「挑戦」「変化」「進化」kousyou1.gif



≪夏の大会を迎えるにあったって3年生が3年間を振り返りました。≫
平成25年度3年生部員33人からメッセージ


「高校野球三年間」
 高校入学前、僕は、津商業高校野球部に入部し1年生から試合に出て2年生でいい成績を残していき3年生ではベンチに入り試合で活躍し、夢の甲子園の舞台に出場ということを考えながらいました。
 高校入学して野球部に入部し新しい環境での野球が始まりました。入部して1年生が32人もいて驚きと楽しみがありました。僕は、1年生の夏ぐらいから3年生の練習や練習試合に入れてもらい上のレベルでいろいろと経験させてもらい自分にとってプラスになることをたくさん教えてもらいました。そして1年生の秋季大会では背番号19として入らせてもらいベンチからの声や先輩たちの補助などといった仕事をして勉強になったことがたくさんありました。試合では惜しくも負けてしまいました。そして高校入って初めての冬がやってきました。今、思い出してみると恐ろしいぐらい走って走って走って走って走りまくり、気持ち悪くなるぐらいまでやりました。特に、えらかったのは「200メートルのタイム走と津商業の鬼の坂三重TV」が自分の中では精神的にも体力的にもすごく効きました。練習終わってからの帰り道は足が上がらないぐらいで電車の中では疲れて寝てしまい乗り過ごすこともたくさんありました。そうして冬を乗り越えてきました。そして、春・夏大会に向けての練習が始まりだした時に、肘をケガしてしまいました。1ヶ月ぐらい練習ができなくなり、みんなは必死に練習して頑張っているのを見てどんどん抜かされていくような感じがして、焦りと不安がありました。結局、怪我は治ったのですが春・夏の大会はメンバーに入れず悔しい思い出でした。でも、あと1年残っているのでそこで頑張ろうと考えていました。
 自分らの代になり新チーム相馬キャプテンとして始まりました。
「目標は甲子園2勝!!」「チーム目標はスピード感」で決まり、自分にとって人間的にも変われる年になると思いました。
新チームが始まり練習や練習試合など質のある高いレベルでプレーして強くなっているので、今まで以上に視野を広くなりスピードを意識しているので準備力など自分自身、身につきました。そうして練習などをしていき秋季大会が始まりました。僕は、ベンチ入りはできませんでした。とても悔しかった。でも、現実を受け止めてしょうがない事だと思いました。自分の実力がまだ足りていないし、先生に対するアピールとかもまだまだだと感じていました。試合出るメンバーに、勝ってほしいので僕はグランドにいるメンバーに声援を必死に送り続けました。津商業は東海大会に出場しました。すごく嬉しかったです。冬が始まり、去年より走る量は少なかったけど、手にまめがいっぱいできるぐらいにバットを振りました。夜遅くまで練習して甲子園2勝の為にみんなで冬を乗り越えてきました。
しかし、練習や紅白戦に入っていき去年と一緒のように膝に怪我をしてしまいました。1ヶ月間練習できなくなりまた、みんなに抜かされて、そのまま引きずってしまい春季大会も入れませんでした。
そして、春季大会では東海大会に出場しました。この時は、嬉しかったのですが悔しさが大きかったです。 
そして最後の夏に賭けました。
この文章は夏の前に書いたので結果はまだ、わかりません。でも、津商業は甲子園に行けると思います。
・・最後に後輩達に・・
高校野球三年間はあっという間です。時間を大切に使って野球ができることを感謝することだと思います。家族・先生・自分の身の回りの人が支えてくれて野球ができるんだと僕は思います。感謝の気持ちを忘れずに一瞬一瞬大切に野球をしてください。

以上です。


「三年間振り返って」
高校野球を津商業高校で三年間やったことを振り返ると、いろいろな事があったと思います。入学したときの先輩方は少人数に対して自分たちの学年は大人数という状況は他のチームにはないと思います。先輩方は優しくて、入学したての自分たちに学校のルールや部活動のことを詳しく教えてくれました。自分も先輩になったら先輩方のようにいろいろ教えられたらなと思いました。
入学して思ったことは、中学のときとは全く違う練習量と時間でした。体力がなかったので慣れるまでが大変でした。時間は真っ暗になるまでやっていたので中学のときより倍くらい長かったです。練習をやっているときは長く感じなかったのですが、帰りの時間をみたらこんなにやっていたのだと思うくらいでした。電車通学にも慣れず、何度も電車で寝過ごしてしまいました。練習の中で最初に一番えらいと思ったメニューは雨の日の階段のメニューでした。けれど一回目よりも二回目、三回目と数を重ねる事にえらくなくなって、体力がついてきたと実感しました。
新チームになってからは夏休みがとても長く感じました。今までの夏休みのなかで一番だと感じました。パート別練習が多くそのポジションならではの練習が多かったです。同じポジションの先輩に野球の技術の事などをたくさん教えてもらいました。
一年生大会は地区予選の決勝だけベンチに入ることができました。このときに初めて背番号をもらいました。同じポジションの先輩によかったな試合出られるように頑張れといわれたときはすごく嬉しくてもっと頑張ろうと思いました。
一年生大会が終わり、冬季練習が始まりました。最初にえらいと思った階段メニューよりはるかにえらい練習が続きました。特に年末の追い込みが凄かったです。二月頃に左足を骨折し練習に入れない日々が続きとても辛かったです。二ヶ月間練習に入れず四月になり新入生も入ってきて焦ってしまい逆の足を痛めてしまいまた二週間入れなかったりして辛かったです。もうケガをしないように努力しようと思いました。
二年目の夏休みはとても早かったと思いました。秋の大会はベンチに入ることが出来ず、春頑張ってベンチに入ろうと思い冬を迎えました。冬の練習は一年生のときと比べて走る量が減り、バットを振る量が増えました。早打ち五十のメニューは腕がパンパンになりとてもえらかったです。
冬があけ、春の地区の三位決定戦で背番号をもらいました。その試合の最終回に先生に守備いけるか?といわれていけますといいとても緊張していました。そしたらコールドになってしまい終わってしまいました。出られなかったけれど自分の中では、一番印象に残った試合でした。
春が終わり今までいろいろな事がありいろいろあったのに思い返すと短いような気がします。試合数は他の人より少ないかもしれないけれど、このチームで野球ができて良かったです。
後輩に言いたい事は、ケガをすると本当に辛いという事です。ケガをするとそのときはもちろん辛いのですが、復帰してからついていけないことのほうが辛いです。あと最終学年はあっという間に終わることです。三年間を振り返ってみて書いてみると、一年、二年のときのことはたくさん出てきたのですが、三年のことはあんまりでてこなかったからです。あと自分の役割をしっかり理解することです。自分がやらなくてはいけないことをしっかり把握しておけば今やるべきことがしっかり出来ると思います。


「高校野球3年間」
この3年間はいろいろなことがありました。
1年生大会決勝戦で代打で出させてもらいました。結果は三振でした。今思うとあのときの準備力は0点でした。めちゃめちゃ悔しかったのを覚えています。3年生で初めて背番号をもらったときはめちゃめちゃ嬉しかったです。いいことばかりではなくチームに迷惑をたくさんかけました。自分勝手な行動やチームの方針に背いたりしました。あの時はすごく子どもだったなと思います。
引退するまでに自分がやらなければいけないことがたくさんあります。自分のために練習することも大事ですが後輩に自分の経験や野球の知識を教えていきたい思います。私の野球人生は後悔だらけでした。「あの時もっとやっとけばよかった」とはならないように練習はしてきたつもりですがもっとやっとけばよかったとすごく思います。後輩にはそんな思いはしてほしくありません。後悔は絶対にすると思いますがその後悔が少しでも小さくなるように後輩に接していきたいと思います。今の2年生は課題が多いと思いますがその課題をひとつひとつクリアーしていって3年生よりスピード感や準備力を上回ってほしいと思います。
私は津商業で野球ができて本当によかったと思います。
先生は厳しいし練習時間もけっこう長かったけどそのおかげで野球の技術や人間力が向上しました。練習があまり好きではなかった私が練習が好きになりました。もし津商業ではない高校で野球をしていたら最後まで野球を続けていないかもしれません。宮本先生やチームのみんなには感謝でいっぱいです。津商業に入学して本当によかったと思います。
私の将来の夢は保育士になることです。なぜ保育士になりたいと思ったかというと私が保育園や幼稚園に通っているとき男の保育士さんがいたからです。その人の回りはいつも子どもたちの笑顔でいっぱいでした。私もその中の1人でした。私はその人が好きでしたがいつか憧れに変わっていました。保育士になれたらその人のようになりたいと思います。子どもたちと楽しく過ごしていけたらいいなと思います。あと子どもたちには野球をしてほしいので野球を教えたいと思います。子どもたちの成長を見守りそして私も一緒に成長できたらいいなと思います。そんな保育士を目指してがんばります。


「三年間で学んだこと」
 振り返ってみると、入学したころの私は高校野球を舐めていたんだと感じます。しかし、あのころからは想像もできないような成長を私はできたんじゃないかと思っています。野球の力も人としての力も超未熟だった私は、練習中どうにか楽をしようとしたり、授業も適当にうけたり、時には先輩に反抗してしまったこともありました。他にもまだまだたくさん私の心がいまよりもっと未熟だったときにしてしまったことがあります。心が超未熟だった私には先生や先輩や同級生に怒られたりしたことがすべてマイナスになり心に溜まっていって、マイナスのオーラを全面にだしてしまっていました。そんな日は、先生のタントが見えたときとても辛かったです。しかし三年間たって今は違います。まだまだ心は未熟ですが、以前より成長した私は、素直さや謙虚さ、そしてどんなことでもプラスに変えられる心のフィルターが身についたと思います。それらを身につけることが出来たのは最高のチームメイトと最高の“名将”宮本先生と出会えたからです。
 入学してから今まで宮本先生にはいろんな話をしていただきそれで自分も成長できました。しかし先生の話の一発目、入部説明会のとき顧問の名前を書けと言われた私は、宮本先生と小林先生はかけたのですがまったく話を聞いていなかった私は確か、部長・池山先生と書いたのを覚えています。こんなにも話を聞けなかった私ですが少しずつ宮本先生の話に聞き入っていき、そして少しずつ考え方も変わっていきました。でも、私は気づくのが遅かったです。最初のほうでサボったつけがまわってきて、試合にも全く出ていません。なので、後輩にはまず素直になって先生の話を聞くところから始めてほしいです。絶対に考え方が変わり、絶対に成長できる材料がそこにはあります。そうすれば練習や私生活に対する意識も変わってくると思います。
 私は三年間の総仕上げをしていますが、私が出来ることはやってきたことをどんな場面においても全力で発揮することだと思っています。特別なことをするつもりはありません。私の姿をみた後輩が
あんな男になりたいと思ってくれれば、すごく嬉しいですし本当に成長できたんだとおもいます。
 私は将来、消防官を目指しています。「野球」と「消防」ではもちろん全然違います。しかしこの津商業高校でやってきた、スピード感、気遣い心遣い、チームカラーである「アホな男前」は消防官になってからも役に立つことだと思います。学んだことを発揮して社会でも輝きたいです。


