでとうございます。どんな気持ちで新年を迎えたでしょうか。
3年生の登校日数は卒業まであと20日ほど。1・2年生も2ヶ月と少しで本年度の修了式を迎えます。一日一日を大切に過ごし、それぞれの学年をきちんと締めくくり、卒業・進級を果たしてください。

 さて、今日は、私の体験談を2つ紹介したいと思います。
 私は、本校に入学してバスケットボール部に入部しました。中学校にはバスケ部がなく、どうしてもバスケがしたかったのです。中学校でバスケ部員ではなかった新入部員は私一人です。最初のうちは随分苦労しました。それでも次第に慣れてきて、例えば、利き手ではない左手でのランニングシュートもできるようになりました。ところが、その場で立ち止まってするフリースローはなかなかできません。1年生の時は昼休みに時折体育館で5~10分程度、制服のままシュート練習をしていました。そして、2年生の1学期のある日、バスケ部に入って約1年後、ついに「その時」がやって来ました。本当に突然でした。ボールが手から離れた瞬間、「あっ、これは入る。」と思えたのです。「入る感覚」とでも言えばよいでしょうか、それを体感した瞬間です。嬉しさを抑え切れず、大変興奮したのを覚えています。
 この体験から、私は一つの確信を得ます。それは、「努力は必ず形になって現れる」という確信です。「諦めずにやり続ければ、それまでの努力が形となって現れる時が必ずやって来る」という確信です。一言で言えば、「努力には潜伏期間がある」ということです。この考えは、今でも持ち続けています。

 次は、受験がらみの「努力の潜伏期間」にまつわる体験です。
3年生の冬休み、一生懸命に受験勉強をしていた時のことです。努力が形になって現れる時は、やはり、随分と時間がかかりましたが突然やって来ました。「どんな英文でも辞書なしで大体読めるな」と思えたのです。それまでの語彙を増やす努力や、英文を理解するという知的格闘の努力が、「自信」に変わった瞬間です。この時も、非常に嬉しく、心が震えたのを覚えています。
注目してほしいのは、それが3年生の冬休み中だったということです。いつ「潜伏期間」が終わるのかは分かりません。入試の直前まで続くかもしれません。しかし、最後まで努力し続けて本当によかったと思いました。

 皆さんに言いたいこと、それは、蓄積された努力が自分の中で良い変化となって現れるまでは「努力の潜伏期間」だということ、そして、その「潜伏期間」を楽しんでほしいということです。
 今後の、今年一年の皆さんの努力に期待して、全校集会の話を終わります。

 

理数科2年生「課題研究」最終発表会を行いました

12月16日(金)14:20~17:00に、上野高等学校視聴覚教室にて、理数科2年生「課題研究」最終発表会を行いました。
「自ら課題を設定し、解決方法を探り、実験し、考察する。また、その考察から得られた気づきに基づき、再実験・再考察する」過程を通して、思考力・判断力・表現力を養成します。
今年は、以下のテーマについて、研究発表が行われました。
なお、審査の結果、「光の違いによる野菜の成長の変化」、「忍者食と保存」を研究した2班が、2月12日(日)に三重県総合文化センター小ホールにて行われる「みえ自然科学フォーラム2016」で、本校代表として発表します。

A班:計算ミスを減らす方法
B班:光の違いによる野菜の成長の変化
C班:炭酸飲料が吹き出さないようにするためには
D班:糸電話の限界を知ろう
E班:忍者食と保存
F班:シャボン玉を大きくする方法
G班:会話の特徴の違いについての研究
H班:伊賀の伝統技術の発信

 「会話の特徴の違いについての研究」      「計算ミスを減らす方法」
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   「伊賀の伝統技術の発信」         「糸電話の限界を知ろう」
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2016年度2学期終業式式辞(定時制)

 夏の暑さが残る9月にスタートした2学期も、厳しい寒さの中で終わろうとしています。この間、文化祭、バス研修旅行、修学旅行などがありました。日々の授業だけでなく、さまざまな学校行事等を通して、皆さんは多くのことを学び、楽しみ、あれこれ考えたり、迷ったり、悩んだりしたことと思います。どんなことが印象に残っていますか。何を深く考えましたか。そして、どんな出会いがありましたか。

