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Vol.122 |
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2月3日(日)立春である。やけに静かな朝かなと思 |
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い外に出ると、何と一面の雪化粧である。新人戦準々 |
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決勝(vs近大高専)での敗戦から本日練習は休みにし |
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久々の休日である。やることは沢山あるのだが、何か |
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しら身体全体に絡みつく虚脱感に、『まっ、いいか!』 |
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とマイペースには変化が無い。何時まで続くか選手権 |
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シリーズも1月中には終わりたいと思いながら・・・・! |
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こころなしかこの日以後、風にもお陽様の光にも春の |
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気配を無理にでも感じようとしているように思われる。 |
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『春よ来い、早く来い・・・・!』 |
| 〔絶対にあきらめるな!夢はかならず叶う!!〕D |
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| 1月4日(金)は休養日である。然しながら“完全休養!”は頭には無く、多摩川の河川敷に身体を動かし |
| に行く。午前中ホテルで休養充分の選手達と、ベスト8に入るとたいしたものである、新聞・TVのメディ |
| アも多く参加して徒歩での移動となった。ブラブラと歩くこと30分、ようやく現地到着である。野球の外野 |
| の芝を使用して、ランニング、基礎練習、ミニゲームで1時間を終了した。芝(草)があったので喜んだが、 |
| 凸凹の状態で怪我が心配で、本当の意味で身体を動かす程度で終了した。メディアの方々には実に気の抜け |
| た、寒風に晒された実の無い半日になったのではと恐縮至極であった。 |
| さて、“ベスト8で闘えるチーム”を作りたいと、またそのことを標榜してきた。『勝った、負けた』は横 |
| において置いて、『自分達らしさを出して如何に闘うか!』と頭を悩ませ続けた。と言っても、スカウティングし |
| ようにもその材料が無いのである。しかし、ありがたいことに持つべきものは友人である。それも大学の同 |
| 級生のT氏(夏の岡山遠征でお世話になっている)に連絡。作陽vs広島皆実の放送の録画を送ってもらう事 |
| となった。作陽が進出の場合は多分に出し渋ったと思われるが夕刻宿舎に届けられた。夜のミーティングで |
| 選手達と観ようと思ったが、選手達には『自分たちがやるべきこと、やらなければならない事』を那覇戦か |
| らの反省点として伝えるのに止め、十分な睡眠と静かな闘志を期待して早めの就寝とした。 |
| さて、ここからがパソコンのモニターとの睨めっこである。昨年度無得点・無失点でベスト8進出。今年も |
| 広島県大会6試合無失点、本大会3試合無失点、尚志・帝京・作陽と優勝候補に挙げられているチームを撃 |
| 破し、昨年と異なり3試合5得点とサイドからの展開を武器にFWも得点能力があり、スピーディーな展開 |
| に自分達がどこまで抵抗し、堅守皆実の牙城を崩すことが出来得点することが出来るのか?私には珍しく、 |
| 2回と前半と実に4時間に及んだ。試合観戦も1試合が限界で2試合見ても上の空の私には信じられない出 |
| 来事となった。ここで一筋の光明を見出すことが出来た。気がつけば実に簡単なことであった。『ストロングポ |
| イントがウィークポイント』となることが見えてきた。この反対は絶対ありえないことであるが、ここを突けば得点は |
| 可能であると思えた。〔ここでは詳細は省くことにする。興味のある方は日テレG+、若しくは録画で発見 |