「成長」
 津商業野球部に入ってから2年半、私は、津商業野球部に入って本当に良かったと心から感じています。野球部に入って、心身ともに鍛え、自分を磨き、毎日疲れながらも、充実した日々を送ることができています。
 私は、津商業野球部に入って学んだことがたくさんあります。その中に、「準備力」と「考動力」があります。
 「準備力」は、高校野球2年半の中で、私がもっとも身についた能力だと思っています。「野球は準備力のスポーツ」と言われています。プレーに対する準備、試合に対する体や心の準備はもちろん、「今日は雨が降りそうだから傘を持っていこう」「今日は暑いから替えのアンダーシャツを多めに持っていこう」ということを考えて準備できるようになったところが、昔の自分と比べて、ものすごく成長した部分だと感じています。しっかりと準備をすると、自分に自信が持てて、しっかりとした心構えで練習や試合に臨むことができます。高校野球を終えるにあたって、後輩たちにも、是非とも身につけてほしい力だと思います。
 「考動力」とは、字の如く、「考えて動く力」です。野球部は人数が多いため、仕事を人任せにしてもやり過ごすことができてしまいます。その中で、自らが進んで仕事に励んだり、自分の仕事が無いときでも、ほかの仕事を積極的に探す、ということを常に心がけてやってきました。そのおかげか、普段の生活や掃除でも、いろんな細かいことに目を配れたり、気を使うことが少しはできるようになったのかな、と感じています。
 最後に、私の将来の夢を語らせてほしいと思います。私の夢は、企業家になることです。人から好かれ、多くの人に慕ってもらえるような人間になって、立派な会社を創りたいです。そのためにも、これからも常に自分を磨き、成長していきたいと思います。感謝の心と謙虚な心を忘れず、これからも精進していきます。


「高校野球を通して」
 自分が津商の野球部に入ってまた、男子マネージャーとして活動してきて一番学んだ事は、継続力と責任感です。二年半を通して、継続し続けることの大切さ、また与えられた役割に対しての責任を身にしみて感じました。
 自分は野球部に入って1年生の新チーム始動後すぐに、怪我をしてしまったのですが、なかなか治らず腐ってしまっていた自分は周りの指摘を素直に受け入れられず勝手な行動も目立つようになっていました。結局、年が明けても怪我が治らず、二年生の夏を終えた時点で先生と話し合い、男子マネージャーとして活動する事が決まりましたが、自分勝手だった自分に頼る人がいるはずもなく無意味な時間ばかりが過ぎていました。
 そんな中、同じ立場のマネージャーから厳しい指摘を受けて話し合いを重ね、こんな自分では駄目だと感じ、自分の出来る事を探して、やり続けることを始めました。最初は当然の事ながら、なかなか上手くいきませんでしたが、年が明けて、少しずつ周りから頼ってもらうようになり、やりがいも出てきました。しかし、何でもやろうとして全体を通して中途半端な行動が出ていた時に先生に「責任」の言葉を投げかけられ、自分の与えられた役割はこなし方一つで逆に相手の信用を奪ってしまうということも教わりました。
新入生が入り、教育係の立場をとらして頂く中でも、伝え方や報告の大切さなど改めて学びなおすことも多くありました。
 そして今、夏の大会を控えて、夏の大会へ向けての準備や三年生としての締め括り方など考えていく中で、自分自身、先生方やチームのみんなに迷惑をかけた部分が多い分、支える立場としてしっかり下から支えるという事を意識していましたが、ここまで来れば、何も特別な事はなく、支え続けてみんなの甲子園への力になれるように自分の出来ることをただ全力でやり続けることだと思います。
 そして、夏を迎えるにあたって、特に感じることは先生方や関係者の方々、そしてチームのみんなへの「感謝」の気持ちです。
自分の高校野球には後悔ばかりが目立つものになってしまいましたが、それ以上にみんなのおかげで充実した時間も沢山過ごす事ができました。
時に厳しく、そして時に優しく接してくれたみんなに感謝の気持ちを込めて、最後の夏に挑みたいと思います。


「高校野球」
 高校野球3年間を振り返って今自分が思ったことは、三年間早く過ぎていったと思っています。理由としては、気づけば最後の大会前になっていたからです。
今になって思い返すと高校入学してから今まで本当に早く時間だけが過ぎていったように思います。特にその時は長く感じている冬の練習も今振り返るとあっという間でした。
冬の練習は下半身強化をしていることもあって、ボールを触らないことが多くあり早くボールを使った練習がしたいと思うことが多かったです。冬の練習があって今があると思います。
 私が三年間を過ごす中で野球の技術もそうなのですが津商業では「人間性」や「生活力」のように野球の技術以外の部分での学ぶことが多くあり毎日毎日過ごしている上で自分がまだこんなにもできていないと思うことばかりでかなり覚えるのが大変でそれでも自分ができていないことをできるようにするためやこれから生きていく中で大切で自分が大人になって役立つと思って覚えました。
 私は、三年間がこんなに早く感じたことで今の自分は後輩に何か残せたのか、自分がいて周りにどんな影響がでたのかは、わかりません。しかし、私はこの三年間で自分を変えることができました。私が今の私になれたのは先生や同級生のおかげだと思います。
 三年間の中でも印象に残っていることは一年生大会の決勝で結果は、いなべ総合に11-1で負けたことで、決勝まで来てこんなに点差をつけられて負けて悔しい思いをしたことです。このことが印象に残っていて次は、絶対勝つと思って練習していたのに春大の決勝でまた負けてしまい、なんで勝てないのか、なんで負けたか、そんなことを今も思います。
 後輩には自分のようなことになってほしくないので今の二年生や一年生、次入ってくる一年生に自分が三年生になってどんな選手で最後の夏の大会をどう迎えるのかを意識して一日一日過ごして行動してほしいと思います。


「高校野球」
 津商業の野球部に入って、最高の仲間と野球ができたことが本当によかったと思います。毎日毎日練習でつらいと感じるときもありましたが、今思うと津商で野球できてよかったと感じています。
自分が津商業に入学しようと思ったのは、中学校のとき硬式野球のクラブチームに所属していて、そこの先輩のお父さんから津商の宮本先生は良い指導者ということをきき津商を意識し始めました。
そして色んな方から津商のことを聞き津商に行こうと思いました。
 入学して思ったことは、先輩たちがとても優しく、上下関係というのがなくとてもチーム力がありました。
 自分たちが1年のころは問題が多くとても先輩方に迷惑をかけてしまいとても申し訳なかったです。でも2年、3年になってくにつれてみんな考え方など大人になっていき考えて動けるようになっていきました。
 そして新チームになり徳人を中心に甲子園2勝という目標をたて練習していき、秋の県大会で3位になり東海大会に出場できました。そこで自分たちは強いという勘違いをしてしまいました。そして春の地区大会負けてしまいました。そのときどうして負けたかわかりませんでした。負けてみんな考えミーティングをし、出た結論がみんな勝ちにこだわりすぎて目の前のことができていないことでした。それに気がつき目の前のことを全力でやりきることにしました。このチームだからこそしっかり考え、ちゃんとしたミーティングができたから解決できたんだと思います。 
夏体があと1週間近くになった今、高校に入学してから今までのことをすごく思い出します。入学してから今まであっという間に時間が過ぎていきました。1年のころはあと2年もあるのかと思ったりしてましたが今ではあと1週間かと思うようになりました。練習が終わって、部室でワイワイ騒いだり、夜の帰り道をみんなで笑って帰ることもあと数回しかありません。あと1週間ちょっとの時間を大事にすごしていきたいと思います。
 自分は後悔はしたくないと思っているのであの時ああしとけばよかったとかは思いたくありません。後悔しないように1年生2年生はレギュラーとりたいとかベンチに入りたいと思うなら今を全力でやってください。2年生は今大変な時期かもしれないけどこれを乗り越えたら結果はでてくると思うので頑張ってください。
 最高の仲間と野球できたことに感謝しこの夏最高の仲間と甲子園に行きたいと思います。 


「津商の野球部だから見えたこと」
 津商の野球部に入って、自分は物事に対する見方、考え方が大きく変わりました。中学生のころまでは、本を自分の意思で読もうと思ったことはありませんでした。一生懸命になって物事に取り組むことがカッコ悪いと思っていました。その価値観が変わったのも、先生と出会い、先輩や後輩と出会い、そして最高の3年生と出会い、たくさんの事を一緒に学んできたからです。野球部では本当にたくさんの事を学びました。その中でも「人のために」という考え方がとても自分たちを成長させてくれたと思います。この考え方は、自分の視野をとても広げてくれて、今まで1つの方向からしか見れていなかった物事を、たくさんの視点から見れるようになったと思います。人のために行動している時に、人は一番力が出て、人として最高に輝いているという事を知りました。
先輩が引退して自分たちの学年が最上級生になったとき、自分は副キャプテンにならしてもらいました。そのときは楽しみと不安でいっぱいでした。キャプテンと他の2人の副キャプテンがとてもしっかりしていて、いつも自分が気付く前に指示をだして、注意をして、ミーティングでもいつも先に発言をしていました。それらの事で自分はとても焦り、何もできていないんじゃないかという自分の無力さをとても感じて、悩み、自分の副キャプテンとしての役割がわからなくなってしまいました。そこで、先生に相談をしにいきました。あきれられたり、怒られるかもしれないと自分は思っていましたが先生は自分が想像していなかった返事をしてくれました。その返事が「俺はお前のやってきたことは間違ってないと自信を持って言いきれる」ということでした。これを聞いて、なぜか自分は涙が止まりませんでした。自分はキャプテンや他の副キャプテンのマネをしてそいつらになろうとしていたんだと気付きました。そうじゃなくて自分らしい副キャプテンになると決めました。それからは、とても自信が出て自分の役割にも気付くことができました。
 毎日、宮本先生と野球をしてきて、引退が近くなった今、指導者への憧れがとても強くなってきました。なので高校野球を引退したら地元の少年野球のコーチになって、小学生の子達に自分が津商で学んできたことを野球を通じて教えたい、そして、その子達が自分の様になりたいと思ってもらえるように頑張って、自分を成長させてくれた宮本先生が指導をしている高校に入学して野球部に入ってほしいということが自分の夢に追加されました。

 自分の高校野球ももう少しで終わります。残り少ない時間を大切に、親や自分を支えてくれた人、応援してくれている人のためにも最後まで全力で最後の夏を終わらせたいと思います。


「三年間を振り返って」
後悔という言葉はあまり使いたくありませんが、夏の選手権大会を目前に思うことはたくさんあります。怪我で思うようにプレーできず、落ち込むこともありました。しかし、甲子園2勝を目標に正しいことを積み重ねてきた毎日は、私にとってかけがえのない宝物のような日々でした。上手くいかず、怒られることもたくさんありましたが、充実した毎日でした。
また、こんなにも真剣に野球に取り組めたのは母をはじめ、私に関わってくれた全ての方々のおかげです。言葉で感謝の気持ちを伝えたいと思います。また、普段お会いする機会が少ない方には野球が一区切りついたら、近況報告も含めあいさつ回りをしたいと考えています。
宮本先生には、目に見えるところはもちろんのこと、目に見えないところまでしっかり練り鍛えられました。「自分がどう在りたいのか」先生がよく使う言葉です。私はどのような場面においてもこの言葉で物事を考えるようにしています。最近ではこの言葉で物事を考えることが好きになり面白くなりました。他にも先生にはたくさんの言葉や考え方を教わりました。いい言葉を教えていただきました。練習は人生の縮図とはまさしくその通りだと実感しました。私は言葉や考え方が正しいと思います。これからの人生で先生の言葉や考え方が正しいことを証明する生き方をしていきたいです。
私の夢は警察官となり、必要とされる人材になることです。この夢を叶えるために、まず採用試験に合格して警察官となり、そこから必要とされる人材を目指したいと考えています。必要とされる人材とはゴールが見えづらい目標ですが、ひたすらそれを追い求めてあがいていきたいと思っています。
後輩たちに言いたいことは、今の時間を大切にしてほしいということです。何気なく過ごしてきているその時間はもう戻ってこない大切な時間です。私はそのことにベンチの黒板に日にちのカウントダウンがはじまった時に気付きました。残り100日をきってからもっと練習がしたいと思いました。50日をきってからその思いはさらに強くなりました。20日きってからこのメンバーで出来る練習があと少しなのだと考えさせられるようになりました。10日をきった今、もっと長く高校野球がしたいと思うようになりました。
何気ない毎日がどれだけ楽しかったか早く気付いたものが勝ちです。
後輩たちには私より早くこの気持ちに気付いて今のその時間を大切にしてほしいです。

