|
|
|
|
|
Vol.129 2008,12,1(Mon) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1964年(昭和39年)、時あたかも日本列島改造論 |
|
|
|
|
高度成長経済の真っ只中です。オールウェイズ三丁目の夕 |
|
|
|
陽に象徴される昭和30年代が終わりを告げる時、 |
|
|
|
『夢の超特急!』が10月1日新大阪→東京間で営 |
|
|
|
|
業を開始した。6時間30分の時間を要した在来線に |
|
|
|
|
対し、世界最高営業速度210km/h の速さで3時間余 |
|
|
|
|
で結んだ。0系新幹線と呼ばれる、この愛くるしい |
|
|
|
|
ダンゴッ鼻も44年の雄姿に終止符を打つことになっ |
|
|
|
|
た。1986年までに3216両が製造されたそうである。 |
|
|
|
|
今や、羽をつければ飛んで行きそうな700系の時 |
|
|
|
|
代、今の高校生は“こだま”としてしか存在感は無 |
|
|
|
|
かったが、そのテクノロジーは時代を受け継ぎ進化 |
|
|
|
|
を告げる。何事も進化を遂げなければならない!! |
|
|
|
| 〔ご声援ありがとうございました・・・・!!〕 |
|
|
|
|
| 漸く落ち着きを取り戻しました。決勝のビデオを2回も、じっくりと観ることが出来ました。 |
|
| つくづく、私自身の指導力不足を痛感する日々となっています。闘い方のシュミレーションを幾通りも考 |
|
| え、その対策も万全とは言わないまでも一通りは手を打ったつもりでした。前年の東海総体、決勝戦は三 |
|
| 重対決となり、四中工のとった戦術はリトリートからのカウンターであった。0−4の完敗となった。 |
|
| 第86回大会の県決勝はベスト8でのリーグ戦の対戦で0−2から2−2とし、完全に叩きにきた一戦を |
|
| 落とした結果を受け、『この戦術でくるかな?』と警戒はしたが、日の丸候補2人を抱える攻撃陣が通常 |
|
| の闘い方となった。その事が頭から離れてはいなかったが、『この戦術はない!』と思い込んだのが、一 |
|
| つのボタンのかけ違いとなった。立ち上がりのセットプレーからの2点で、ますます守備は強固になって |
|
| いくなか終了間際、飯田の抜け出しから1点を返し後半に手応えを感じながらのハーフタイムとなった。 |
|
| 結局、バイタルエリアに中野が前を向いて進入できる場面は増えたが、フィニッシュは白い壁に阻まれ、 |
|
| 全国への道は閉ざされた。 |
|
| 『勝たせてやれなかった!』自責の念は強く、悶々とした夜を過ごすが、1日の悲しみの時間をいただい |
|
| ただけで、埼玉の浦和東高校の野崎先生からフェスティバルの参加のご案内をいただいた。また、御殿場 |
|
| の時之栖からは年始のフェスティバル(裏選手権かな?)の案内をいただいた。少し休みたいという思い |
|
| は強いものの、選手達も動き出している。私だけウジウジとしていられないのが現状となった。 |
|
| 『サッカーで打ちのめされ、サッカーで救われる!』、こんなく私でも、『またやろう!』といってくれ |
|
| る選手達がいてくれる。持ち前の切り替えの速さを今こそ活かすところかなと思う。 |
|
|
|
|
|
|
|
| ご声援いただきました皆様、ありがとうございました。また頑張ります!!! |
|
|
|
|
|
|
|
| 【筆者お詫び】 |
|
| 何度も書いては消し、消しては書いてとまとまりを欠いた。何時かも書いたが、『誰を意識してるの?』 |
|
| ということである。本より、悔しさや悲しさや情けなさや少しの反省を、自分のために残しておこうと思 |
|
| いつき、管理人の手を煩わせているものであったが、知らず妙な色気が先走る自分がやはり嫌で、躊躇っ |
|
| ている場面が多いのではと反省する。原稿をUPしなかったのも、何かそうさせない何かがあった。 |
|
| 書き溜めた“独り言”は新年早々の掲載となる。忘れた頃に、ひと時お付き合いを! |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|