上高ニュース

3学期始業式(定時制)

2016.01.14

 あけましておめでとうございます。2016年となり、学校も3学期が始まりました。どんな気持ちで新年を、新学期を迎えたでしょうか。

 3学期は大変短い学期です。一日一日を大切に過ごし、それぞれの学年をきちんと締めくくり、卒業・進級を果たしてください。

 

 昨年末、買い物に出かけた時のことです。あるコンビニに入ったら、2人のアルバイトらしき若い店員さんがいました。代金を支払ってレシートを受け取った時も、店を出る時も、店員さんは「ありがとうございました。」とは言いませんでした。店に入った時も「いらっしゃいませ。」という言葉がなかったことも思い出しました。「コンビニは便利を売る店だから、欲しい物を買えただけで十分ではないか。」とはとても思えず、やや気分を害したまま、次に行きつけのガソリンスタンドに行きました。そのガソリンスタンドは、機械にカードと代金を入れて自分で給油するセルフサービスの店です。店員はいるのですが、接客業務はしていません。帰宅する車の中で、「何かおかしい。人がいるのに言葉がない。」と思ったのです。

 

 セルフサービスの発祥地はアメリカです。アメリカは多民族国家で言葉の通じない人が多いため、人と話さなくても済むセルフサービスが広まったと聞いたことがあります。日本でもセルフサービスは普及していますが、その理由は、アメリカのような言葉の問題ではなく、おそらく人件費の抑制という経営上の問題と、「煩わしさを避けたい。」という現代人の意識もその理由ではないかと思います。

 セルフサービスは、コンビニやガソリンスタンドだけではありません。電車の切符、食堂の食券、銀行のATM、さらにはネットショッピングなど、どうやら私たちは、人と関わりを持たなくてもそれほど不都合なく消費生活ができる社会に生きているようです。これは、ある意味では社会の進歩なのかもしれませんが、人がいるのに話さない、話さなくても不都合がないという状況は、本当に良いことなのかどうか。皆さんはどう思いますか。

 

 一般に、仕事では、「仕事に関係のない余計な話はしない方が良い」とされています。必要なことだけを分かりやすく簡潔に話すことが重要です。しかし、必要なことだけを話すだけでは、必要なことは伝わらないことがあります。

 私たちは、普段のコミュニケーションを通して「内容」だけではなく「気持ち」も伝えています。そしてこの「気持ち」が伝わらないと、相手から「内容」についての本当の了解は得られないような気がします。「きちんと伝えたと思ったのに何故か伝わっていなかった」というときは、「気持ち」が相手に届いていなかったからではないか。何年も付き合っている友人や家族ですら、「気持ち」が理解されないと会話は成立しないものです。

 そういう意味では、メールだけで正確に仕事を進めるのは極めて難しいと言えます。書き言葉によるメールのやりとりは、無駄がそぎ落とされ、端的できつい表現になりがちです。書き言葉だけでは微妙なニュアンスが伝わらず、直接会って話をすれば簡単にまとまることでも困難を極めることがあります。

 問題は、「相手に伝えたかどうか」ではなく、「相手に伝わったかどうか」です。皆さんも「言った、言わない」の水掛論を何度も見聞きしたと思いますが、だから書き言葉で伝える方が良いということを言いたいのではありません。「相手に伝わった」と確信を持てるだけの「伝えようとする気持ち」があるかどうかということに加え、私が言いたいのは、「日頃、どれだけ雑談をしているか」ということが、正確に伝えるための伏線になっているのではないかということなのです。「無駄の効用」です。お互いの気持ちを理解し合う会話・対話が、もっともっと必要だと思うのです。皆さん、いろんな人といろんな話をしてください。

 

 これで、3学期始業式の話を終わります。

2016年1月8日 東 則尚

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