個性豊かな仲間たちと過ごしてきた高校野球人生の最後は笑い泣きをして終えたいというのが私の願いです。残り少ない時間ですが、私の役割を、私の背中で、男前に語ります。

最後に、
1年生、これから成長していく2年生にしっかりついていって下さい。少しの間でしたけど、ありがとう。
2年生、2年生に気付かされることはたくさんありました。これからどうなっていくのか楽しみです。応援には駆けつけます。ありがとう。
3年生、最高でした。ありがとう。

以上です。


「高校野球を振り返って」
 高校野球3年間を振り返って、とても早いと思うときもあれば、長いと思うときもありました。何度もくじけそうになり、妥協してきたこともあります。ですが徳人をはじめ、いろんな人に助けられ、周りのみんなに支えられてきました。入学してすぐ、いろんな問題を一年生が起こしてしまい、先輩や学校の先生方に迷惑をかけ、高校野球は不安な気持ちから始まりました。
三年生が引退した一年生の冬、二年生の先輩が修学旅行でいない自分たちだけの練習。あの3日間のランメニューは今でも忘れないくらいすごいものでした。でも、みんながいて励ましあえたからやりきることができました。そして二年の春、予選で久居農林に負けて、これからどうしていくか話し合うミーティングで、いつも前向きで積極的な徳人が「俺はどうしたらいいかわからんし、解決方法も見当たらん。」と、マイナスなことをゆっていたことを今でも覚えています。ですが、そんな困難を全員で乗り越えてきて今の自分たちがあります。自分はみんなにとても感謝しています。みんなのために何かできたかと言われると自信はありませんが、最後の夏、思い切って自分たちが今までやってきた正しいことを発揮しにいきたいです。結果も大切ですが、一戦一戦思い切って攻めたプレーをしていきたいです。そして自分たちの時間を長く、自分たちのペースで試合を進めていきたいと思います。
 最後に一二年生のみんなへ。自分が今まで宮本先生から教えて頂いたことをここで一つ紹介するので、もし良かったら参考にしてください。これは、自分が一年の冬にピッチャーを辞めて、外野手としてやっていきたいと先生に伝えたときに教えて頂いたことです。
 人は誰でも長所と短所を持っています。その長所と短所はとても近い所にあります。誰でも長所を活かし、短所を嫌がったり、消そうとするのが普通です。でもあまりに短所を嫌がって消そうとすると、近くにある長所まで消してしまうことになります。長所までも消してしまったら、自分の中の軸がなくなり不安でいっぱいになります。だから短所を嫌がるのではなく、短所を自分で理解して自分なりに整理したうえで長所を活かす方法を考えることが大切です。昨日より今日、長所を活かしたなかで、短所をカバーできるようになったらそれが成長しているということで、それが積み重なって自信になると教えていただきました。これからも壁にぶち当たったり辛いこともあり、諦めたくなるときもあると思うけど、チーム全体で助け合い、励ましあって頑張ってほしいです。


「3年間を振り返って」
自分が3年間で変化することができたのは人とのコミュニケーション能力だと思います。自分は自分より目上の方と話をしたり大勢の前で自分の意見を話すのが苦手でした。3年間で特に大きく変わったのは大勢の前で話せるようになったことです。今までの自分なら90人以上いるチームの前で話すことなど無理だったと思うけど野球部の壮行会3年生全員が話したときに自分はたった1分でも緊張しました。けれど自分の思いを伝えることができたと思います。目上の方と話すときは今でも目を見て話すという風に先生に言われてしまうことがあるけれど、意識して話しているうちに目を見て話せるように少しずつなれたと思います。まだまだな部分もあるけれど「意識、意識が無意識」で誰とでも話せるようになれるため意識をしたいと思います。

 自分は3年間を振り返って津商業の野球部で学ぶことがたくさんありました。中学校の時とは礼儀などはまったくの別もので感じスピード感は入学したときの何倍にもすることができました。それと同時に野球のレベルも考えられない位あがり、小学校のときからやってきたキャッチャーというポジションの難しさを初めて感じました。その難しさについていくことができずに2年生の夏休み先生と相談してファーストへコンバートしました。それから3年生の6月18日の白子高校との試合で1年ぶりにマスクをかぶってピッチャーの球をうけました。キャッチャーは配球は難しいしピッチャーがショートバウンドを投げると怖いけど、とても楽しいなと試合のときにあらためて思いました。

自分はこの最後の夏の大会はレギュラー出場どころかベンチ入りすら危うい状況です。たとえベンチ入りを逃したとしても自分には自分なりの役割があると思います。自分はその役割を全力で取り組みチームに貢献して高校生活最後の野球人生を締めくくりたいと思います。そして最後には、みんなが最高の笑顔で引退できるようにしたいと思います。

 最後に後輩に残しておきたいことは、怪我をしてほしくないということです。自分は怪我の多い選手でした。高校野球はいつチャンスがめぐってくるかわからないスポーツなので、常に最高のコンディションでいないと出場するチャンスを逃したりまた出場してもそのチャンスをつかむことができないです。自分は先生から持っているものは大きいと言われながらも怪我をしたりしてその力を発揮することもできずにチャンスをよくつぶしてきました。後輩には自分と同じ思いをしてほしくないので、怪我はできる限り最小限で抑えてほしいと思います。

 この3年間はとても短く感じあっという間という人はよくいるけど自分は逆に1日1日がとても思い出が濃くて、それを3年間に濃縮された感じがして長く感じました。これからの進路しだいでは野球に見切りをつけないといけなくなります。それでも津商業の部訓である「心豊かなれば、技冴ゆる」という言葉を心にとどめておきたいと思います。そして今まで鍛えてきた人間力という部分を社会人になってからも生かしたいと思います。


「3年間の高校野球を振り返って」
私は、野球部に入部してからの3年間を振り返った時に多くの学びや成長があったと思いました。
野球の技術面に人としてのあり方や精神面、礼儀や他人に対する気配りなど言い出せばきりが無いほどたくさんのことを学び成長できました。
特に成長できたと思うのは、人前で喋れるようになった事です。
高校に入るまでは、人前で自分の意見を主張したり大きな声で話すことが恥ずかしかったりかっこ悪いと思っていてそういう場面になっても適当な理由をつけていつも避けていました。でも、高校に入学してから色々な方の講演やミーティングの時に皆が自分の意見を堂々と話しているのがすごくかっこよく見え、私もあんなふうになろうと決めました。しかし、いざやってみようと思っても自分の意見が出てこなかったり出てきても話したらみんなに馬鹿にされるんじゃないかと思うと言い出せなくていつも後で後悔してばかりでした。それでも、がんばって少しずつ話すのにも慣れていって今でも意見がまとまるにはまだ少し時間はかかるけれど前よりも緊張せずに話せるようになってきました。
それともう一つ、この3年間で私は進路と将来の夢を見つけることができました。私は高校では怪我が多く病院や接骨院に通っていました。その中で、患者一人ひとりに優しく対応する先生を見て自分もこんな仕事をしてみたいなあと思い始めました。そして、接骨院で教えてもらったストレッチなどをみんなにも教えていたら、そのうち私を頼ってくれる人が増えてきてそこから将来は柔道整復師になって自分の接骨院を開業したいと思いました。それと、私は、大人になっても高校野球に関わっていきたいのでトレーナーの勉強もして野球部の誰かが監督をしている学校の専属のトレーナーにもなりたいです。
最後に、私は津商の野球部に入部して本当によかったです。


「3年間印象に残った言葉・振り返って・総まとめ・将来のこと」
 私は、津商業高校に入学して色んなことを学ばさして頂き、野球の技術はもちろんのこと人間力の面でも成長させてもらったと思います。
この3年間の中で一番印象に残っている言葉は、「自律」という言葉です。「自立」と言う漢字もありますが、それとは違い「自律」は自分をコントロールする他人の手助けがなくてもやるべきことをわかっているということが「自律」だと思います。この言葉は何にでも繋げられることができると思います。野球で言うと、やることがわかっているので自分の立ち位置を考えそのことに対して全力でプレーすることができます。次に印象に残っていることは、気づきです。周りのことを思いやり動くことで、視野を広く持つことができたら、その気づきは多くなるということです。視野を広くもつことで見えてくることがたくさんあるので何か行き詰まって前が見えなくいなれば視野を広くしていきたいです。
3年間の締めくくりとしては、やれることはこつこつして試合で勝つために練習をしてきたので、それを出すために準備をしっかりしてスピード感を意識し焦らず我慢して津商業高校らしい野球をしたいです。それで甲子園に行って勝ち残り笑顔で高校野球生活を終わりたいと思っています。もうひとつ個人的には小学生の頃から守備が楽しくて守備が自分の売りだったのでその私が得意の守備を活かして甲子園に行き守備を全国に見せたいです。後輩に何かプレーで伝えることができるように努力し、それを超えてもらいたいと思います。
 将来私は、大金持ちの社長になりたいと思っています。決して簡単な道ではないですけど自分なりに頑張り他の方の力も借りながら成長していきたいです。そのために、コミュニケーション能力をつけてみんなから支えられるよう、みんなを支えることができるようになればいいなと思っています。そのための知識をしっかり学び一歩一歩道を歩んで行きたいです。自律した心をもち壁に当たるときには視野を広くして何かに気づき行動に移せるような人間になりたいと思います。


