ここは昔、農学校だった

 名張高校は、地域では屈指の「伝統校」と言われています。
 前身校が創立されてから、今年度で95年目です。

 1916年 名賀郡立農学校が創立
 1922年 名張町立実科高等女学校が創立
 1948年 農学校と女学校が統合されて、名張高校が誕生
 1973年 上野農業高校が創立されて、農業学科が事実上の移転

 本校のHPの中に、学校の歴史は紹介されていますし、本校の来客用玄関にも、前身校の校旗や歴史を紹介したプレートがガラスケースの中に収められています。
 
 さらに、何とか本校の特徴である「伝統」を身近なものにしたいと思い、2つの方策に取り組んでいます。
 小さな、小さな取り組みですが。

 一つは、かつて農業学科があった場所(牛舎・鶏舎・プレハブ校舎などの跡地)に、小さな畑を営んでいます。
 年度によっては、生物学の演習授業で農園実習を行っています。この講座が開講されていない年度は、畑の近くで活動しているクラブが世話をしています。
 今週、ジャガイモの収穫がありました(下図。11月23日撮影)。
名張高校のブログ-ジャガイモ写真
   
 そしてその翌日、収穫に参加した2年生の女子生徒Hが、そのジャガイモでポテトチップスを作ってきてくれました(下図。11月24日撮影)。
 予想外だったので、かなり感激しました。
名張高校のブログ-ポテトチップス写真
 

 もう一つは、日本史Aや日本史Bの授業で、ここ数年、本校の歴史を採り上げています。
 昨日、時間割が発表された「後期中間考査Ⅱ」は、出題範囲が明治時代後期から昭和初期にかけてなので、まさに農学校や女学校の創立期にあたります。教科書内容は逸脱していますが、大切な歴史なので、生徒諸氏には出題を予告しています。(誇りをもって、勉強しましょうね。)

 名賀郡立農学校ができた当時は、第一次世界大戦の最中で、当時の政府は第二次大隈重信内閣でした。大戦中の日本経済は、好景気に沸き、工業生産額が農業生産額を上まわるなど日本の産業構造が大きく転換しつつある時期でした。

 名張町立実科高等女学校ができた当時は、経済は大戦景気の反動(戦後恐慌)で長く苦しんでいた時期でした。日本政府は高橋是清内閣でした(まもなく加藤友三郎内閣に交代)が、第一次世界大戦後の国際協調の機運のもとで、軍縮が求められていた時代です。
 ちなみに当時の校舎は、現在の名張中学校の敷地にありました。

 伝統校であることを意識しながら、今日も学校運営は継続されています。




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