上高ニュース

2016年度修了式

2017.03.24

 2016年度の学校生活を締めくくるに当たり、今日は皆さんへの私の最後の願いを述べたいと思います。

 勉学や仕事には「面倒なこと」がつきものです。誰しも「面倒なこと」は避けたいと思いますし、進んで引き受ける人は稀です。たいていの人は何とか逃れようとします。
ところが、「面倒なこと」を普段と全く変わらない態度で対処する人がいます。「そういえば、あいつがそうだな。あの子がそうだ。」と思い当たる人もいると思います。私もそのような人と一緒に仕事をしたことがありますが、本当に見事です。その人たちは、「面倒だからやらない」ということはありません。愚痴も言いません。いつの間にか「面倒なこと」を片付け、何事もなかったかのように平然として別の仕事に取りかかります。
また、この人たちは、「面倒だけれども仕事だからやる」というふうでもありません。この人たちにも「面倒くさい」という感情は生じているはずです。それでは何故、感情に振り回されず、ためらうことなく淡々と仕事ができるのか。

 私は、その理由をこのように考えました。私たちは皆、やるべき仕事の量や質に応じて自分の「仕事モード」を切り替えるスイッチを持っている。忙しい時と余裕のある時では、違う「仕事モード」となるようスイッチを操作している。ところが、「面倒なこと」を普段と全く変わらない態度で対処する人たちは、忙しいか余裕があるかでスイッチ操作をしているのではなく、全く別のスイッチ操作をしているのではないか。「面倒なこと」をする時でも、「後回しにする」とか「誰かに押し付ける」等のモードに切り替えるのではなく、「面倒だからこそ淡々と仕事をする」という独自のモードに切り替えているのではないか。自分の気分に引っかからないよう、感情に振り回されないよう、また「怠け心」にも流されないよう、自分をコントロールする術を身に付けた者だけがなし得るスイッチ操作なのだと思うのです。

 ところで、私は、NHKの「プロフェッショナル」という番組をよく観ます。その道の「達人」と呼ばれる人達の仕事の「流儀」を紹介する番組です。私はその番組を観ていて、「達人」の多くに共通点があることに気づきました。それは、「わざわざ面倒なことをする」という点です。「達人」は、自分の仕事に関係する現場に自分で出かけて行きます。愚直なまでに自分の目で確かめようとします。普通は簡単に済ませたり、人に任せたりする基本的な作業を、「そこまでやるか」というくらい細部にこだわりを持って、あえて自分でやるのです。

 これは「逆説(パラドックス)」です。「限られた時間と労力を最も肝心なところに集中させる」という仕事の「通説」に反するようで、実は真理を表している。「合理性」とか「効率」といったことの対極にあるものを大切にしているからこそ、通常のやり方では決して到達できない「達人の領域」に達することができる。こう思うのです。
 傍目には「面倒なこと」と思えることに愛情にも似たこだわりを持ち続けることができたときに、仕事の質が大きく変容し、「合理性」や「効率」を追求するやり方では決して到達できない新たな地平を切り拓き、人々を魅了する「感動」の世界へと導くのだと思うのです。

 私は皆さんに、「何かの達人になってほしい」と言っているのでありません。夢や希望は、「やるべきことを面倒くさがらずにやり続ける人にしか実現できない」ということを言いたいのです。「面倒くさい」と思ったその時が分岐点です。「まあいいか」と思ってやらない方を選ぶのか、それともモードを切り替えて平然とやり始めるのか、決めるのは自分です。正しい判断を下し、自分の目標に向かって着実に進んでいってください。

 以上で修了式の話を終わります。

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