「3年間を振り返って」
 3年間を振り返って、私は津商業の野球部に入部して本当によかったと思います。素晴らしい環境、素晴らしい仲間、そして素晴らしい先生に出会い、本当に充実した野球生活を送ることができました。私は幼稚園の頃にはサッカー選手になることが夢だったのですが、兄や父から野球を教えてもらい野球をすることになりました。
小学校3年生からソフトボールをはじめ、中学校では軟式野球をして高校に上がってきました。小学校、中学校では私の同級生で野球をするものは少なく、あまりいい思いをしませんでした。しかし高校へ入って同級生は多く、全く違う環境で高校野球を始めることになりました。不安も多くありましたが、みんな仲良く、すぐに打ち解けました。1年生の頃は問題が多く、その度に先輩に迷惑をかけてきました。そういった問題を乗り越えて少しずつ成長してきました。1年生大会では準優勝をすることができましたが、いなべ総合に10-1で負けました。今でも思い出したりします。そこから津商といなべの因縁が始まりました。2年生の秋5-0で負け、3年の春には6-5で負けました。次いなべと試合するとなれば最後の夏の決勝です。甲子園への切符を賭けた最高の舞台でいなべを倒し甲子園に行きます。
 私は1年の時には学年代表、2年の新チームになってからは副キャプテンをさせてもらいとても良い経験になりました。チームの中心としてチーム作りにも深く関わっていきました。その中で私が特に意識したことは、代表だからこそ誰にも負けないくらい努力しよう、誰にもまけないくらい声を出そうとしました。またそのようにしている中で仲間と真剣に関わり、指摘をしたりもしました。でも根本はまず自分がしようです。上に立つ者として背中で語れるようにしなければ下の者もついてきません。背中で語れるようになって初めて言葉で語れるものだと思います。そういったことを意識しながらやってきました。高校野球を通じて気配りや心づかいの面でもとても成長できたと思います。相手のしてほしいことを考えてそれを実行することはとても難しいです。しかし、実行し相手に「ありがとう」の一言をかけていただいたときはとても嬉しいです。そういった感情も学びました。
 後輩には今の私たちから学べることがあれば吸収して次のチームに活かしてほしいです。また新チームには新チームのカラーがあると思うので、3年生のチームカラーにこだわらず新しいチームを作ってほしいと思います。その上で私たち以上の成績を残し、津商業野球部の歴史を塗り替えてくれることを信じます。また学校生活でも学校から受けている恩恵をしっかりと理解し、学校の中心として私たち以上に学校に良い影響を与えられるようにしてほしいと思います。
 勉学では中学校で学んできたこととは別の授業もあったので新鮮でしたし、津商業の先生方はものすごく個性があり、熱心で、面白い先生ばかりなので勉学も怠らず、楽しくすることができました。
 私は将来、高校の教師になりたいと思っています。そして野球部の顧問になり生涯、野球に携わっていきたいと思います。そして監督という立場で甲子園にいきたいと思います。また、宮本先生の学校と試合するときには勝てるくらいのチームを作りたいと思います。同級生にも高校の教師になり野球部の監督をする。という人もいるのでそのチームとの勝負も楽しみたいと思います。さらに、高校3年間でたくさんの方に多くのことを学ばせていただいたので、その経験を活かし教育というものをできればと思います。生徒一人ひとりが充実した3年間を送れるように生徒の人生に関わっていけたらいいなと思います。将来、先生という立場になって、母校である津商業に戻ってきて教育をするというのが私の夢です。


「高校野球三年間を振り返って」
 三年間振り返ってみて、この最上級生として迎える今年はとても印象深い一年間だったと思います。
最初入学してきたときには先輩の人数よりも自分たちの学年の人数のほうが多くてびっくりして大丈夫かなと思った部分もあったんですが、まだあまり津商に慣れていない自分たちに優しく教えていただいたことをすごく覚えています。
その入学から二年、いま最上級生として迎え、部員の数は九十人を超える大所帯となりすごく充実した日々を送っています。
この部活動で学んだことはたくさんあるんですが、まず人間力の大切さを学びました。人間力とはその人の器であったり人の良さであったりするところで、そういった力を先生やチームメイトに教えてもらいました。この力は必ず社会へ出たときに必要となる力で、自分たちもそういったことを理解しながら日々そういった力を身につけていきました。次にスピード感です。このスピード感とは、先を読む力であったり一つ一つの動きに対しての早さなどを意識した力で、何をやるにも遅いよりは速いほうがいいという考えの中でそういった力も身につけました。
 私はこの津商業高校に入学し野球部として三年間活動してきましたが、最初は不安ばっかりでした。練習も厳しく先輩はどんな人か全然わからずにやってきてたくさんの失敗をしました。でもいつも助けてくれたのはチームメイトであったり先輩であったり先生でした。そういった仲間にも恵まれ今まで野球を続けることができました。今では最上級生としてしっかり津商業の野球を後輩に教え、私が最初に助けてもらった先輩のように私も後輩を助けたりすることをしています。
いまの津商業野球部は人数も多いし練習も厳しいし大変なことばかりだけど、真剣にやることに自分たちはやりがいを感じ、時には喧嘩もあるし対立することもあるけど、最後はやっぱりみんな同じ目標に向かって進んでいるので一致団結して練習や試合に取り組むことができています。そういった仲間に出会えたことに感謝しています。
 またこの津商業には宮本先生というすばらしい先生にも出会い、いろいろ怒られながらいわれながらという時期もありましたが今ではそういった指導をしてくださったことに感謝しています。あのとき先生に出会えず指導されていなかったら今の自分はいないと思います。仲間にも先生にも恵まれてとてもとても幸せな高校野球生活三年間を送ることができたと思います。
最後に、高校野球三年間の総仕上げをするにあたってですが、自分たちは弱いと思っているので一試合一試合を全力で自分たちのできる最善を尽くしてやりたいと考えています。そのために夏の大会までもう時間はあまりありませんが、自分たちのできる最高の準備をし、それを発揮できる心の準備もしっかりしたいと思います。またチームの四番としてまたキャッチャーとして責任感を感じることはすごく多くあるんですが、そういったプレッシャーや責任感をエネルギーに変えて、このチームで、この仲間とともに甲子園二勝という目標にむかってがむしゃらに全力でがんばりたいです。
あと後輩に残したいことですが、やっぱり日ごろの練習をがむしゃらに真剣に死ぬ気でやってほしいと思います。あのころ練習をもっとちゃんとやっておけばよかったという後悔のないようにしてほしいです。日々全力でやることに意味があり、それができないと目標には届かないと思います。可能性は無限大にあると思うので自分たちができる精一杯をやってほしいです。


「高校野球」
高校入学前に手術したということもあり、思い通りに野球をすることが出来ませんでした。そのため入学後4ヶ月は他の部員と練習することはほとんどなくウエイト場で足の筋肉を元通りにする訓練を繰り返していました。筋肉がしっかり戻ったのは夏大まえで、本格的に練習するようになったのは新チームが始まってからでした。
そのため、秋の地区予選や県大会にはベンチ入りすることも出来ませんでした。
初めて出さしてもらった公式戦は1年生大会、1番センターで出場しました。地区予選を何とか勝ち抜いて県大会に出場することも出来ました。県大会の結果は準優勝でした。決勝でいなべ総合にボコボコにやられてしまいました。そこからいなべ総合を意識するようにもなりました。
再び手術したところが痛み出しボルトを抜く手術を受けることになりました。この手術が終わってしまえば今までのような痛みが出ることがなくなるので思い通りに野球が出来ると思いとてもうれしかったです。しかし、痛みが完全になくなることはありませんでした。いまだに痛むこともあるし、足の神経もうまくつながっていません。ただ野球ができないほどの痛みはなくなりました。
2年生になり、春夏ともに8番をつけさせていただき先輩にはたくさん迷惑もかけましたが、夏の大会に出るという貴重な経験もさせてもらいました。また、この夏の大会で自分自身まだまだ力不足だったことやチームとしてもっと上を見据えなければならないと気付きました。
そして、自分たちの代になりました。いま考えるとほんとに一瞬だったように思うくらいです。あっという間に最終学年になりました。この時点でチームとしては全然ダメだったように思います。秋の地区予選を勝ち抜き県大会出場、県大会3位になり45年ぶりの東海大会にもでることができました。ただ、県大会準決勝で、1年生大会で負けたいなべ総合とあたり5-0で完封負けを喫しました。1年生大会よりは点差は縮まりましたが、全然歯が立ちませんでした。このときはっきりしたのが、いなべ総合に勝たなければ甲子園はないということです。ただ、チームとして試合の中で成長は出来ていたと思います。
新チーム始まったときからの目標であった全国レベルで2勝というのが達成できる機会を掴んだのも事実でした。そして挑んだ東海大会初戦、散発3安打で完封負け。全国レベルの投手には通用しないことが改めて痛感しました。
オフの期間は、とにかくやるしかなかったです。甲子園で勝つため。だから、地区予選で負けたときはほんとにわからなくなりました。やってきたことは間違ってないと思っていたので。そして3年生全員が死ぬほど悩んだときだったと思います。このことがあったことでチームは成長できたと思います。そして春季大会準優勝、またしても決勝はいなべ総合。夏前にあの決勝の舞台に立つことが出来たのはとてもよかったと思います。言い表せないような雰囲気の試合でした。そして39年ぶりの春の東海大会にも出場。初の勝利も手にすることが出来ました。
今まで津商業で多くのことを学んできました。野球の技術はもちろん、それ以上に人間的な部分でだいぶ成長できたと思っています。「自律」することもだいぶできるようにもなりました。最初は怪我を言い訳にして、なかなか無理をすることもしなかった自分が、しっかりと怪我に向き合えるようにもなりました。ほんとに津商業にきてよかったと思います。
何よりここまでやって来られたのは、最高の仲間がいたからです。何回も指導されて何度もミーティングをしました。そして全員で進んできました。この仲間だったからやってこれたと思います。最後の夏、3年生全員で挑む最後の夏、チーム一丸となって戦っていきたいです。


「3年間を振り返って・将来の夢・後輩たちへ」
この3年間野球を通じて自分でもわかるくらい成長できました。野球の成長はもちろん、精神面・人間力も成長できました。このチームで野球をして仲間との絆や信頼など多く心に残りました。野球は毎日がとても厳しい練習の毎日でした。しかし、しんどい練習だからこそ磨けるものがあると実感できました。打球が捕れるようになる、足が速くなるなど日に日に自分が成長できました。そして自分の周りのチームメイトが励まし、時に、檄を飛ばしてくれたおかげで自分はここまでやってくることができたと思います。このチームメイトに出会えて本当によかったと思います。自分の野球人生は高校野球で締めくくるつもりなので、最後までやりきって後悔がないようにやりきりたいと思います。
精神面でもとても成長させていただくことができました。今を思えば自分はとても幼かったと思えます。自分の意見をはっきり言うことができずにみんなに迷惑をかけたこともあります。しかし、今では自分の意見をはっきり言えるようになり自分の意見をしっかり持って相手に伝えることができるようになり、そして自分の意見ばかりではなく相手の意見を受け入れることができるようになりました。また人間力というのを先生に教えていただきました。人間力とは、その人が持っている魅力や行動の事を指します。最初はやらされ感が強くまじめに取り組んではいませんでした。しかし、やらされの中から多くの人に感謝の言葉をいただきました。そして、自分の意思で人間力を上げたいと思い積極的に取り組みました。全校生徒の前で校長先生に自分の名前を言ってもらい学校の有名人になりました。この人間力をこれからも磨いて信頼してもらえる人間関係を作りたいと思いました。
この3年間野球部でこのように多くのことを学びました。自分は人間力や精神面を教え、成長させてくれた先生方のように自分もなりたいと思いました。そして、その中で自分が学んできたことは決してマイナスではないと思いました。だから自分は将来自分の学んできたことを次の世代の人たちへ受け継いでもらおうと思いました。だから自分はそんな関わりのある社会人になろうと思ったときに教師がでてきました。教師になって自分がこれまでに教わってきた事を教えていき、次へ次へと受け継いでもらいたいです。