| されたい〕このことは選手達にはアップ前のミーティングで伝えた。後は攻撃陣に個別の指示を出した。褒 |
| められることは、選手達がそのことを理解し実践に移すことが出来たことである。先制点を挙げ、同点に追 |
| いつかれはしたが、前半1点リードで折り返せたこと、後半だめ押し点を挙げられたことは、堅守の皆実に |
| 勝利できたことは勿論であるが、やり切れたことへの実感と津工業へ赴任してから言い続けた『ベスト8で |
| 闘えるチーム』の誕生であった。勝利は頑張った選手たちへのご褒美である。充実した気持ちでホテルへの |
| 岐路に着いた。もう一つ、闘うに臨んで選手達に言い続けたのは、『先のことは考えるな!』であった。勝 |
| てば国立(ベスト4)の思いは、周囲の騒音として排除し、皆実との対戦のことだけを考えるよう、口を酸 |
| っぱくして言い続けた。 |
| さて、いよいよ国立である。対戦相手は優勝候補筆頭の流通経済大学付属柏高校である。お世話になってい |
| る旅行業者のサポートで、流経柏vs東福岡のDVDをいただき、またぞろ眠れない夜を過ごすこととなった。 |
| 残念ながら東福岡の戦い方は、自分たちには真似の出来ない戦術でヒントすら見出すことは出来なかった。 |
| 同時に、久御山・北越との戦いの情報を得ても、“らしくない戦い!”を強いられていたように見て取れた。 |
| 相手に合わせてシステムやスタイルを変化させ、守備における意識の高さ、強さ連携はしっかりと組織づけ |
| られ、全日本ユースの決勝での闘い方が頭にあったが、実際目の前で披露されると格段の違いとなって目に |
| 焼きついた。序盤、松葉のドリブルから通用するのかと言った錯覚は一瞬に打ち消され、個の部分において |
| は常に守勢に回らざるを得ない現実となって現れた。3試合をパサーに徹した大前君はゴールハンターと豹 |
| 変したし、中盤の意図的な守備は悉く分断され、頼みの両翼はその翼を捥ぎ取られた状態となった。後半、 |
| 何とか取り戻そうと立ち上がり松葉の進入は得点の臭いは立ち上らせたが、ループシュートは不発となった。 |
| 2点目が実質上の勝負を決する失点となった。カンフル材的な守備の修正のクリニックが、全員に浸透し3 |
| 試合毎回失点ながらセットプレーの失点に留まっていたが、初めてゾーンのポジショニングのミスを犯し、 |
| 失点に結びついた瞬間であった。〔今までもシュート場面はあったが失点には結びつかず良しとしてきた結 |
| 果でもあった。〕以後の大前劇場は最早死に体となったチームには成す術はなかった。 |
| しかし、選手達は最後まで1点に拘り、チャレンジをしてくれた。成す術は与えられなかった指導者(私) |
| の責任であり、晒し者にさえも映った現実には申し訳なさがつのった。 |
| ベスト4、国立と言う舞台で痛感したことは、『ベスト8で戦えるチーム作り!』とは、勝利した時はベス |
| ト4で戦わなければならないということである。ここは、やはり『優勝を狙う!』チーム作りをしてこなけ |
| れば通用しないと言う現実である。このことは今後大きな問題となって私に圧し掛かってくるものである。 |
| 第83回大会出場後の私自身の勘違いから次の出場まで3年がかかった。今回はその轍は踏まないつもりで |
| あるが、得た経験の問題は私達を苦しめる現実となることは必至である。どこで折り合いを着け、今後の活 |
| 動に結び付けていくか、また試行錯誤を繰り返さなければならない。しかし、あの夢心地は中毒性のもので |
| あることは間違いない!また何時の日かチャンスを手繰り寄せたいと思う。選手達と共に。 |
| 長々とお付き合いをいただきました。漸く、(完)と結ばせていただきます。 |
| 三重に帰りまして、スーパーやクリーニング屋さんやその他いろんなところで、失礼ながらサッカーとはあ |
| まりご縁のなさそうな年齢の方々から、『津工業のサッカーの監督さんやろ、よう頑張ったな!』と暖かな |
| お声をかけていただく。ありがたい話である。現地では都立三鷹の活躍を報じるメディア一色で、三重に帰 |
| ってきて司書の先生がスクラップしてくれた新聞を見て、『いや〜!結構大きく取り上げてくれているんや』 |
| とビックリしている。津市長への結果報告、三重県教育委員会には『優秀選手賞と優秀指導者賞』の表彰を |
| していただいた。選手はともかく私はお尻がムズムズとすることしきりであった。素直にベスト4(第3位) |
| を喜べないことが不遜に映るかも知れないが、これもまた現実である。 |
| 暖かなご声援に、改めて感謝を申し上げる。 |
| (完) |
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