果てしなく続く道

○「自分と生きがい」について

★このテーマを与えられて、改めて私の「生きがい」とは何だろうかと考えてみた。生きがいを生きるための目標と言うならば、私の目指したいものは、私自身の成長、もしくは完成への近づき、だろうか。
 パーフェクトな人間になろうとするのでなく、たとえば学校の面でいえば、四年たったときに晴れ晴れとした気持ちで卒業できるように、たとえ数学や物理の点数が赤点ぎりぎりだったとしても、”あの時は眠いのをがまんしてがんばった”と後で思えるよう、精一杯の努力を続けること。

 縁あって知り合えた先生や同級生たちと尊敬の念を持ってつきあうこと。無理ながまんや努力ばかりでなく、再び学ぶチャンスを与えられたことに感謝しながら楽しむこと。さらに仕事の面では、○○○○という職場では、実にたくさんの人にめぐり合い、いろいろな家族、人生・・・を見聞きする。どんなときにも真剣に相手の人の話を聞き、思いやりを持って対話できるように、心がけてゆきたい・・・。

 主人や子供たち、家族は私の大切な大地であり、根っこである。その根っこを基として、私は少しづつでも成長したい。人からの評価を基準とするのでなく、静かに自分自身や社会全体を見つめることのできる、静かな人格を身につけたいと思う。


★私は、独りでいるときや動物に対して「生きがい」を感じることが多いため、人間が愛
の対象になっていると考えたことがありませんでした。しかし、「生きがいは愛のの力が
働く場所に生じ」、その根底には必ず「人間愛」があるということなので、自分が他人と
互いに依存しあって生きていることを認識しなければ本当の「生きがい」を得ることが
できないことに気づきました。


○この1年間の「倫理」の学習を振り返って

桜とつくし
★私はサルトルの実存主義について関心をもちました。サルトルは常に前向きに生きることを考えています。実存するということは、「人間は将来に向かって事故を投げかけるものであり、そしてその投げかけを意識している。だから人は自己の可能性を見つめ、手をこまねいて生きるのではなく、つねに企て、つねに着手し、つねに行動している」とあるように生きるということは自分を高めていくことなんだと思いました。「人間こそが自らを自己の外にある可能性に向けて投げかけていく唯一の存在」なのだから、人間として生まれてきた以上、常に努力し、未来を信じていかなければならない義務のようなものがあると思いました。またサルトルのいう社会参加(アンガージュマン(拘束))をしてこそ生きている証になると思います。社会の中で自分の考えを積極的に出していきたいと思いました。(組織の中に埋もれて個性を失ってしまうのでなく)。その社会の中で、キリスト教の隣人愛は最も徹底していかなければならないことで、社会生活を営んでゆくうえでの基本だと思います。そして差別や偏見をなくして、お互いに高めあえる世の中にならないかなと思います。でも人間はどうしても他人を憎むもので,憎しみによって生命力を得ていることもあるので、難しいです。とはいえ、どうせ戦争がなくなることはないなどといっていても仕方ないので、私は今まで憎んでいた家族を別の目で見てみることにしました。あと、私の理想の生き方はすべての欲望や煩悩を捨てて静かに生きることですが、物欲はおさまることを知りません。まあその馬鹿なところが人間らしいな、とは思います。

★倫理を学んで、倫理とは一番必要な教科ではないかと思いました。最初は哲学というのは難しく、尽きることのない話だと思っていたのですが、教科書を見ているうちに、この人たちはすごい人たちばかりだと思うようになりました。

どの思想家の人をとっても、自分の生き方・自分の人生、それから他の人々の生き方や人生まで真剣に考えているのだ思い、とても感心させられました。特にソクラテスの言葉で「大切なのはただ生きることではなく、よく生きることである」という言葉はとてもわかりやすく、自分にはあなたはよく生きていますか?と問いかけられているようで実にショックでした。決して自分の人生のことを考えわけではないのですが、何を目標に自分が生きていくのかという答えはなかなか見つかりません。

 また「満足した豚であるより不満足な人間であるほうがよく・・・」というミルの言葉も印象に残っています。決して小さなことに満足せず、その上の上を行くこと、不満足な人間のほうが何かを目指し幸福を手にすることができると説いているのではないでしょうか。ともかく自分もただ生きることより、よく生きられるようがんばりたいと思います。一年間ありがとうございました。


★倫理の教科書に書かれている思想家や哲学者の言葉は、とても難解でとっつきにくく、わざと難しく書いているのではないかかと思えるほどわかりづらいと思いました。でも、思想家や哲学者がどのような人生を歩んだかがわかってくると少し親しみがもてました。歴史に残るような有名な思想家や哲学者も、人間らしく悩み、苦しみ、そして挫折を体験し、その困難な状況を克服するために哲学や思想を生み出してきたのではないかと思ったからです。
 ヤスパースは、限界状況に直面したとき、人は挫折し絶望に陥り、そしてその時、自己の弱さ、無力さを自覚し、「自分は今ここで何をなすべきか」ということを自己の責任において決断しなくてはならなくなるといっています。自分にも挫折体験があり、自分ひとりではどうにもならないという状況を体験しました。自分はその体験から目をそらし、逃げていたようにに思います。自分と偉大な思想家や哲学者との違いは、そのつらい挫折体験に目をそむけるか、直視するかの違いだと思いました。
 でもこの一年間、倫理を学習してみて、その体験を直視する勇気を少しもらったように思います・・・だから自分自身もつらい挫折体験から目をそらすことなく直視し、自分が今ここで何をなすべきかを考えて、現実の中で真剣に生きてゆきたいと思いました。
サッカー小僧

黒板