「高校野球」
 私は、高校野球のマネージャーになろうと思ったのは、「甲子園」という最高の舞台でスコアラーとしてベンチに入りたいと小学生のときから思っていたからです。小学校のときは少年野球をしていて、中学ではソフトボールをしていたというのもひとつです。そして、私は先輩の姿を見て、この津商業高校の野球部に入ってマネージャーをしたいと思い、入りました。
 野球部に入って、成長できたと思うことは、先を読む力がついたと思います。常に先、先を考えて動くというのはとても難しいことです。これは、意識してないとできないことだと思います。マネージャーという役職はそういうところだと思います。先を読んで準備しておくことにおいてはマネージャーの専門職にだと思います。そのような部分においては、成長できたと思います。
 野球部というところは、とても人が成長する場だと思います。高校に入ってすぐに私は本当になにもできない人だということがわかりました。先輩の姿や同級生の姿を見て私もあんな風になりたいと思い、人のいいところを発見して私も実行してきました。挨拶の仕方敬語の使い方などさまざまなところを見て、私なりに成長できた2年半だったと思います。まだまだ人の前で話すことや敬語も使え切れてないことなど、いろんなことができていませんが、まだあと半年高校生活があるので高校を卒業するまでには、今できないことができるようになるように、意識をして過ごしていきたいです。なので、1・2年生は今できないことを自分で認めて、できている先輩や同級生を見て、どんどん自分のものにしていってほしいです。
今1・2年生で、壁にぶつかっている人もいると思いますが、周りをよく見渡すといろんな人が自分のまわりにはいると思います。私も、高校に入ってからとてもつらい時期がありました。ですが、周りの子に相談すると、スッと何かが胸から何かが取れた感じがしたのを覚えています。相談してみるといい答えがきっと見えてくると思います。野球のことだけではありませんが、いろんなことを一生懸命悩んで、いろんな人に聞いてみてください。長いようで短い2年半です。全力でやりきってください。
最後に、私の将来の夢は仕事とかではないですが、将来生まれてくるであろう子供に高校野球をしてほしいということです。高校野球を通じて人はとても成長できるということを私は学んだので、高校野球を通じて立派な大人になってほしいです。まだ、あと何年後になるかわかりませんが、いつか私のなれなかった高校球児になってほしいと思っています。
津商野球部に入って一番良かったことは、この最高の仲間に出会えたことです。


「高校野球」
 3年前、私が津商に進学を決めた理由は宮本先生の下で野球を通してたくさんのことが学びたかったからです。でも津商に決める前までは、津商という学校すら知りませんでした。そんな私に津商の紹介をしてくれたのは、今同じグランドでプレーしているチームメイトでもあり、14年間の付き合いのある友人でした。この友人が津商を薦めてくれなければ私が津商で野球をしているということも宮本先生と出会っていることもなかったです。ここに入学して野球ができて本当に幸せで楽しくて仕方ありません。そんな津商で約2年半過ごしてきてたくさんのことを感じています。
 今、最後の大会を前に思うことは、ただただ2年半という高校野球人生はとてもとても早く、あっけないものだと思っています。でもまた、この2年半はとても濃く、充実している毎日の生活でした。その中でも先輩方が引退してから自分たちのチームになり、また私がキャプテンとなってからの1年間は本当にあっという間の時間でした。カレンダーに「夏大開幕まであと100日」という日から今日までがこんなに早いなんて想像もしてなかったです。新チームになったあの日のことが本当に数ヶ月前のことに感じます。
 毎日が成功と失敗の積み重ねでした。そんな中でも私を大きく成長させてくれたのは「キャプテン」という大きな役割であり、キャプテンが私を大きくしてくれました。どんな時でもみんなの模範となれるように責任をもって行動し、大所帯でも全員がまとまりを持って一つになれるようにチームを作ってきました。たくさんの苦労や悔しさ、悲しみ、劣等感を感じることは少なくありませんでした。でもその苦労や悔しさの何倍も何十倍も、やりがいや楽しみ、達成感を感じることができました。何よりもこの大所帯でキャプテンという大役を勤めさせていただき、継続してその責任を果たせる環境を作っていただいた先生をはじめチームメイトには本当に心から感謝しています。でもこの責任を果たせる時間もあと少ししかないというと本当に寂しいです。だからこそ私は残りの数日間を最後までキャプテンらしく自分らしくやっていきたいと思っています。
 私の全ての振り返りは目標が達成し、やりきったときに自分でしたいと考えています。それよりも私は私らしく最後までチームの為に全力を注ぎたいと考えています。なにか後輩たちに伝えられることがあるなら最後の最後まで伝えきりたいと思います。またこれが何かの刺激になるのであれば嬉しいと思っています。
今チームの状態はいつも通りでとても良いと感じています。それぞれに本当によく頑張ってくれていると思います。その中でも2年生は2年生なりに頑張っています。確かにまだまだな部分は多くあるし成長できていない所もたくさんあり、先生にも怒られてばかりの状態です。でも去年の自分たちも同じでした。そこで成長しきれるかどうかがこれから半年後、1年後に大きく出てくると思います。今私はキャプテンとして、1年多く高校野球を経験する先輩として最後だからこそ不器用ですが後輩たちにたくさんのことを話して伝えていきたいと思っています。その中で2年生は特に辛いのではないかと思います。私にも厳しくされ何が何なのかわからない状態だと思います。でも私はそれだけ期待しているからいろんなことを伝えています。次のキャプテンはどうなるかわからないけど間違いなくチームを引っ張っていく存在になると思っています。これから新チームになりいろんなことがたくさんやってきて苦しいし辛いこともたくさんあるけど必ず良いことはやってくると信じて、誰よりも責任を持って頑張って全力でやって欲しいです。
私の夢は自分たちが必死でやったグランドや学校で、5年先も10年先も私たちが残したものが続けられていることが本当に夢です。謙虚で誰にでも明るく思いやりのある人間で、野球をするときは死にものぐるいで真剣に頑張る、アホな男前な津商であって欲しいと思います。2年生は今までのたくさんの伝統を受け継ぎながらも、自分たちらしくやりたいことをやって欲しいと思います。それが新しい伝統となり輝く津商になると思います。自分の為に、チームの為に全力で高校野球を全うして欲しいです!
私も残りの数日を自分らしく全うしていきます。私を育てて成長させてくれた2年生に本当に、本当に感謝しています。「ありがとう」 


「高校野球」
 私は高校野球のマネージャーをして本当に良かったと思います。高校生活を何もしないまま過ごしていたら自分の成長は全くなかったと思います。
私は1,2年生のとき毎日というくらい指摘を受け、なんでこんなに言われるのだろうと悩む日々もありました。しかし、指摘をされると知識が増えることに気づきました。自分ができていないから指摘を受けるので、そうすると先生はどうしたら良くなるのかヒントをくれます。答えではなくヒントです。だからそこから答えを探しだしてその答えを自分のものにします。すると、指摘を受けるたび答えを探しだすので、知識が増えていきます。知らず知らずのうちに指摘を受けることは自分の成長に繋がっていました。だから人よりもたくさん知識がある私になることができました。
指摘をくれるのは宮本先生だけではなく、キャプテンをはじめ、同級生の部員の子もくれました。津商には指摘をくれる子がいっぱいいます。だから知識が0だった私は成長することができました。
マネージャーは裏方なので輝くときはありません。マネージャーが一番頑張ったところが甲子園に行けるわけではなく、頑張ったからといって評価されるわけでもありません。だから頑張っても何かよく分からないときもありました。
マネージャーは雑用係と思う人もたくさんいると思います。お茶を作って洗濯物を洗って、お茶を足して・・・と、やっていることはたしかに雑用かもしれません。しかし雑用と思うか役割と思うかには大きな差があると思いました。マネージャーは主役が輝くための大事な大事な役割だと思っています。
みんなが一番輝くときに関われて本当に良かったと思います!津商業野球部のマネージャーになれたことを本当に誇りに思います。いつまでも津商業野球部が大好きです!!!!!


「津商野球部で学んだこと」
まず私が、この津商業高校に進学しようとした理由は、自分は、小学校の時にソフトボールを始め、中学校の時から野球を始めました。小学4年生の夏、家で私は、テレビを見ていました。その時に、たまたま夏の甲子園が行われていました。それ見た私は自分も高校野球がしたいと思い現在、高校で野球をするきっかけとなりました。甲子園はとても多くの人がグラウンドでプレーしている選手を見ていて、日本中から注目されるスポーツです。その夏の最後の大会を迎えようとしています。開幕まで1週間を切った今、開幕が、とても待ち遠しいです。
 私たち津商の野球部は新チームになり「甲子園2勝」という目標を立てました。その目標を立てたすぐは、正直「厳しい」という風に思っていました。今まで津商は1回も甲子園に出たことがないですし、どんなことをすれば甲子園に出られるかわからなくて、自分の中であいまいな部分がありました。甲子園2勝するためには、まず甲子園に出場することが必要だとチームで話合い、そのために最低でも県内で一番の練習をすることが必要になってきます。そこで新チームからこだわってきたことは「スピード感」です。甲子園の試合は約2時間半で1試合が終了します。その2時間半を、自分たちのペースで試合を進めていくことは、難しいので、日頃から練習する必要があり、練習で意識して無意識に、できるように練習しました。
 私がよく耳にする話で「近いようで遠い」という言葉があります。秋季東海大会に出場し、春にも東海大会に出場することができたのですが、私たちが掲げた目標は近いようで遠い目標と感じた試合があります。その試合は、春の県大会決勝、勝てば三重県の1位代表として東海大会で出場できる試合に負けてしまい2位代表として東海大会に出場しました。この試合は延長の末6-5で負けました。私たちは何回もチャンスを作り、ピンチで守り抜いてきましたが、6点目がなかなか入らず負けてしまい、とても悔しい思いをしました。その時思ったのが甲子園2勝という目標は、近いようで遠い目標だと思いました。この時にようやくあいまいだったことが少し明確になり甲子園に出たい、という気持ちが深まり、本気で甲子園に行きたいと思ってきたのはこの頃です。
 この2年半の高校野球で いろいろな体験をしました。東海大会という注目されて、素晴らしい環境で野球ができたり、苦しい練習をチームメイトと一緒に乗り越えたり、時には、誰にも話せない、話したくないことがたくさんあり、この津商に来ていなかったら経験できないような体験ができて本当に良かったと思います。これは全て今後の人生に役立つと思いますし、社会に出て行ったときの準備になると思います。特に学んだことは、継続力です。「継続は力なり」という言葉があるように、何事にも継続が必要だと思いました。練習を継続してすることにより試合で、結果が出せます。必ず結果出るという保証や、すぐに結果が出るわけではありませんがやらないよりもやった方が結果もでやすいですし我慢して物事に取り組めば忍耐力も身に付けることができ自分を成長させてくれます。そのためには、継続するという「覚悟と努力」が必要になります。
 春の県大会の中勢地区の代表で県大会に出場したのですが、予選で、負けてしまいました。その試合、私は、ベンチから見ていたのですが、試合終了後、負けたというより、面白くない試合だったという風に感じました。別に油断をしていたわけではないのですが、私たちの目指している試合ができなくてとても悔しかったです。この試合はすごく意味のある敗戦になります。この敗戦後、学校に帰ってミーティングをしました。みんなで意見を出し合い自分たちに、何が足りないのかを話し合い、練習をしない日が3日間続きました。その後の試合、まだまだ私たちが追い求めてきた試合とは違っていたのですが、チームのまとまりが強くなった風に感じました。
最後の夏、とにかく楽しんで野球し、1試合でも多くこのチームで野球がしたいです。甲子園2勝という目標を達成するために、まず目の前の試合を全力で取り組みます。                                                                                                                                


