上高ニュース

1学期終業式(定)

2015.07.23

 アメリカのペンシルバニア州に、イタリア移民がつくった住民同士の連帯感が非常に強いロゼトという町があり、その町では心臓病による死亡率が大変低かったそうです。ところが、時代が進んでロゼトが普通の町と化していくにつれて住民同士の連帯感も弱まり、心臓病の死亡率も他の町と変わらなくなったそうです。

 私たちは毎日、互いに頼ったり、頼られたりして暮らしています。時には迷惑をかけたり、迷惑をかけられたりもします。このような双方向の関係を嫌がり、過度な自立意識を振りかざして強がっていては連帯感など生まれません。パソコンやスマホが普及して、隣で仕事をしている同僚に口で言えばよいのにメールで用件を伝えるとか、1年経っても名前の分からないクラスメートがいるとか、人間関係の在り方が徐々に変化してきている例は枚挙に暇がありません。

 そうではなく、私たちの日常には、「あなたのおかげで助かった。」「あなたがいるので何とかやっていける。」と言い合える関係がもっとあってもよいのではないか。当たり前のように助け合い、つながり合い、共存して生きていく力、すなわち、共生社会を築いていく力こそ、今求められる「生きる力」だと言いたいのです。

 そのためには先ず、他人が捨てたゴミでも拾う。高齢者には電車の席を譲る。先に道を譲る。段差で動けない車椅子の人がいれば、すすんで手を差し伸べることです。これらのことは、「何故、自分がこんなことをしなければならないのか。」という気持ちを乗り越えなければできません。「何故、自分だけが」という気持ちがある限り、他者とつながり合うことなどできないのです。

 学校も同じです。「自分の仕事」と「他者の仕事」の間にある「誰の責任でもない仕事」は最初に気づいた者が片付ける。「自分の仕事」なのか「他者の仕事」なのか判断に迷う仕事はさっさと自分が引き受ける。「自分のために」から「他者のために」へ、「他者の幸せは自分の幸せ」、それが共生社会の基本ルールだと思うのです。そして、このような基本ルールによって築かれていく共生社会では、「孤立」に陥る者などいるはずはなく、「依存」から「共存」へ、そして「自立」へという道筋のなかで、一人ひとりが「生きる力」を身に付けていくのだと思うのです。

 春爛漫の中で始まった1学期も、厳しい暑さの中で終わろうとしています。明日からの夏休み、時間と健康の自己管理をきちんと行い、「成長の夏」にしてください。

 以上で、1学期終業式の話を終わります。

2015年7月17日 東 則尚

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