第3回 |
「1」 | (3) |
この国は、前770年都の鎬京を西北の異民族犬戎に奪われ都を東の洛邑(今の洛陽)に移し、これ以後を東周と呼びます。
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「1」 | (4) | 封建制については、どのような人が諸侯に任命されたのかという点と、王と諸侯の間にどのような関係が結ばれていたのかという点について説明してください。 |
「1」 | (6) |
諸子百家については、p58参照。 強力な国によって統一されているとき(一つの思想で強力に国家が運営されているとき)よりも、むしろ国家が分裂状態のときに、個性的な思想が生まれるようですね。・・・14〜16世紀のイタリアのルネッサンス(文芸復興)の時代もそうです。
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「2」 | (1)A 下線部@ |
始皇帝の行った思想統制ですが、答えの「○○こう○」の〔こう〕の漢字は〔抗〕ではありません。「あな」を意味する漢字です。 |
「2」 | (1)B 下線部A |
秦の滅亡した理由ですが、「農民反乱がおこったから」だけではなく、なぜそのようなことがおきたのかその理由をしっかり書いてください。 |
「2」 | (2) 空欄 |
「がいせき」「かんがん」「おうもう」など・・・意味も大切ですが、普段あまり使わない字もありますので、漢字で正確に書けるよう教科書をよく見てしっかり学習しましょう。 |
「2」 | 下線部 B |
武帝はどんな手段を使って、中国の北辺に勢力をはる匈奴(きょうど)を討伐しようとしたのか説明してください。(ヒント:大月氏国) |
「3」 | 6つ目の空欄 | 『五つの異民族』の意味です。「胡」は異民族をあらわします。 |
「3」 | 三国時代の 呉から東晋、そして南北朝時代の南の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)といいます。 |
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「4」 | 空欄 |
p66〜参照。 隋と唐の関係は、以前の秦と漢の関係に似ていますね。前の王朝の業績を基礎に置きつつさらに独自の要素も加えて発展させ、前王朝をはるかにしのぐ大帝国をつくりあげました。 |
「4」 | 下線部B | 問われているのは、西域(さいいき)から伝えられた宗教ですが、ここでは「道教」は該当しません。道教は、北魏の時代に中国の華北で成立しました。 |
「5」 |
論述問題 | 現在の我々の生活を見ると、欧米の文化などの影響が強く、アジア(主に中国)から過去の影響を忘れがちです。私たちの生活の中で、中国から渡ってきたものを考えてみてください。ヒント:いつも書いているもの、宗教、食に関するもの など 挙げればキリがないくらいありますね。 |