U-KNIT展 展示(美術部)

 2015年12月19日(土)~23日(祝)に上野ガスフラムで上野高校は
伊賀・名張の美術部の合同展「ユニット展」に参加しました。たくさんの方にきていただきました。
上野高校の先輩にもあたる伊賀市長の岡本栄さまにもきていだき、盛況のうちに終わることができました。ありがとうございました。

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3学期始業式(定時制)

 あけましておめでとうございます。2016年となり、学校も3学期が始まりました。どんな気持ちで新年を、新学期を迎えたでしょうか。

 3学期は大変短い学期です。一日一日を大切に過ごし、それぞれの学年をきちんと締めくくり、卒業・進級を果たしてください。

 

 昨年末、買い物に出かけた時のことです。あるコンビニに入ったら、2人のアルバイトらしき若い店員さんがいました。代金を支払ってレシートを受け取った時も、店を出る時も、店員さんは「ありがとうございました。」とは言いませんでした。店に入った時も「いらっしゃいませ。」という言葉がなかったことも思い出しました。「コンビニは便利を売る店だから、欲しい物を買えただけで十分ではないか。」とはとても思えず、やや気分を害したまま、次に行きつけのガソリンスタンドに行きました。そのガソリンスタンドは、機械にカードと代金を入れて自分で給油するセルフサービスの店です。店員はいるのですが、接客業務はしていません。帰宅する車の中で、「何かおかしい。人がいるのに言葉がない。」と思ったのです。

 

 セルフサービスの発祥地はアメリカです。アメリカは多民族国家で言葉の通じない人が多いため、人と話さなくても済むセルフサービスが広まったと聞いたことがあります。日本でもセルフサービスは普及していますが、その理由は、アメリカのような言葉の問題ではなく、おそらく人件費の抑制という経営上の問題と、「煩わしさを避けたい。」という現代人の意識もその理由ではないかと思います。

 セルフサービスは、コンビニやガソリンスタンドだけではありません。電車の切符、食堂の食券、銀行のATM、さらにはネットショッピングなど、どうやら私たちは、人と関わりを持たなくてもそれほど不都合なく消費生活ができる社会に生きているようです。これは、ある意味では社会の進歩なのかもしれませんが、人がいるのに話さない、話さなくても不都合がないという状況は、本当に良いことなのかどうか。皆さんはどう思いますか。

 

 一般に、仕事では、「仕事に関係のない余計な話はしない方が良い」とされています。必要なことだけを分かりやすく簡潔に話すことが重要です。しかし、必要なことだけを話すだけでは、必要なことは伝わらないことがあります。

 私たちは、普段のコミュニケーションを通して「内容」だけではなく「気持ち」も伝えています。そしてこの「気持ち」が伝わらないと、相手から「内容」についての本当の了解は得られないような気がします。「きちんと伝えたと思ったのに何故か伝わっていなかった」というときは、「気持ち」が相手に届いていなかったからではないか。何年も付き合っている友人や家族ですら、「気持ち」が理解されないと会話は成立しないものです。

 そういう意味では、メールだけで正確に仕事を進めるのは極めて難しいと言えます。書き言葉によるメールのやりとりは、無駄がそぎ落とされ、端的できつい表現になりがちです。書き言葉だけでは微妙なニュアンスが伝わらず、直接会って話をすれば簡単にまとまることでも困難を極めることがあります。

 問題は、「相手に伝えたかどうか」ではなく、「相手に伝わったかどうか」です。皆さんも「言った、言わない」の水掛論を何度も見聞きしたと思いますが、だから書き言葉で伝える方が良いということを言いたいのではありません。「相手に伝わった」と確信を持てるだけの「伝えようとする気持ち」があるかどうかということに加え、私が言いたいのは、「日頃、どれだけ雑談をしているか」ということが、正確に伝えるための伏線になっているのではないかということなのです。「無駄の効用」です。お互いの気持ちを理解し合う会話・対話が、もっともっと必要だと思うのです。皆さん、いろんな人といろんな話をしてください。

 

 これで、3学期始業式の話を終わります。

2016年1月8日 東 則尚

3学期始業式

 あけましておめでとうございます。2016年となり、学校も3学期が始まりました。どんな気持ちで新年、新学期を迎えたでしょうか。

 3学期は短い学期です。3年生の登校日は今日を含めてあと20日しかありません。1・2年生も2ヶ月と少しで本年度の修了です。一日一日を大切に過ごし、それぞれの学年をきちんと締めくくり、卒業・進級を果たしてください。

 

