国語総合(後)のレポートを作成するにあたって・・・・・・

@ 字は丁寧に書くこと。
A 楷書体で書くこと。
 「楷書体」とは、教科書の活字の様な、「続け字」でない字体をいいます。
それに対して、「行書」(少しくずして書いた字)とか、「草書」(元の字がどんなかわからない事もあるほど、くずして書いた字)があります。
 
B 教科書・学習書をよく読んでから、取り組むこと。
C 抜けた所がないかよく確かめてから、提出すること。

再提出になったら
@赤で直されたところは、鉛筆で書き直して提出しよう。
A感想や自分の意見を書かなければならない部分は必ず書いてください。
書いてない場合は、他の部分ができていても再提出になります。
         

*******************************レポートG
亀山殿の水車

めでたし 形ク動詞「めづ(愛)」と形容詞「いたし(甚)」の複合語。平安後期から「目出」「芽出」などの当て字が行われた。「目出メテタシ」〔黒川本字類抄〕

・賞賛に値するほどに申しぶんのないさま。結構である。すばらしい。みごとだ。外観の立派さだけでなく、食物の味・音声・芸能など広範囲に用いる。

A慶賀、祝福すべきことのさま。誕生、成婚、長寿、新築などの吉事を讚め祝う意を表し、その挨拶として用いる。また、新年や泰平の御代の賀詞ともなる。喜ばしい。

やむごとな・し
形ク「止む事無し」が一語化したもの。「やんごとなし」とも表記される。また、「やごとなし」の形でも使われる。
 @やむをえない。のっぴきならぬ。よんどころない。
 A重要であるさま。大事な物事で、尊重すべきことについていう。
 B高貴であるさま。人の身分・家柄・地位・生れなどについて、一流であることをいう。


やむごとなし
「高貴な」というのが原義であるが、宇治人を尊敬する気持ちも込められている。当時は身分が下のものは、見下されていたが、兼好がその人の身分・階層ではなく、その人の卓越した能力・技術を素直に尊敬・賞賛している部分が、新しいものの見方や人間認識を提示している。
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仁和寺にある法師

六、 みなさんの意見を以下に紹介します。
最初はドジやなぁ…と思ったけど、先生にいろいろ教えてもらって、一人でせっかく思い立っていったのに、かわいそうやなぁと思った。でももし誰も何も言って無くて本人が行ってきたぞ!!って気持ちになっているのなら、それもいいかなぁと思った。

自分がこの法師だったとしてもやっぱりこの法師と同じ事をしていたと思います。そこに行ってみることが達成であって、山にあるものまで考えていなかったのだと思います。せっかくそこまで行っておきながら、とても残念に思います。失敗しないためには、教えてくれる人が何にでも必要なんだと思います。

どんな事でもあらかじめ下調べや知っている人に聞いておくなどしておいた方が良いなあと思った。またもしそう言うことができなくても、現地でアレッと思ったら、そこの人に聞いておくべきだと思った。

「必要な時に必要な手を打っておけば、こういうこともなかっただろうなぁ」と言う思いや、「気の毒だなぁ」という同情や「まぬけだなぁ」という軽蔑の気持ち。どんな人でも失敗はあるということ。

今の時代でも、下調べなどの準備と人に教わることも大切で、自分の思いこみは間違いのもとになることを教えられた。

★調べないとわからないものだと…。★なんで不思議に思ったとき、登る人に聞かなかったのか…。とっさの判断はやっぱりむずかしい。

私と似ているところがあるなぁと思った。計画性がないというか、鈍くさいって感じです。その後、自信満々で仲間に伝えているところが笑えます。

思い込みで恥ずかしい体験をすることは誰でもあると思うので、この法師の失敗をおかしく感じつつも共感できる。

一言で言って、まぬけなおじいちゃんだなぁと思いました。でも、本人が満足しているんだから、それでいいんじゃないかと思います。このまま知らない方が法師のためなんじゃないかと思います。本当の事を知ったら、ちょっとかわいそうな気が…

人は「ひとり」だと思って生きていくのが困難である。それでも、夢を持ち、自分の目で見、足で歩き、学んだ事は多々あったと思うので、よい思い出の1ページになった気がします。

