三重県立名張西高等学校についておよび卒業生の方へ

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閉校時学校長挨拶

名張西高等学校は、平成30年3月、最後の卒業生である第30期生を世に送り出したことをもって、その伝統と教育活動を名張青峰高等学校に引き継ぎ、閉校する運びとなりました。

私たちの高台の学び舎、名張西高等学校は、昭和61年(1986年)4月、名張地域の人口が急増するなかで、「国際化と情報化の時代にかなった高校を」という地域の声に応えるため、名張市百合が丘に設置されました。

名張西高等学校の最大の特徴は、社会の国際科・情報科の流れに対応する3つの学科、普通科・英語科・情報科の生徒が1つの校舎で学んできたことにありました。普通科の大学進学指導等の知見を活用して、情報科は工業学科であるにもかかわらず県内の工業学科の中で屈指の進学状況でありましたし、英語科が主導した国際理解教育については、学科の枠を取り払いながら、平成20年度(2008年度)まではアメリカのフィニックス・ハイ・スクールを、平成21年度(2009年度)からはオーストラリアのリンディスファーン・アングリカン・グラマー・スクールを派遣先に毎年短期留学を行うとともに、近年ではこれらの姉妹校に加えてタイ・オランダ・中国などからの訪問団を毎年受け入れ、交流を深めてきました。体育祭・文化祭などの学校行事では3つの学科の生徒がそれぞれ特徴を活かしながらともに取り組むことで、学力とともに社会への参画力を身につけ、有為な人材として多くの卒業生が上級学校や社会へと羽ばたいて行きました。そしてこの間、脈々と受け継がれてきたことは、「進取創造」を旨とする校訓です。英語検定や情報技術検定などの資格取得にかかんに挑戦したり、京阪神を中心とする域外の大学等へ進学を目指したりする生徒は後を絶たず、多くの部活動での取組とともに、本校が地域から認められる大きな柱となってきました。

一方で、名張市を含む伊賀地域の人口増加が鈍り、少子高齢化が進行し、人口が減少に転じるようになると、本校の学校規模は徐々に縮小へと向かうようなりました。一時期は1学年10学級のマンモス校であった本校も、徐々に学級減へと向かい、最後の卒業生である30期生は1学年4学級となりました。伊賀市では平成21年度に旧上野農業・上野工業・上野商業の専門高校3校が統合し、新しく伊賀白鳳高等学校が設置されました。名張市においても、普通科を擁する本校と名張桔梗丘高等学校の学級減が進む中、両校の特色を維持継承しつつ、これからの時代により適した特色を加えた学校を設置するため両校を統合すべきという議論が進み、平成28年4月、両校をベースに新しい名張青峰高等学校が設置されました。その際、いずれか一方の学校の校地・校舎を引き続き活用するという県の方針のもと、統合校の学校像等に応じ、名張西高等学校の校地・校舎が活用されることとなりました。平成28・29年度は上級生である名張西高等学校の生徒と下級生である名張青峰高等学校の生徒とが同じ学舎で学ぶとともに、一部の学校行事・部活動等では名張桔梗丘高等学校の生徒とも共に取組を進めてきました。そして、平成30年3月をもって名張西高等学校は設置以来32年間の歴史に、終止符を打つこととなりました。

統合により設置された名張青峰高等学校には、名張西高等学校の精神や知見がたくさん継承され、さらに充実・発展していきます。英語科の学びは新しく英語運用能力の育成の中でいかされていきますし、情報科の知見は情報利活用能力や情報倫理の育成に引き継がれます。何よりも、「進取創造」という校訓は、名張青峰高等学校の校訓としてそのまま引き継がれます。名張西高等学校の卒業生は、名張青峰高等学校の生徒の先輩であり続けます。