 今から22年前、私は本校で2年5組の担任をしていました。その時に、学級通信で生徒たちに紹介した文章を皆さんにも紹介したいと思います。その文章は、1973年に当時67歳だった北代さんという方が、識字学級に通い、そこで初めて文字の読み書きを覚え、書いた文章です。識字学級というのは、差別や貧困のために学校教育を受けられず、読み書きの能力を身に付けられなかった人が、その能力を取り戻すために行われる学習会のことです。昭和30年代の後半に福岡県から始まり全国に広まったと言われています。

 「わたくしはうちが貧乏であったので学校へ行っておりません。だから字を全然知りませんでした。今、識字学級で勉強してかなは大体覚えました。今までお医者へ行っても受付で名前を書いてもらっていましたが、試しに自分で書いて試してみました。看護婦さんが北代さんと呼んでくれたので大変嬉しかった。夕焼けを見てもあまり美しいと思わなかったけれど、字を覚えて本当に美しいと思うようになりました。道を歩いておっても看板に気を付けていて習った字を見つけると大変嬉しく思います。数字を覚えたのでスーパーや木曜市へ行くのも楽しみになりました。また旅館へ行っても部屋の番号を覚えたので恥もかかなくなりました。これからは頑張ってもっともっと勉強をしたいです。10年長生きをしたいと思います。」(原文の一部を漢字表記)

 文字を獲得するまでの約70年、北代さんはどのような生活を送ってこられたか想像してみてください。例えば、北代さんも書いておられるように、病院へ行っても受付で名前を書くことができず、買い物に行っても計算ができない。電車やバスに乗る時に行き先が分からない。自動車の運転免許を取りたくても、選挙に行きたくても字を書くことができないので諦める等。このように、文字を知らないと人として必要な最低限の生活を奪われることになるわけです。

 私が今日、皆さんに特に考えてほしいと思うのは、夕焼けを見てもあまり美しいと思わなかった北代さんが、「夕焼け」という字、「美しい」という字を知ることによって初めて「夕焼けが美しい」と心の底から実感できたのは何故かということです。これは一体どう理解すればよいのか。

 私は、この北代さんの文章を初めて読んだ時、とても大事なことを気付かされたように感じたことを覚えています。確かに、自分の名前が書けなかった人が書けるようになった時の喜び、何が書いてあるのか分からなかった街中の看板の文字が読めた時の喜び、これは容易に想像できます。

 しかし、文字を知ることと夕焼けが美しいと思えることの関係は、言葉の実際的な効用面だけでは説明がつきません。私はこのように考えます。言葉は、読み書きやコミュニケーションの手段になるだけではなく、何かに感動したり、思いを強くしたり、深く考えたりするときに、私たちは確かに生きているという実感をもたらしてくれる。言葉の獲得こそ生きることそのものである。夕焼けが美しく見えたのは、北代さんが文字を知ったことで人間として解放されたからであり、人間としての尊厳を取り戻した証なのである。このように理解できないでしょうか。言葉にはそんな力があるということです。

 

 誤解のないように言いますが、文字を持たない人は非人間的であるということではありません。文字を持たないアイヌの人たちやネイティブ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニの人たちが人間性豊かな文化を持っていることを私たちは知っています。

 また、日本には「わび」、「さび」、「風情」などという言葉がありますが、これらの言葉があるから私たち日本人はそれらを認識できるわけです。これらの言葉を持たない西欧の人たちはなかなか理解できません。逆に、「自由」という言葉しか持たない日本人には、英語のlibertyとfreedomの違いを理解することは難しいわけです。言葉が認識を生み出し、異なる言語は異なる人間をつくるのです。言葉にはそんな力があるということです。

 

 このように考えると、私たちは、一体どんな言葉を知っているのか、どんな言葉をどのように使っているのか、自分の言葉を疑ってみる必要があるように思います。例えば、クラスで話し合いをしている時に意見を求められ、「別に」とか「分かりません」とか言ってそそくさと座ってしまう、その時の自分の言葉を疑ってみる。何かで先生に注意され、「すみません。」と言って直ぐに下を向いてしまう、その時の自分の言葉を疑ってみる。また、自分の言葉で人を傷つけたり、人を貶めたり、蔑んだりしていないかどうか自分の言葉を疑ってみる。さらには、自分が普段よく使っている言葉のなかに、差別的な意味があることを知らずに平気で使っている言葉があるのではないかと疑ってみる。

 皆さんは、すでに多くの言葉を獲得しています。そこに止まることなく、もっと多くの言葉を獲得し、それらの言葉を正しく使うことで豊かな思考力・判断力・表現力を身に付け、豊かな言語生活を送ることを期待します。

以上、「生きることと言葉」というテーマで話をしました。これで3学期始業式の話を終わります。

2016年1月8日 東 則尚