新世紀の滝二サッカー  (TAKIU Football toward new millenium )
 
 1984年4月 滝川第二高校開校と同時にサッカー部は誕生した。以来17年間、滝二は20世紀終盤の兵庫県高校サッカー界をリードしてきた。時はまさに新世紀を迎え、2002年には待望のワールドカップが日韓共催の下、神戸でも開催される。ワールドカップの開催は単にサッカー競技にとどまらず、『日本のスポーツ文化の革新の起爆剤になるであろう』という期待もある。
 滝二にとって、20世紀後半を創生期とするならば、21世紀はまさに躍進の時でなければならない。今、過去を振り返り、未来についての展望をまとめてみたい。なお、21世紀がどのような社会になるのかは、今回省略させていただいた。
 
1,歩み
  a、主な戦績(カッコ内は年度数)
    兵庫県新人大会  優勝11回(86,87,88,89,90,91,92,94,96,98,00)
    兵庫県高校総体  優勝12回(86,87,89,90,91,92,93,94,96,97,99,00)
    近畿高校選手権大会  優勝2回(91,97)
 
    全国高校総体   出場12回(ベスト4=87,ベスト8=91)
    全日本ユース   出場 2回(ベスト8=97)
    全国高校選手権大会 出場8回(ベスト4=98)
 
  b、Jリーグへ(○数字は入学回生)
    @本街直樹(市原→山形)A藤田善浩(G大阪)・牧野景輔(市原)C山田栄一郎(横浜M)    C重野弘三郎(C大阪)D森敦彦(横浜F)E坂元要介(京都)F寺川能人(横浜M→市原→新潟)・木場昌雄(G大阪)・吉坂圭介(大分)H波戸康広(横浜F→横浜M)・吉田孝行→(横浜F→横浜M→大分)・葉田聖侍(V神戸)I波戸善行(V神戸)P三木隆司(平塚→大分)・伊藤良樹(京都)・林晃平(G大阪→川崎F)・水島伸吾(大分)K朴康造(京都→城南)・加地亮(C大阪→大分)L林丈統(市原)N春永代志(V神戸)・小山拓士(市原)                              以上23名
 
  c、海外へチャレンジ(○数字は入学回生)
    B太田浩之E重野邦四郎G亀谷涼・西塚昭二I勢堂龍吾・波崎耕平・秋田一行J李泰盛
    K林延行                                以上9名
 
  d、指導者として(○数字は入学回生)
    @本街直樹・亀谷誠・神田尚一郎・村上勝紀B満富利信C鎌田昌幸D頼経敬志・片山昌幸
    田代充祥・近藤昭彦・山口宗明E松岡徹・坂中尚哉・中沢通人F羽田康宏G小森康宏・石塚俊一・小菊昭男・佐藤貴則・三井康充I都修一・宗像剛J安藤知治K寺前亮介M阿部貴臣
                                       以上25名
2,統括
 
 かつて神戸・兵庫はサッカー王国と呼ばれた。それは1918年(大正7年)から始まったフットボール大会(現在の高校サッカー選手権大会)における神戸一中、御影師範の優勝回数があわせて16回がそれを物語り、全日本選手を数多く排出した歴史の故である。第二次大戦後、少年サッカーの普及など復活への努力は見られるものの、残念ながら他府県の後塵に甘んじているのが現状である。
 滝二の誕生は、滝川学園・滝川慶作前理事長の肝入りによるものだが、何故このように短期間でその地位を築いたかを考えてみよう。サッカー専用グランドを持つなどの施設面の良さ、Cコース制というクラブに打ち込める学園の体制、アットホームな学園寮の充実。野球を筆頭とする他の強化クラブとの切磋琢磨の雰囲気などがあげられる。
 サッカー部の立場で言えば、一回生の頑張りは特筆に値する。一回生(17名)は、全員県内の生徒にも関わらず全員が寮に入り、寝食を共にして全国大会出場を夢見た。その夢は見事3年目の夏・冬出場で実った。
 山口俊一部長の尽力は相当なものであった。また、父母の会初代会長、初島章介氏の支援も大きな力となっていた。父母の会の精神は今も脈々と受け継がれている。二回生は夏の北海道総体で一気にベスト4まで進出を果たした。以来、98年の選手権ベスト4まで、13年もかかってしまった。途中、ゲルト・エンゲルス(ドイツ・横浜F・ジェフ市原・現京都サンガ)コーチの招聘を始め、海外遠征も試みたが〈全国制覇〉はまだ夢にとどまっている。つまり、チームとして県内ではトップクラスの位置にあるが、全国ではまだ通用しない。フェアプレーと集中力をベースにしたゲーム運びは、数多くの感動とさわやかさを呼び、全国に多くのファンを生んだ。しかし、まだまだ個を伸ばしきっていない・チームとして鍛えきっていない等、潜在能力の開発にはまだ甘さが見られた。しかし、Jリーグ等トップレベルで活躍できる選手の育成も重要な目標であるが、むしろ滝二の方針としては、サッカーを一生の友としてグッドライフを目指す、コーチ・審判として活躍する卒業生が増えることが、クラブとしての楽しみである。
 