これまで名張西高等学校を支えていただいた卒業生・保護者・地域の皆さま・行政関係者・教職員の方々に対し、熱く感謝申し上げます。

真理(まこと)を究め、正義を愛し、友と進まん。

名張西高等学校の精神よ、永遠に。

重ね重ね、これまで、誠にありがとうございました。

三重県立名張西高等学校長
加藤 幸弘

沿革

1985年3月 三重県教育委員会は本校の建設地を名張市百合が丘に決定
1985年6月 管理特別教室棟、普通教室棟、体育館の建築契約を締結
体育館、武道場(第1期工事)着工
1985年9月 運動場整地工事着工
1985年10月 特別教室棟、普通教室棟(第2期工事)着工
1985年12月 三重県条例43号により、
1986年4月1日 名張市百合が丘に「三重県立名張西高等学校」を開設する旨告示
1986年1月 運動場整地工事完了
1986年3月 管理特別教室棟、普通教室棟、体育館、武道場(第1期工事)竣工
1986年4月 初代校長に月岡章郎発令 普通科、情報科設置
開校式・第1回入学式挙行 特別教室棟、普通教室棟(第2期工事)竣工
1986年8月 情報棟着工
1987年3月 情報棟竣工 汎用コンピュータ導入
1987年11月 校旗・校歌制定披露
1988年4月 英語科設置
1989年3月 校門完成披露
1989年4月 月岡章郎校長三重県立松阪商業高等学校長に転出
2代目校長に田川敏夫発令
1989年11月 テニスコート夜間照明完成
1991年1月 トレーニング室A・B竣工
1991年2月 米国オレゴン州フィニックス・ハイスクールとの姉妹校提携事業開始
1991年3月 中庭竣工
1991年4月 田川敏夫校長三重県教育委員会事務局副参事に転出
3代目校長に岡島宏平発令
1992年1月 部室棟A・B竣工
1993年3月 教室棟東側渡り廊下、情報棟渡り廊下屋根竣工
1993年4月 岡島宏平校長三重県立松阪商業高等学校長に転出
4代目校長に松本学発令
中庭から体育館への階段2本完成
1995年4月 松本学校長三重県立松阪商業高等学校長に転出
代目校長に荘司寿一郎発令
1995年7月 フィニックス・ハイスクールと姉妹校提携正式調印
9月より同校と年間留学事業開始
1995年9月 創立10周年記念事業実施
1996年3月 第2LL教室設置
1996年11月 中庭「ラ・プラス」竣工
1997年4月 荘司寿一郎校長三重県教育委員会事務局 指導課長に転出
6代目校長に其道慶治発令
1998年3月 情報棟2階及びパティオへのバリアフリー対応のスロープ設置
1999年3月 普通教室にガス暖房器具設置
1999年4月 其道慶治校長津東高等学校長に転出
7代目校長に油田敏和発令
2001年3月 油田敏和校長退職
2001年4月 8代目校長に中西幸男発令
2001年7月 名張西高校バス停工事完成
2002年2月 体育館フロア全面改修
2003年3月 西門前に「掲示板」設置
2003年12月 名張西高校「横断幕」作成
2005年3月 グランド観覧席設置 中西幸男校長退職
2005年4月 9代目校長に辻井賢隆発令
2006年 創立20周年記念事業実地
2007年3月 辻井賢隆校長退職
2007年4月 10代目校長に岩間知之発令
2009年3月 B棟トイレバリアフリー改修完了
2009年4月 岩間知之校長三重県教育委員会事務局教育改革室長に転出
11代目校長に澤田昌平発令
2009年6月 フィニックス・ハイスクールと姉妹校提携解消
2009年12月 オーストラリアのリンディスファーン高校と交流開始
2011年5月 普通教室棟に空調設備設置
2014年3月 澤田昌平校長退職
2014年4月 12代目校長に加藤幸弘発令
2018年3月 閉校

校歌

作詞・作曲  校歌制定委員会

1.
香落の渓谷の 霧晴れて
さやかに望む 名張川
この高台は われらの学び舎
真理を究め 友と進まん
ああ 新しき世紀の旗手よ
名張西高 いま ここに

2.
万葉の道 たどりきて
はるかに望む 赤目滝
この高台は われらの故郷
正義を愛し 友と誓わん
ああ 新しい時代の出発
名張西高 いま ここに

校章

校章

本校は、景勝赤目四十八滝の近く、名張南西の小高い百合が丘に立地している。 従って、小高い丘と百合の花の組み合わせを基盤に、滝の流れ(なだらかな曲線)とWEST(花弁のW)をあわせて図案化し中央に安定感をもつ「高」の字を配置した。

なお、百合の花は生徒の純真な心を象徴し、三本の花柱は、学校のめざす教育のねらいである「個性伸長」「進取創造」「心身練磨」を意味する。

クラブ活動

運動部

バレーボール(男子/女子) 卓球 バスケットボール(男子/女子) 剣道 サッカー バドミントン 陸上競技 硬式野球 テニス(男子/女子) ハンドボール(男子/女子) ソフトボール  ラグビー

文化部

E.S.S 新聞 吹奏楽 放送 芸術文化研究 電子計算機研究部 演劇 科学

サークル

写真 書道 ヒューマンネットワーク シェ・ヌー 日本文化