『自分の高校野球を振り返って』
 自分は高校入学前から、ケガをしてしまっていて最初からみんなと同じように練習したりすることはできなかったけれど、とてもいい経験ができたなと思っています。野球がしたくて津商に入学したのに、他のみんなが練習している姿をただ見ているだけの日々というのがとてもつらかったし、それ以上に悔しい思いでいっぱいでした。自分も早く練習したいとか、試合に出たいという思いだけが増していき、自分の思い通りに体を動かすことができなかったので、とても不満に感じて生活していました。勉強もしたくなくなったし、学校に行きたくなくなったりと、なにもかもが嫌になってしまった時期もありました。けど今になって思うのは、ケガでこれまでに味わったことのない悔しさや苦しい気持ちを経験したけれど、それとは逆に、心の底から本当に野球が楽しいって思えるようにもなり、いい経験ができたなと思うことができるようになりました。しかし、今でも満足に野球ができているとは言い切れません。けど、今できる範囲での最高のパフォーマンスをすることで充実した日々を過ごすことができています。たまにケガをしてしまったことや、野球をすることができていなかった日々のことを悔やむときもあるけれど、どんなことがあっても我慢できるようになれたし、人ともうまく関われるようになったので、高校野球を通して人として少しは成長できたと思います。
正直なところ自分の高校野球は後悔しかありません。ですが、自分の中で今までの経験をプラスに変えなければいけないと思っていて、とてもいい時間を過ごせたなと思えるようになることがこれからの一番大切なことだと思います。今までの経験を全て自分の成長のために活かせるようにしたいと思っています。
最近は、みんなと同じように練習することができ、試合にも出してもらえて、本当に野球を楽しむことができています。こんな思いをしたのは、久しぶりだったのでとても嬉しかったです。もう昔のように動くことはできないけれど、今の自分は最高に野球を楽しめて、最高に動けていると思っています。卒業後も、高校野球を満足してできなかったので、野球はやりたいなと思っているけど進路のこともあるので、迷っています。最終的に決めるのは自分なので、悔いのないようしっかりと考えたいです。
以上のようなこともあり、社会へ出てから、いい経験ができたなと思えるときが必ずくると思うので、残りの高校野球生活を1日1日大切にして、充実した日々を送りたいです。そして、笑顔で高校野球を締めくくりたいです。


「高校の学び、後輩へ」
私は、この3年間で多くの考え方を学びました。
人は唯一考えることができ感情・感性のある動物だと思います。
学校の授業では、
「言葉」が変われば「性格」が変わる
「性格」が変われば「行動」が変わる
「行動」が変われば「習慣」が変わる…と続きます。
どの位置にいてどれを継続しているかは人それぞれです。ちなみに今私は行動が変わっています。
このように、人の「考え・感情」からうまれる「言葉」という文字から最初に始まっているというところから考え方や感情という人の根本にあるものの大切さ、言葉が人に与える力を感じます。
その根本が素直であることが大切だと
進入部員の説明会で宮本先生が最初に話されたのを思い出します。
素直であることの大切さは後々に良く理解できるようになりました。
後輩へ
何をするにしてもまず考えます。
そして考えることができればそれを表現することができます、言葉としても、行動としても誰かに伝えることができます。
常に真心で人と接するという意識は少し難しいですが、
野球というスポーツでは良い考え方や、良い言葉がけをチームとして発揮することで、練習では雰囲気が良くなり、物事に対する考え方の広がり、技術力の向上、チームワークの向上を私は確信することができました。こうしてチームスポーツが強くなっていくことを学びました。何事にも壁や問題はありますが、最後は部訓を思い出してください。津商野球部の部訓にはたくさんの気づきがあります。
心を豊かにして素直に学ぶ姿勢を忘れずに精神的にもはやく大人になり自主自立を目指して頑張りましょう!! 


「三年間を振り返って」
私は、野球部に入り三年間色々な事がありました。高校に入るまで人数の少ない所で野球をしてきたので、今の90人という大所帯は全く想像のできなかった人数です。入学した始めの頃は、大人数に戸惑い何をしていいかわからず先輩や先生に怒られたこともたくさんありました。野球面でも厳しい環境で野球をやっているので、怒られる事もよくありました。しかし、先生や先輩方が野球の技術やそれぞれの役割などを教えてくださって成長することができました。これを後輩たちに引き継いでいこうと思います。
津商の野球部に入って思った事は野球以外の活動が多いことです。他の部活動の応援や講演会など色々な活動をしてきました。特に応援は学校で行う壮行会を始め、陸上部の駅伝の応援など幅広く活動してきました。最初は、なんで応援ばかりしているのだろうと思いましたが、この活動は人間力を磨く上でとても大事なことだと思うようになりました。野球では、夏休みの練習や冬のトレーニングなど厳しく辛いこともあったけれど、ベンチに入るために頑張りました。そして、練習を乗り越え練習試合で結果が残せるととても嬉しかったです。家での素振りや体幹も頑張ったのが結果につながったのかなと思います。背番号をもらいベンチに入ったことは少なかったけれど、この環境で日々頑張ったことは、私にとってとてもプラスのことだと思います。 
今は、甲子園二勝を目指し「心豊かなれば技冴ゆる」という部訓と「アホな男前」というモットーを掲げ日々練習を頑張ってきました。甲子園というのは、あまり想像できてなかったけれど、三年生になってから本当に甲子園の道が見えてきました。もう夏の選手権大会が始まるのでメンバーに入ることができなくても、みんなの向いている方向は変わらないし後悔を残したくないので、この最高の仲間と最高のチームで絶対に甲子園に行きたいです。これぐらい真剣にする野球はもうないと思うので、90人の思いを一つに全力で戦っていきたいと思います。ここまで支えてもらった人に感謝し最後は笑顔で高校野球を終わりたいです。  
最後に後輩に伝えたいことは、怪我をしない事です。自分も怪我をよくしてしまってみんなに差をつけられるのが辛かったからです。長いようで短い三年間で怪我をすると、成長できるチャンスを逃してしまって差がついてしまうからです。だから怪我をせず後悔をしないよう全力で高校野球に取り組んでほしいです。


「自分の高校野球について」
・自分の高校野球の三年間について
 私は選手として野球部に入ったのですが、肩を痛めてしまい野球ができなくなってしまったのでマネージャーをさせていただきました。だから私は選手としてグランドでみんなと一緒に練習することもないし、試合でプレーすることもありませんでした。
 今ではマネージャーとして外から皆の練習を見ているのは楽しいですが、肩を痛めた当初はあまり野球を見たくない日が多くありました。本当に野球したい日もありましたし、野球部をやめたい日をありました。しかし、考え方を変えることができたので3年間やり通すことができました。だから、今ではマネージャーをしていてよかったと思います。
また、高校野球を通して得たことは、一人一人違うと思います。私は、マネージャーという立場だったので野球の技術ではなく、人間的な部分を多く学ばせていただきました。引退後はその学んだことを活かして、自分に関わってくれる人を幸せにできるような人になりたいです。

・高校野球を終わるにあたって
今まで皆で一生懸命練習に取り組んできました。時には、つらい練習や楽しい練習、けが人が出たこともありました。そんな練習をしてきたことを私は知っているので、最後の試合では皆に笑ってほしいと思っています。夏大では、みんなで一戦一戦を大切に今まで練習してきたことを我武者羅にやっていきたいと思っています。そして、最後まで皆で勝って、目標を達成したいです。そのためにも残り少ない時間ではありますが、みんなの練習をサポートしていきたいと思っています。

・後輩たちへ
 私たちは、一年生のときに多くの失敗をしてここまできました。ありえないミスもしてきました。そして、数え切れないぐらいのミーティングを繰り返してきました。でも、そのおかげでみんなが言い合えるチームになったんだと思います。失敗をする必要はないけれど、みんなで話し合う機会は多いほうがいいと思います。自分の思いを話すことができるし、相手の意見も聞くことができるし、自分の改善点も見つかると思います。だから、皆でいっぱい話して横の繋がりを強くしていってください。また、2年生が1年生のスタンダードや道標となってチームを引っ張っていってください。1年生は下から押し上げて2年生に圧力をかけていってください。そうすれば必然的に縦の繋がりは強くなると思います。そうやって自分たちのチームを作り上げていってください。
今まで3年生についてきてくれてありがとうございました。


「3年間を振り返って」
3年間を振り返って、今一番感じていることは、あっという間だったなということです。自分は、宮本先生の下で野球がやりたくて、津商に入学し野球部に入りました。入学当初は、小さい頃からの憧れだった高校野球ができることに喜びを感じていました。一年の夏の大会で自分は先輩方の活躍をスタンドで応援しながら見ていました。初戦の久居高校戦で、終盤で逆転して勝った試合を覚えています。あの時、自分はすごく感動しました。そして、2年後自分がこのグランドに立って、活躍したいと強く思う瞬間でもありました。そのために、まずは新チームになった秋の大会でベンチ入りすることを目標にしました。ベンチ入りをするためには、他の選手より何か光るものを持っていないと難しいと思い、自分のセールスポイントを考えました。考えた時に、自分は声が大きいのでとりあえず練習中から声を出しまくって声でベンチ入りできないかなと考えました。そして、秋の地区予選の背番号発表で20番をもらいました。嬉しすぎてすぐに母親に連絡したのを覚えています。そして、2年生になって、夏の大会で初めてベンチ入りすることができました。3回戦の松阪高校戦の試合前ノックで大勢の観客を見て、鳥肌が立ちながらノックをうけたのが自分の中に残っています。夏大の雰囲気をベンチで味わうことができて、この緊張感の中でプレーしている同級生を見て自分も負けられないと感じました。
 夏が終わり、自分達が最高学年のチームがスタートしました。ここから今までの期間は本当に早くて一瞬で過ぎ去っていきました。
最後の夏は、今まで支えてくださった方々に感謝の思いを示して、試合に出ても出なくても自分の役割をしっかり果たして「甲子園二勝」のために全力でチームのために注いでいきたいと思っています。また、この3年間、大きな怪我を一度もせずにこれたことは本当によかったです。怪我で練習を抜けることはこの3年間で一度もなく、このおかげで充実した高校野球生活が送れたと思っています。
 そして、津商の野球部に入って精神的にも人間的にも成長できたのは、宮本先生や仲間のおかげだと思っています。自分が一番成長したところは私生活面です。ある日、先生のミーティングで、野球の技術と人間力の円が重なった部分が大きいのがいい選手で、夏の大会のプレッシャーのかかった場面で結果を出せるのは、この中心の円が大きい選手や。ということをおっしゃっていました。このミーティング以来、自分は駅のごみ拾いと玄関の履物を揃えることを毎日することを決めました。また、私生活面も見直して人間力をもっと磨いていこうと思いました。宮本先生は毎日のミーティングで野球の事だけじゃなく、人としてどうあるべきかを教えてくださいました。そんな宮本先生は自分達の憧れでした。こんなに顧問の先生を尊敬している学校は他にあまりないと思います。また、仲間同士であんな奴みたいになりたいとか自分の周りに目標にできる人間力がある仲間が多く、そいつらに刺激されて、自分も成長できました。
津商野球部で、本当に最高の先生に出会えて、最高の仲間に出会えて野球を通じて学んだことを誇りに思っています。本当に津商の野球部に入ってよかったと心の底から思っています。
最後に、後輩に伝えたいことは、宮本先生の言う事は間違いないということです。これからも先生のおっしゃっていることを信じて、先生にしっかりついていってほしいと思います。絶対にいい人間、いい選手になります。


