第5回


「1」

ビザンツ帝国は古代ローマ帝国の後継者でありつつまた近代ヨーロッパへの橋渡しをするような位置にあります。p88〜参照。

※ビザンツの名は、古代ギリシア人の植民活動のなかから生まれた町の名前「ビザンティオン」によっています。

※全盛期の皇帝、ユスティニアヌス帝に注目。彼の時代のビザンツ帝国の最大領域(p88地図)や、彼がローマの共和政以来の法律をまとめた「ローマ法大全」を確認しておいてください。

「2」

92〜参照。ゲルマン民族の大移動 → フランク王国 → フランク王国の分裂(後のフランス・ドイツ・イタリアのもとができる)の一連の流れを理解してください。

※ゲルマン民族の大移動について、p84下地図で確認を。地図中の「フン」は、大移動の原因を作ったアジア系の民族で、ゲルマン民族ではありません。

「2」 下線部C 95左下の「荘園のようす」を参照してください。

「2」 下線部D

教皇の権威が、各国の皇帝や国王よりも大きなものであったことが象徴的にあらわれた事件です。欄外も参照してください。

「3」 1.
 問4
ヨーロッパ世界とイスラム世界とがぶつかった十字軍は、聖地や領土の獲得はならなかったが、2世紀(約200年間)に及ぶ十字軍がヨーロッパに与えた影響はたいへん大きいものがあります。p96をしっかり読んでください。
「3」 下線部D

「教皇のバビロン捕囚」は、ある事件を古代の「バビロン捕囚」になぞらえたものです。かつて皇帝や国王よりも大きな権威をもった教皇の力に大きな変化があったことを象徴する事件です。p98をよく読んでください。

※この機会に、古代の「バビロン捕囚」も復習を。p27参照。
「4」 空欄

9899参照。14世紀以降のイギリスやフランスは、国王による支配が強まり、中央集権化が進んだ。同様に8世紀にウマイヤ朝に征服されたイベリア半島(現在のスペインやポルトガルのある半島)では、イスラーム勢力を南に追い国土回復運動を進めた北部のキリスト教国がまとまってゆき(アラゴン王国とカスティリャ王国がまとまりスペイン王国が成立)、15世紀末(1492年)に半島からイスラーム勢力を追放した。(グラナダのナスル朝滅亡)

「4」 問2

 問1の答えでもある、ジャンヌ=ダルクという少女は、フランスの窮地を救った英雄です。現在のフランスがあるのも、彼女のおかげといっていいでしょう。このような彼女ですが、後に魔女の疑いをかけられ、処刑をされてしまいます。現在は魔女としての扱いはなくなり、聖人の一人としてあがめられています。


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