私も同じような失敗がたくさんありました。何事も事前に知識を身につけることが大切かと思いました。又、山登りなど人がいない所に行く時は必ず一人ではなく詳しい人と行くようにしたいと改めて感じました。

石清水にいけなかったのは残念だが、ゆったりのんびり自分の足で歩いた法師。おおらかでまぬけともいえるけど、今の時代は車とかが移動の手段で、ゆっくり自然を感じて歩くことを忘れていると思い、現代はせかせかしているから、法師のように、ゆっくりのんびりする事も大切だと思いました。

この法師は石清水八幡宮に参拝することによって信仰心の深さをアピールしたかったようだが、早とちりによる失敗する姿をみて、ほんの少しの行動でも下調べと意味をよく知ることが大切だと思いました。

法師は長年思い続けていた所に行けたと思い満足をしていたのに、事実を知ったらかわいそうだと思う。

年をとるまで石清水を拝んだことがなく、その時の思い立った時の思いというのは、障害で果たさなければならないという思いがあったのだろうと思う。その当時は車もなかったのだろうし、それを一歩一歩ふみしめ歩いた僧はとてもすごい忍耐力と精神力だったのだと思う。我が道を進むという僧は本当にどんなことにもめげず気持ちの持ち方がすばらしいと思った。

この法師は長年の望みである石清水八幡宮への参拝を果たしたと思いこんだのは残念だったと思ったと思う。なぜなら、皆が山へ登っていくのを知っていて、それが本宮に参拝する人だったと言うことを知ったら、自分なら残念だと思うし、今と違い遠い旅をするのにとても時間がかかっているためとても残念だったと思うからだ。だけど、本当にすごい人なら、自分の間違いを後悔せず、それをしかたないことだと思い、その原因を調べて今後同じ間違いをしないようにするのだと思う。
この法師はおっちょこちょいだなと思った。話としては僕はとてもおもしろかった。とてもおもしろい法師だと思う。

法師の失敗は自分ひとりで考え行動してしまったことになる。現在このような情報化時代なら、インターネットなど利用してひとりで知識を得ることも可能だが、この頃は、人に教えてもらうことが情報を得る最良の手段であっただろう。いく前に経験者にアドバイスを受けていたら、また石清水八幡宮でも、山に登っていく人になぜと一声かけていたらこの様なことにならなかったのにと思う。

物事は一人で進めてはいけないのかもしれないという教訓を戴きました。何か、未知の世界に足を進める時は、誰かに相談を持ちかけてからの方が確かなのかもしれませんね。古典は苦手だけど、この話は見覚えがあります。中学の教科書にも載っている文章ですか?この法師さんのマヌケさは、なんか和むので大好きです。私も法師さん系です。がんばります。

この法師は「まぬけ」というか何というか…。何だかおもしろい話だと思いました。なぜ参詣していた人がみんな山に登っていくのに、この法師は誰かに聞いて行ってみなかったのだろうと思いました。私なら気になって行ってみますけどね。そして帰ってきてから、同僚の僧に話したと書いてありますが、その僧達はどう思ったのでしょう?知っている人がいたならきっと笑ったのでしょうね。この話は、ほのぼのしていて好きです。

初めて行く場所はちゃんと情報をしいれてから行くべき。私と似ていて悲しかった…。

法師は他人の目を相当気にしている。年をとっているのだから法師としての修行もしっかりとしているはずなのに…と思う。そのような立場の人であっても気が引けるのだから、私のような凡人が世間体を気にするのもまあ、仕方がないかと納得するが、やはり何事にも念には念を入れる事が大切だと思った。でも私はこの法師がなんか憎めなくて好きです。

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レポートH

万葉集・古今集・新古今集の中からあなたが好きな歌を一首選び、その良さを紹介してください。

思ったことを書いてくだされば結構です。

みなさんの感想を紹介します。

淡海の海…
素朴 雄大でどこかさみしくなる歌 

何だか切ない歌だと思いました。でも、きれいな光景が頭に浮かんできました。現代語訳の「悲哀で心しっとりとぬれて」という部分が好きです。表現が胸にじんわりとにじんできました。私も夏の日の夕方は「ひぐらし」の声をきいて、しんみりしています。「もう夏が終わるのか」なんて、少し悲しくなったりと、しんみりしていますよ。