3,21世紀に向けて
  次の三つの視点から21世紀に向けて、滝二の目指す方向を考えてみたい。
 (1)サッカーの特性
 (2)教育としてのサッカーの意義
 (3)スポーツとして
 
(1)サッカーは世界で最もポピュラーなスポーツである。つまり国際的なスポーツであり、国際レベルで活躍することが宿命のスポーツである。その為には、国際的に通用する選手を育てていかなければならない。日本サッカー協会の技術委員会の方針で、10数年前から三位一体対策がとられ(指導者の育成・若年層の育成・代表チームの強化)日本のレベルは飛躍的に向上したが、まだ、アジアの上位に過ぎない。世界の壁はさらに高いのが現状である。グローバルスタンダードを視野に入れながら、足下を見つめ、国際的な選手の育成は、我々の義務であると考える。
(2)サッカーと教育の関わりは古く、1800年代イギリスのパブリックスクールにおいて、たくましく、チームプレーのできる人材の育成にフットボールが取り入れられて以来続いている。当時、大英帝国を支えたパブリックスクールの卒業生は『自由と規律』の中から育っていき、世界へ進出した。自由と規律こそサッカーの命である。20世紀は戦争・競争の時代だったいう人もいる。21世紀は、平和・共存の時代にしようという声も高まっている。その中で教育の果たす役割は大変重要である。私は、サッカーのもつ特性が教育界に果たす力も大きいと信じている。ここではサッカーをスポーツに置き換えてもいいと思う。 世界の人々が、スポーツを通じて感動・喜びを共有することが、世界平和の第一歩と考える。相手を敬い、審判を尊び、何よりも味方を信頼して全力でプレーするフェアプレーの精神は、スポーツから学ぶ最も大事な要素である。自分に厳しく、他の人には愛をもって接する。常にプラス思考で将来を考える。感謝の気持ちを忘れずに『誰々のおかげさまで』と言える人になりたい。そのような人材育成のキーワードは『オープンマインド』ではないか。何歳になっても向上心を持ち続けるには、オープンマインドは欠かせない。
(3)スポーツとして
   サッカーはスポーツだから勝ち負けはある。優勝もあるし、初戦敗退もある。スーパープレーもあればイージーミスもある。それがスポーツだ。スポーツで連戦連勝、全勝はありえない。人世も同じだ。負けて悔しがり、涙する。しかし、次の目標に向かって立ち上がる。勝手おごらず、さらに前進をめざす。まさにスポーツは人生だ。
   私たちは、スポーツにおいて、勝つことよりも大事なものがあると考える。それは、友情と努力と健康である。ここでは、詳しくは述べないし負ける言い訳にするつもりはない。私たちはグッドゲームの追求に全力で取り組みたい。グッドゲームを追求することで、楽しいサッカーを追求したい。グッドゲームをするために、技術・戦術をさらに高めよう。目標はパーフェクトスキルだ。コンディションをベストにするために自分をコントロールしよう。最後までやり通す強い意志を持とう。フェアープレー精神を貫こう。これがグッドゲームには欠かせませんね。つまりは美しく勝とう。これがグッドゲームの追求の真髄です。
 
4,未来へ向けて
 
 スポーツは人間だけの行動である。人間だけの文化である。人間として、グッドゲームを追求しよう。人間とは、向上する宿命を持った生命物体である。滝二は、握手で始まり拍手で終わる。全力を尽くすことは、義務である。まわりからの素晴らしい賛辞にも、『○○のおかげさまで』と感謝の言葉が言える選手になろう。常に希望と夢を持って明るく毎日を過ごそう。若者にとって大事なのは結果よりプロセスだ。10年間に3回以上の全国制覇だ。私は2001年1月中旬、つくば市で行われた「第2回サッカーカンファレンス」に参加した。実績ある各国のスピーカーから素晴らしい実践を聞くことができた。その中で、フランスナショナルチーム監督のロジェ・ルメール氏は自信の哲学を述べた。『学ぶことをやめた者は教えることをやめるべきである』と。つまり、『教えたのなら常に学ばなければならない』ということである。ロジェ・ルメール氏は2000年ヨーロッパ選手権を制覇し、2002年ワールドカップに挑む。
 私たちは、《怯まず・驕らず・溌剌と》のスピリットで、日本発『世界を目指すチーム』である。
 
2001,1,17
(震災復興へ7年目)
神戸を愛する一市民として、何よりサッカーを愛する一高校の監督として
黒田 和生