「部活動を通して学んだこと」
 私は、小学生のころから野球をしていて中学、高校と続けてきました。津商業高校に入学した1つの理由は、宮本先生のもとで3年間を過ごしたいと思ったからです。なぜかというと、私の姉が白子高校に在学しているときに、宮本先生は白子高校にいて非常によい先生だと聞いたからです。
 部活動を通して学んだことはたくさんありますが、その中でも将来に役立つようなことをたくさん学びました。相手への心遣いであったり、礼儀であったり、その他色々あると思います。高校野球をするからには技術の習得はもちろんのこと、将来どういったことが役立つのかを深く学びました。おそらく社会に出て野球の技術が役立つかといったらほとんど役には立たないと思います。ですが、そんなことを考えてプレーをしていても誰も喜ぶ人なんかいないと思います。自分でやり通してきたこと、目の前のことを本気になってすることが感謝の気持ちになったり、当たり前のことを本気になってすることに繋がると思います。
 それと自分自身に継続力が付いたと思います。人は同じことを繰り返すことが苦手で、思うようにいかなくなったりするとすぐにやめてしまいます。私も入学して1年生のころは努力しても結果が出ず、続けていて意味があるのかと思っていました。ですが冬のときに毎朝走ることを決めていました。1日の本数は多い数ではないですが、毎日続けてみようと思って始めました。確かにしているときはとても辛くてやめたいと思ったときもありましたが自分のためだと思って続けた結果、冬明けに投げていたとき思い込みかもしれませんが少し変化を感じました。そのときは嬉しさしかなかったです。小さいことの積み重ねが、こんなに大きくなって返ってくるとは思ってなかったので達成感を感じました。それとコミュニケーション能力も身に付いたと思います。私は幼稚園教諭になりたいと思っているので、子どもと接するときに必要なのは当たり前ですが、保護者の方と接するときにはさらに必要になってくると思います。コミュニケーション能力は話すのも大切ですが聞くほうが大切だということを学びました。話し手が上手くても聞き手が聞けていなければ会話は成立しません。なので、もし将来人と言い合ったりすることがあれば、自分の意見を伝えながらもしっかりと話を聞いて、最後は敵にするのではなく、味方にしてしまうような考えでコミュニケーションをとっていきたいです。
 私は野球人生を高校野球でしめようと思っているので、最後は自分が出来ること、目の前のことを全力していくだけだと思います。この時期に技術を向上させるなどは、考えなくてもいいというわけではないですが、今出来ることは日々を大切にして、自分が積み重ねてきたことを出し切ることだと思います。宮本先生から教わったことは、必ず将来に役立つことばかりだと思うので、これからの自分の人生にしっかりと役立て、自分自身のなりたいイメージ像に近づけるように日々努力していきたいと思っています。


 「津商業野球部で・・・」
高校野球を3年間終えようとしてたくさんのことを学び、たくさん悔しい思いをして、たくさんいい思いをさせて頂きました。入学したときには3年間は長いと思っていました。ですが、夏の大会が迫るにつれて短いと感じるようになりました。今となってはいろいろな思い出がよみがえってきます。
 私が最初にチャンスを掴んだのは1年生時の紅白戦でした。試合には出ておらず、ボールボーイとして関わっていました。当然出る予定などなくボールボーイをただ一生懸命にやっていました。そんな私に先生から突然の代打の指示。これが高校野球の初打席となります。まだ慣れてない硬式用の重いバット、サイズが合ってないブカブカのヘルメットで打席に立ち、タイミングを合わせて初球を思いっきり振りました。結果はライトフライ。肩を落としてベンチに戻りボールボーイに戻ろうとすると先生から褒められました。このことがきっかけで次の紅白戦は先発出場し、2ベースを放ちました。この後は代打などでチャンスをもらうことができました。もしかしたらボールボーイを一生懸命していたからチャンスがもらえたのかもしれませんが、ただなんとなく先生の視野に入ったからかもしれません。しかしそのなんとなくでも、チャンスと掴むことができました。何気ないところにチャンスはたくさん落ちているということを実感させられた一年生の春でした。
 私はこの3年間は怪我に悩まされ、いろいろな方にサポートをして頂きました。2年の秋に左手首を痛め、痛み止めを注射で打ったり、痛み止めを飲みながら練習や練習試合に挑みました。しかし、3年の五月の下旬、東海大会のベンチ入りを狙っていた私にまた手首の痛みが襲いました。病院にいき、そこでされた処置はギプスを巻くということでした。「残り2ヶ月しかないのに」という焦りと「何でこのタイミングで」という苛立ちの気持ちがありました。そんな私を元気づけてくれたのがチームメイトをはじめ、学校の友達や両親でした。病院の先生にも少しでも早く治るように手を尽くして頂きました。痛めながらでも今競争できているのはみんなのおかげだと思います。特に両親には病院を予約して、夜遅くまで病院に付き添ってくれたり、少しでもいい病院を探してくれたり、とても迷惑をかけました。2年の春、16番でベンチ入りする予定だったのにも関わらずにひざを痛めてしまいベンチに入れなかった私を元気付けてくれたのも母でした。父も電車がない時間に送ってくれたり、叔父も遠いところから試合を見に来てくれたり、本当に本当に多くの人に支えられてきたんだと実感します。怪我をたくさんしてたくさん悔しい思いをしましたが、その2倍3倍もの暖かさに触れることができ、支えてくれる人がいることのありがたみ、仲間に恵まれるありがたみを感じました。
 このように津商業野球部でたくさんのことを学び、体験させて頂きました。津商業野球部で学んだことは社会に出てからも役立つことばかりだと思います。これからも学んだことを活かして自分を人間としてもっともっと成長させていきたいです。私は本当に津商業野球部でよかったです。


「高校3年間を振り返って」
 僕は、この3年間で多くの経験をすることが出来ました。中でも1番の出来事は、最高の先生と最高の仲間に出会えたことです。
 僕みたいに何もかも適当に考えている人間を拾ってくださり、育てていただいた宮本先生には、言葉では言い表すことが出来ないぐらい感謝しています。先生、ありがとうございます!
 以前に宮本先生と2人でお話させていただく機会がありました。そこで、「俺も現役のときはお前とよお似た人間やったんや。」と言われて、僭越ですがすごくびっくりしました。その時に自分も頑張ったら宮本先生まではいかへんけど、こんな人間になれるんかなあと思ったのが僕が変われたキッカケだと思います。先生を信じてついてきてよかったです。
 自分は友達を作るのがとても苦手でした。でも別に必要と思っていませんでした。野球部に入ってから、たくさんのチームメイトが僕に喋ってきてくれました。そして毎日、喜怒哀楽を共にしてきました。友達がおってくれてよかったと感じました。
みんな、まっちを支えてくれてありがとう!
時には、ぶつかったりもしながら、みんなと一緒に成長していきました。1人ひとりに違った個性があるのがみんなのいいとこだと思います。凸凹しながらもみんな僕の大事な仲間です。
 最後に後輩へ…。
 たぶん僕以外の先輩は、高校3年間は短かったって言うと思うんさ。でも僕は、そうは思わへん。長かったようで長かったよ。
 僕から伝えれることはあんまりないけど、1つだけ。
野球の神様は絶対に1人ずつに長所っていうか取柄を与えてくれとるんさ。でもそれがなかなか見つからへんときってあると思う。そういう時は、とりあえず目立つことをしたらいいと思うで!!僕の考え方おかしいと思うけど「目立ったもん勝ち」やで。先生や仲間に少しでも濃い印象を残したらオッケーや。僕からは具体的にこういう事をした方がいいというのは分からないので言いません。そやけど、津商に入りたい!て思とる子にアドバイス。自己紹介の時にめっちゃ銀色のスニーカーを履いてくるといい事あると思います!!

取り留めのない文章になってしまいましたが、最後までご拝読いただきありがとうございました。
津商業高校は、日本で1番最高の学校です!全力☆津商!


「アホな男前を目指して」
自分は、高校野球を三年間振り返って、入部して自分が目指してきた以上に成長できました。野球がうまくなりたいと思い、「名将」宮本先生のもとで野球を学びたいと思い入部しました。あまりどんな先生か知らなかったけれど、初めて先生の話を聞いて自分でも驚くほど何か引かれるものがありました。
三年間野球をしてきて先生方、チームメイトなど非常に良い環境で野球ができたおかげで、技術的にとても成長することができました。そして自分は野球部に入りここまで人間的に成長できるとは入部した時は想像していませんでした。気遣い・心遣いなど大切なことをたくさん教えていただきました。でも、自分が一番実感していることは努力する力がついたということです。みんなが帰っていく中でも練習し、朝も練習しました。なかなか思い通りに結果が残せず、暴れて逃げ出したい時も何度もあったけど、それでも周りにも支えられ自分でも頑張れと言い聞かせて努力し続けました。
自分は引退が近づいている今思うことは一年生のときもっと努力していれば良かったと思いました。また高校に入るまでに努力していればととても思います。自分は小学校一年生から野球をしてきて六年間辛かったけどがんばり中学校では努力はさほどせず試合にも出ることができていました。中学校ではサボることばかり考えていて、授業もろくに受けず、部活でさえめんどうなら帰り遊ぶ時もありました。そんな勘違いした生活を送っていました。
入部してこれからは真面目に野球をしようと決め、初めて練習にいきました。前日までに何も準備せず、靴はハイカットのスニーカーで練習にいきました。あまりのきつさに初日で辞めたいと本気で思いました。それからしばらくは野球が本当に嫌でした。少しずつ慣れ始めて夏休み・冬休み毎日が長く感じていたけれど終わってみればあっという間でした。早打ち、トラックでのタイム走、三重テレビなどのメニューを与えられたときは、泣きたかったです。後輩に伝えたいことそれは今から本気で努力してほしいということです。自分のように高校までまともに練習をしなかった人間でも、今からなら努力しだいで絶対間に合うと思います。入学したときに先生の言われた通り素直に受け入れる選手は絶対に周りの選手より成長速度が違うと思います。思い通りにならないことなんていくらでもあるし、そのほうが自分は確実に多かったです。でもそれは自分だけじゃなくて周りに何十人も同じ思いの人間がたくさんいるから一人で抱え込まずここには人の気持ちを本気で受け止めてくれる仲間がたくさんいます。だから最後の最後までみんなでやりきってほしいです。自分がここまで努力できたのは自分に目標があったからだと思います。何の目標もなくただ過ごしていた中学校とは違い、チームとして、そして自分自身の目標があったからこそここまで頑張ることができました。日々の練習から宮本先生のよく言われている、目標・目的この大切さが改めてわかりました。引退が近づくにつれ今までとは少し変わった部分があります。
練習して意味があるのかこれ以上成長するのか努力することがとてもこわかったです。でも自分がやってきたことをここでやめたら必ず後悔する、そう思い最後までやりきることを心に決め、練習帽子に向上心と書きました。
この津商業で得た力はこれから先、生きていく中で絶対に必要な力だと思います。宮本先生に出会い、このチームメイトに出会え、もし自分がもっと賢かったとしても津商業に入れてよかったと思える最高の高校野球人生を送ることができました。楽しい時、辛い時いつも一緒だったこのみんなで、少しでも長い夏にし、練習は辛かったけど最後はやってきて良かったと思える夏にしたいので、94人全員で一つの目標に向かっていきたいと思います。