「淡海の海」の現琵琶湖の夕景が浮かびます。そんな夕景の中、鳥が飛び立つ姿は、何かを思い出したり、淋しく感じる気がしました。

人の命のはかなさを感じた。

古文をしていると、先祖が現代の自分に、いろんな大切な日本の物語を教えてくれることを興味深く伝えようとしていることが分かる。難しいけど、熱いものを感じる。

柿本人麻呂が壬申の乱でなくなってしまったかつて天智天皇が建てた都のことを想像し、また、無くなってしまったことを惜しむ気持ちが伝わりました。

琵琶湖に沈んでゆく太陽、雄大な自然のすばらしさと千鳥の声のもの哀しさが目に浮かぶが、琵琶湖と聞くと琵琶湖就航の歌と、鳥人間コンテストと思ってしまうのは、私自身の想像力のなさかと思う。

ある曲を聞くと、父を思い出して淋しくなることがあります。よく似た感じかな。

二つとも歌の背景がとてもキレイな感じでわかってきて、さわやかな感じがする。

これだけ都を愛せるのはすごいなと思う。私は早く都会に出て行きたいと思っているから、良かった頃の都をこれだけ想えるのはすばらしいと思う。嫌いなわけではないが、ここまで自分が住んでいる場所を愛せといわれても、「無理☆」と即答してしまう。

千鳥の鳴き声が切なくきこえたんだろうなーと思った。最初は昔に戻りたいのかと思ったけど、よく見ると”懐かしい”という気持ちの方が強いんだと思うようになった。切なくなる歌だと思う。
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芥川
自由論述が多いですが、自由に書いてください。
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レポートI

四、2、 「無常の人間界」と「悠久の自然界」
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レポートJ

二、2 「蟋蟀」に注目してください。

四、1 老婆に対する優越感を維持するためという点も注目してください。

六、 
 この物語の下人の姿を読んで、あなたが考えたことを自由に述べなさい。
 
評価の観点は、「自分の意見や考えたことが、自分の言葉でしっかりと書いてあるか。」につきます。
   
 国語の場合、自分の頭で考えたことや感じたことを、自分のことばで表現するということが大切です。ある文章を読み、文章を書くという行為によって、読解力、思考力と表現力が同時に向上します。臆せずにどんどん文章を 書きましょう。
   
大変興味深い意見がたくさんありましたので、以下に紹介します。なお、みなさんの感想は個人が特定されない形で随時HP上にアップします。

人はとても弱い生き物だと思う。他者の考え方に流され、間違っているとわかっているのに、つい手をだしてしまう。人の正義についてよく考えることができた。

窮地に追い込まれたとき、人間は生きていくためには悪を悪と思わなくなる。下人も又、老婆と同じようになってしまったことが残念ですが、自分もこんな状況に置かれたら、きっと下人と一緒のことをしていたかもしれません。I

話はあまりわからなかったけど、悪いことをするとそれがいつか自分に返ってくると思った。

今の京都では考えられない状態だと思います。しかし平安末期の時代には荒れていたのだと思います。そしてニキビのあると書いてあったので10代の少年、または青年ぐらいの年代の人だと思います。この年代の人だと心の移り変わりが多くあり、一人の老婆との出会いの最初の場面は、正義感がありましたが、話をしているうちに悪の正義が表れてきて、自分自身も老婆と同じ人間になってしまったことが残念です。

やられたといって、やりかえしてしまっては連鎖は止まらずずっと続いてしまう。こんな事をしていてはキリがない。許すというのは難しい面もあるが他人が悪を行ったからといって、自分がしていいはずはないのだから、難しくても許していって欲しいし、許していきたい。芥川の作品は本当に考えさせられる面が多々あるので、一度読んだ作品もまだ読んでいない作品も読みたいと思った。 

→ インターネット上では、なんと無料で文学者の作品が読めるありがたいサイトがあります。
「青空文庫」で検索してください。芥川の作品もたくさん公開されていますよ。アドレスはhttp://www.aozora.gr.jp/です。