 私は、秋のある日、ある詩の中の言葉に衝撃の出会いをしました。実は今でもその詩の意味について考えを巡らすことがあります。それは、「いのちより大切なもの」という詩です。

  いのちが一番大切だと
  思っていたころ
  生きるのが
  苦しかった

  いのちより
  大切なものが
  あると知った日
  生きているのが
  嬉しかった

 この詩の作者は星野富弘さんという方です。知っている、聞いたことがあるという人もいると思います。星野さんは、中学校の体育の教師をしていた24歳の時、部活動の指導中に宙返りをして首から落ち、首から下の運動機能を失ってしまいます。その後、身体を動かすことができず上を向いたまま寝たきりの状態で9年間の入院生活を送ります。病室の天井を見ながら、「あれがなかったら俺の人生は違っていた」「いっそのこと生まれなければよかった」などと後悔と失意を繰り返します。そして、唯一動かすことができる口に筆をくわえて絵を描き、詩を書き添える詩画を創り始めます。筆に巻いたガーゼに血をにじませながらの創作です。やがてそれらの作品は出版され、多くの人々に感動と生きる希望を与え続けています。

 さて、「いのちより大切なもの」とは一体何か。皆さんはどう考えますか。この詩が発表されてから、多くの人が星野さんに、「いのちより大切なものとは何ですか。」と尋ねます。星野さんは、このように答えていたそうです。「その答えはこうですよ、と言うことは簡単だけど、きっとそれは意味のないことです。自分で苦しみながら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです。」と。しかし、2011年3月11日の東日本大震災以降、この質問をする人がいなくなったそうです。

 いのちはかけがえのない大切なものです。いのちより大切なものなどありません。しかし、星野さんはこのように言います。「津波が迫る中、水門を閉めるために津波のほうに向かって走っていった人、人の波に逆らうようにして『津波が来るぞ』と知らせて回っていた人。その人たちは皆、自分のいのちよりも大切なものに向かっていった人ではないかと思います。」
「いのちより大切なもの」皆さんは何だと思いますか。

 私は、星野さんの著作のなかに、その詩の題名がタイトルとなった『いのちより大切なもの』という絵本があることを知りました。早速、図書館の先生にお願いして、その絵本を所蔵している名張西高校図書室から借りていただきました。その絵本の冒頭に、「小さな花からのメッセージ」というエッセイがあります。そこに東日本大震災のことが書かれています。地震の激しい揺れに車椅子ごと倒れる恐怖に駆られ、テレビをつけると家々が津波に吞み込まれていく凄まじい光景と叫び声、映画の一場面のような映像に、「こんなことが本当にあっていいのだろうか」と瞬きを繰り返したそうです。心の奥に積み上げてきたものが、次々となぎ倒されていくように感じた星野さんは、「自分が書くものなど、あまりにもちっぽけで何の意味もないように思えて、何も手につかなくなってしまった。創作意欲の根元までさらわれてしまったような気がした。」と告白しています。

 ところがある日、星野さんは被災状況を映し出すテレビを観ていて、こんな情景を目にします。瓦礫の間に、倒れそうな一本の木の折れ曲がった枝先に花が咲いていて、その木の周りに津波で肉親や家を失くしたであろう人達が、まるで希望の光を見つけたようにたたずんでいる情景です。その情景を見た時、それまで何もできないでいた星野さんは、「もう一度やってみよう。人の心に希望をもたらしてくれる花を、これからも描いていこう。」と思ったそうです。

私は、この時に星野さんは「いのちより大切なもの」を見つけたのではないかと思うのです。「使命」という言葉があります。「命」を「使う」と書きます。自分のいのちをどう使うか、その方法を星野さんは見つけた。人に希望をもたらす花の絵を描くこと、それが星野さんの見つけたいのちを使う方法ではないか。自分の「使命」を見つけたことで、いのちへの執着を断つことができたのではないか。だからこそ、
  いのちより
  大切なものが
  あると知った日
  生きているのが
  嬉しかった
という詩が生まれたのだと思うのです。

「いのちより大切なもの」。それは、人のために自分に与えられたいのちを精一杯生きることだと星野富弘さんに教えてもらったように思います。
 明日から始まる冬休みの前に、「自分は今、精一杯生きているか。」と自分に問うてみてください。以上で2学期終業式の話を終わります。