第10回 |
「1」 |
教科書p198〜 ○パン・スラブ主義とパン・ゲルマン主義の「パン」の訳語は、「汎」で、広く全体にいきわたるということで、「全○○○」(この場合「全スラブ主義」というイメージで)ある。パン・スラブ主義は、スラブ人の団結を旗印にバルカン半島に勢力を伸ばそうとしたロシアが盟主(その先兵役にあたるのがセルビア)であり、パン・ゲルマン主義は、同地域にゲルマン人の勢力拡大を図ろうとするオーストリアが中心である。 |
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「2」 |
教科書p198〜 ○第一次世界大戦のきっかけとなる事件のあったサライェヴォは、1984年冬季オリンピックの会場でした。そのときの華やかな映像と、1992年ボスニア・ヘルツェゴヴィナが旧ユーゴスラビアからの独立を宣言し内戦となって以降の荒廃した街並みの映像がどうしても同じ町のものとは思えませんでした。 ○弱体化したトルコの領土争奪戦である第1次バルカン戦争で、セルビアなどバルカン同盟に敗れたトルコ(オスマン帝国)と、奪った領土をめぐる第2次バルカン戦争で敗れたブルガリアは、第一次世界大戦においてはオーストリア・ドイツ側(セルビア、ロシア側でなく)として参加することになります。 ○日本はヨーロッパの戦線に参加することはなく、もっぱら青島をはじめアジア・太平洋方面のドイツの勢力範囲を攻撃しそれにとってかわるのが目的であった。 |
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「3」 | 下線部A |
教科書p201〜 教科書p201欄外参照。個々で問うているのはシベリアからひきあげた年。北樺太から引き上げた年ではない。 |
「4」 | (4) (5)
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教科書p202〜
○アメリカ大統領の提唱により初めて実現した国際平和機関は、現在の「国際連合」の前身にあたります。アメリカ大統領の提唱によりできたものですが、孤立主義(この機関に加盟することでかえって戦争にまきこまれたりアメリカ自身の行動に制約をうけるのではという懸念から)をとる議会の反対で加盟できませんでした。 |
(10) | ○1920年代に協調外交を推し進めたドイツの外相シュトレーゼマンは、1926年フランス外相ブリアンとともにノーベル平和賞を受賞しました。 | |
(12) | ○東欧には、第一次世界大戦後“民族自決”の原則によってたくさんの国が独立しましたが、レポートの地図や教科書p202右下図などをみると、ソヴィエト連邦と西欧のあいだにすっぽりと独立国がならんでいます。新独立国はまるでロシア革命の影響を受けたくない西欧諸国の防波堤のようにみえますね。 | |
「5」 |
教科書p206〜 |
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「6」 |
論述問題 | 第一次世界大戦やその後おこる第二次世界大戦はそれまでの戦争とは比較にならないほどの死者や被害をもたらしました。この問題では戦争にいたらないように何ができるかを考えてみましょう。戦争は誰しもしたいわけではないはずです。それなのに過去を見れば戦争はひっきりなしにおこっています。なぜなのでしょう。 自分なりの考えでいいので、じっくりと考えてみてください。 |