下人は、悪い事をいている老婆に対して怒れるし、悪に対する反感が生まれてぐらいの奴だから、性根は腐っていないのだから、いい方向にいって欲しかった。最後の最後で間違った方向にいったのだから奴も老婆と同じレベル。

正直な所好きになれない主人公だと思いました。悪いことをするのに「勇気」なんておかしいと思います。生きていくためには仕方ないとはいえ、悪いことは悪いことであり、それは何も変わらないと思います。悪いことをして得た幸せは絶対に長くは続きません。だから、この下人はひとときの幸せの後、奈落に落ちると思います。

人はだれにでも良い心と悪い心がある。環境や状況によって心は変化していくと思う。もし老婆が盗みのためでなく死体を供養するためにいたのであれば、下人は老婆に対して盗みを行わなかったのではないだろうか。老婆の行為を見た瞬間に怒りを感じた下人には良い心があったと思う。老婆の自分本位な考え方を聞いた下人に対して盗むという行為に罪悪感を感じなかったのだと思う。

自分より弱い者に対する強気の態度や不安定な正義感など、良いことではないかもしれないが人間らしいと思う。たぶん、下人と同じ立場になれば多くの人間が同じような行動をとると思うから。

人の道としては、悪い事はしてはいけないんだろうけど、生きている動物としては、下人のしたことは間違っていないと思う。ただ、少し老婆がかわいそうだと思う。

死人と一夜を過ごす精神力の強さ、「勇気」という言葉にもさまざまな意味があると感じました。

ずるい!老婆の考えを聞いて盗人のターゲットにするのは、せこいと思う。盗人をするか、飢え死にをするかを迷っていた人とは思えないところは、面白くも思う。ただ、何より確かなのは、この状況はあまり想像したくない…。あまりにもグロテスクそうだから。

自分も下人のように苦しい選択に追いこまれることはあると思った。

老婆の行動や言葉によっていろいろな感情が出てくる下人がおもしろいと思った。

どんなに正しい生き方をしてきた人間でも、このままだと死ぬかもしれないという状況におかれると、何よりも「自分だけは助かりたい。」ということを考えてしまうんだなと思った。私が下人の立場なら下人と同じことをすると思う。今は、そんな状況になっていないから、「下人のしてることはまちがっている」と言えるかもしれないけど、もし同じ状況になったら、大抵の人が下人と同じことをするんじゃないかと思います。

腐乱死体の散乱する楼上での、陰惨な下人と老婆の様は、極限にまで追いつめられた人間心理の一面をむき出しにしているようで凄まじさを感じる。生きるため盗人になるよりほかにないと思っても、行動に移す勇気がなかった下人が、老婆の自己を正当化する言葉を受けて、その老婆に対しひき剥ぎをして盗人になる。しかし、因果応報の考えでいけば当然下人自身もいずれは同じ扱いを受けることになるのだろう。生きるために、夜の暗闇の中に飛び出して言った下人の結末を思うと哀れでならない。

悪事を働いたら、悪事にあっても文句を言えないので、この下人も悪事をされても文句を言えないことになるので難しいことだと思う。

下人の心の移り変わりがおもしろかった。下人は悪いことを簡単にできないいい人だったんだと思う。それがあの老婆に出会って変わってしまった下人を淋しいなぁと思う反面、期待してしまった。

話の内容は理解しにくいけど、冷たさが伝わってきた感じだった。

生きるためには悪いことをしなけらばならない現実があった。また、単純に善悪で分けることができないこともある。

今の時代においても因果応報のような考え方を持ち、生きる人はたくさんいると思う。平安時代と今とでは生きる上での環境の異なりはあるけれど、人が人として持つべきものの気持ちは、時代が変わっても、変わらないものだと思いました。この小説を読んでいくと、少し難しい言葉もあり、理解していくのにとても時間がかかりましたが、それぞれの物の見方の完成等について学べました。

自分が悪いことをするのに、人の言葉や行動をいいわけにしたらあかんと思う。

*******************************レポートK
自由論述がたくさんありますが、がんばってください。

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*レポートL
六、学習書P、277の学習のポイントと、最後の三行をよく読んで考えましょう。   

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