「津商野球部に学んだこと」
 この3年間早かったです。入学したての頃は、「こんな生活3年も続けられるのか」と思いましたが、気づけばもう最後の夏です。私が3年間早かったと思うのは、津商業での日々が充実していたからだと思います。それと同時に厳しい毎日でした。楽しいだけの3年間ではありません。時には逃げ出したくなるくらい辛いこともありました。でも私は津商業で野球ができて本当によかった。もし、高校で野球をするなら、津商への入学を心から薦めます。人生が変わる3年間だと思います。
 入学当初、初めて高校野球に触れた私は、練習の厳しさに驚きました。中学校とは次元が違います。インフィールドや門前、MTVの脅威は一生忘れることはありません。そんな練習を毎日自分のためにと続けてこれたのも、同級生や先輩、仲間の支えがあったからです。苦しいときの「がんばれ!」の一声に「よっしゃ!」と返すと不思議と力が出るのです。本当に最高の仲間に恵まれたと思います。
 私は入学するとき、絶対自分が一番ヘタクソだと確信して入学しました。案の定ヘタクソでした。でも最後の夏は絶対にエースになると思っていました。なぜかはわかりませんが自分は絶対にできるという自信がありました。私はそれなりに練習してきたと思います。でも「それなり」でした。一番ヘタクソなヤツがそれなりの練習で絶対エースになれると思いながらやってきました。2年生になるまで本気でそう思っていました。本当にバカだったと思います。
よく「悔いのないように」と言われますが、すごく後悔しています。絶対もっと練習できました。残された日々の短さをわかっていませんでした。もし私が大人になってから高校生に言うときは
「時間を大切に」と言いたいです。「高校生活は長い人生の内の3年しかない。野球をするのは2年半なんだ。一生のうちで今この時にしかできないことを全力でやれ」と言いたいです。
 私は大学への進学を考えていますが、大学で野球はやらない予定です。なので、高校野球の3年間が野球人生の締めくくりの3年間になります。最後の3年間を全力でやりきれなかったことに後悔はしていますが、今の同級生の仲間たちと一緒に過ごせて本当によかったです。
 今現在は最後の総仕上げの時期ですが、思い返してみると自分は津商に何も残せていないと思っています。今からできることは限られていますが、私は後輩にもっといろいろなことを伝えたいと思います。特に2年生にはがんばってほしいと思います。2年生は何度も何度もダメだと言われていますが、それは自分たちがもっと関わって親身になって考えてやったり、厳しい言葉をかけたりしていたらよかったのではないかと思います。今からどれだけのことを伝えられるかはわかりませんが、一人一人と話す時間を増やして今まで津商業野球部にお世話になった分を返したいと思います。
 私は津商での学校生活や野球部の活動をする毎日の中で、将来やりたいことが見つかりました。高校の教師です。私は津商に来るまでは、給料が安定していて、楽で、休みが多くて…と、楽に稼げる仕事がいいと思っていました。その考えを変えられて本当によかったです。今は、やりがいがあって、少しでも多くの人を幸せにできて、いろんな人と出会えるしごとがいいと思っています。そんな職業は世の中にたくさんあると思います。私が考えていた、楽に稼げる仕事も、その人の考え方次第で変わると思います。なので、もっと言えば世界中の仕事全てがそうなんじゃないかと思います。
 教師という職業を選んだ理由はいくつかありますが、一つは津商の先生方に憧れたからです。津商の先生方はすばらしい先生ばかりで、本当に贅沢な環境だと思います。なので、もし津商に入学していなければ、教師になりたいとは思わなかったかもしれません。
教師という職業は重大な責任を伴うと思います。大事な人の子をあずかり教育するので、自分の伝え方次第でその子の人生を左右することになると思います。しかし同時に、これ以上ないくらいやりがいのある職業だと思います。
 私の理想の教師像は、「憧れられる先生」です。見た目がかっこいいのではなく、毎日いきいきとしていて、その先生の授業で寝る生徒は絶対にいないような楽しくてわかりやすい授業で、生徒のために全力を尽くせて、時には厳しく指導できて、生徒と同じ目線で考えられて、笑えて、喜べて、泣ける先生です。私が津商の先生に憧れたように「憧れられる先生」になりたいです。この理想像はこれから変化していくものだと思います。たくさん本を読んで、常にそのときの理想を描きながら少しずつ近づいていきたいです。
以上です。


「4年間の高校野球」
私は高校野球を通じたくさんの人と出会い、学び、成長することができました。津商業高校で宮本先生と出会い、最高の仲間と3年間野球ができたことに感謝しています。
 思い返せば、三年間さまざまなことがありました。振り返ってみると良かったことも悪かったこともいい思い出、いい経験です。
入学したばかりの頃の自分は、人の話も聞けず、注意されても反抗的な態度をとるどうしようもない人間でした。あの頃はまゆげの形を変えたり、服装を着崩すことがかっこよくて、まじめに勉強したり、素直でいることはかっこ悪いことだと思っていました。そんなあの頃の自分が今は可愛く思えるようになりました。
 いなべ総合を中退し、初めは宮本先生から高校野球の勉強をするために入学してきたのですが、選手としてプレーできることになりいつの間にか当初の目的を見失っていた時期もありました。選手として高校野球生活では後悔してばかりでした。1年生の4月から試合にでていて「自分は新チームになれば絶対レギュラーだ」と勘違いしていました。案の定新チームなり、一度はレギュラー番号を手に入れましたがその後二度と背番号「2」が自分の元に返ってくることはありませんでした。結局最後の夏も出番はほとんどなく同じような立場ながらマウンドで活躍する矢口の姿に劣等感を感じ、うらやましく思うだけの夏でした。子供の頃から思い描いてきた高校野球でも目標は何一つ叶うことなく、また、何一つ完全燃焼できないまま私の選手生活は終わりました。
 選手として引退後、学生コーチとしてチームを支えながら宮本監督から高校野球の指導の勉強をさせてもらいました。指導の勉強といっても手取り足取り宮本先生から教えてもらうわけではなく、与えられた環境、立場のなかから自分で物事に気づき、考え、判断し、学んでいくことの繰り返しでした。練習中も特に自分には役割もなく先生から指示があった時に動くぐらいのものでした。しかし、それでは本当にチームの役に立てるのか、自分がいる意味はあるのか、そう考え、先生からの指示はなにもなかったのですが、選手がどんなことを考え練習しているのか、どういった性格の持ち主なのか、心の状態はどうかを観察し、心が曇っているように見えた選手には練習後明るく話しかけてみたりと、目に見えない部分での選手の支えになろうと考えました。続けていくと今まで見えてこなかった一面や思わぬチームの隙などさまざまなことが見えてきました。
効果があったのかどうかかはわかりませんが、以前よりも相談されることも増え、悩みを一緒に考えることで選手の支えになったこともそうですが結果として自分も同じように成長できたのではないかと思います。そんな行動を評価してもらえたのか宮本先生から管理室で「お前がおったら大丈夫や」といってもらったことがなによりも嬉しかったです。
 選手として、学生コーチとしてさまざまなことがありましたが、自分の人生が変わり自分にスイッチが入ったのは2年生の4月に練習中2度脱走し、宮本先生と海で話したあの日からです。練習試合では自分より練習しない選手が活躍し、評価され、両親が見に来てくれたにも関わらず何一つ結果がだせず、春の大会ではベンチからはずれ、それでも自分の役割を果たすため津球場に係員として代表で参加したのですが、いなべ総合の同級生に指して笑われ、悔しい思いが自分の中で抑えきれなくなり、練習中グランドから脱走しました。悔しくて、悔しくて、ただ悔しくて、武道場の壁を殴っていたとき宮本先生が自分のところへ来ました。その後宮本先生の車でいろんなことを話しましたが、今でも自分の心に強く残っている言葉がふたつあります。一つ目は「お前は友達思いで人の気持ちを考えられる、けど脱走してお前のそういういいところを消してしまったら駄目や。」という言葉です。そのとき宮本先生は自分の人間性もしっかり見ていてくれていたんだと感動しました。
もうひとつは、「お前はプロ野球選手にはなれやんかもしれやん、けど、プロ野球選手を育てる人間にはなれるかも知れやん。そういうものお前は持ってると思うわ。」という言葉です。中学生でプロ野球選手を諦め高校野球の指導者を目指した自分にとっては尊敬している先生からのこれ以上ない言葉でした。他にも一言一句同じではないですが、宮本先生から言ってもらった言葉がたくさん今でも頭に残っています。
 脱走後もう次に脱走すれば面倒を見てやることはできないと言われました。それからの自分は、必死でした。野球も勉強も必死にやりました。失った信頼を取り戻すため、自分が尊敬する宮本先生に認めてもらうためとにかく頑張りました。1年生の時に宮本先生から絶対お前には合格できやん、と言われたITパスポートの試験も必死に勉強して合格しました。そうしてさまざまなことに必死に取り組んだ結果、脱走したときには考えられないほどさまざまな役割を与えてもらえるようにもなりました。少しでも成長し脱走したあの時があったからと思えるようにこれからも努力し続けていきます。
 私は津商業で最高の仲間に出会いました。駄目な自分を支えてくれました。チームがひとつにまとまらずぶつかったり悩んだり、喧嘩したりもしましたが、本当にこの仲間と出会えてよかったと思います。いなべ総合を中退し家に一人で引きこもっていた時期もありました。高校野球を見ること、考えることが辛く、家のパソコンでアニメや動画ばかり見て、朝昼寝て夜活動する昼夜逆転生活を繰り返しいました。地元の友達にも、中学校にも、少年野球の監督にも合わす顔がなく、いままで積み重ねてきた繋がりが全て無くなってしまったように感じ、人と接すること信じることが嫌でした。そんな自分がこうして辛かったことを包み隠すことなく人に話すことができるのは受け入れてくれる仲間の存在があったからです。一緒に野球をしたこと、学校生活、帰り道みんなで笑いながら帰ったこと、一つ一つ思い出していくともうそんな楽しかった日々も終わりが近づき1年すればみんな別々の道へ進んでいくのかと思うととても寂しく思います。
 いなべ総合時代を含め4年間の高校野球生活は自分の人生においておそらく最も学ぶことの多かった4年間であり、価値のあったものだと思います。選手として思うようにはいかなかったのですが、いなべでの経験も含めて最高の高校野球生活だったと思います。良い思いよりも辛い思いのほうが多かったかもしれませんがもう一度生まれ変わっても同じような高校野球生活がしたいと思います。そして、最後の夏、甲子園へ出場しお世話になった方々に恩返しすることができれば最高です。
 最後に私の将来の夢について書きたいと思います。私の将来の夢は宮本先生を同じように高校教師になり、高校野球を通じて自分の経験を生かして野球だけでなく社会へでて活躍できる人間を育てることです。高校野球の監督として強豪私学を作り上げたいとも考えているのでどのように夢をかなえるために道を切り開いていくかは今、自分の中に具体的な案がありますが、もっと細かく考えて進めていきたいと思っています。
 私は、日が当たることはほとんどなく、県大会や東海大会で活躍し、どんどん有名になっていく同級生達をみてうやましく思っているのも事実です。しかし、将来私の経験は必ず今よりも大きなものとなり、返ってくると思っているので信じて前へ進んでいこうと思います。そして、宮本先生のチームを倒して甲子園で優勝します。
夢、目標の実現へ向けて素直さを決して忘れずこれからも成長していきます。
 多分私が死ぬ寸前思い出すのは津商業で過ごした3年間だと思います。それほどの思い入れのあるチーム、仲間、先生に出会えたこと、そして、少し成長できた自分になれたこと本当に幸せに思います。これから先、いままでも経験よりも辛いこと、大きい壁がたくさん現れると思います。そんなときも3年間で宮本先生から教えていただいた考え方をもとに乗り切っていきたいと思います。最高の仲間とともに卒業後も高め合い、集まり一生消えることの無い絆を作って生きたいです。
このほかにも書きたいことは、たくさんありますが文章にできるほどの量ではありません。それぐらいたくさんのことを津商業で学びました。また、ずっと支えてくれた両親、祖父、祖母に自信を持って感謝の言葉を言えるほど成長することもできました。
お世話になった人たちに恩返しするために、甲子園へ
 そして、なによりも輝く笑顔で最後の夏を戦います。

最後に、私は野球が嫌いになった時期もありました。しかし、津商業で野球が大好きになりました。ありがとうございます。